「資生堂ショック」という勘違いの勘違いについて。

昨年の11月、資生堂に関するニュースが大きな話題を呼んだ。
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昨年の11月、資生堂に関するニュースが大きな話題を呼んだ。ニュースでは資生堂が子育て中の社員に対して負担を強いていると報じられ、もう資生堂の化粧品なんて買わない!という人がSNS上で多数現れるほど強烈な反響があった。具体的には子育て中の社員が優先して早番に入っていた状況を遅番や土日の時間帯にも入ってもらうという報道だった。

しかし、実際には資生堂は女性が働きやすい会社として就職人気行ランキングでも上位にランクインしている。多数の女性が働き、産休取得者も100%復帰している状況で働きにくいということは考えにくく、時短勤務や育休も取得者が増えているからこういった問題が起きているのでは?と自分は「資生堂ショック」という勘違いで言及した。ただ、この記事にもまだ勘違いがあったようだ。

■「母親には一律の配慮」を超えて。

資生堂出身で、株式会社ワーク ・ライフバランスの社長である小室淑恵氏によれば、これは子育て中の社員にただ負担を強いるような仕組みではないという。小室氏はこの報道についてフェイスブックで書き込みをしており、以下のように説明している。

「なぜ、育児中の社員にも夕方のシフトや土日のシフトに入ることを要望出来たのか。資生堂は通常の企業よりも10年進んでいて、一律に育児社員への配慮をすることは、すでに10年以上前からしっかりやっています。育児期に離職しないことによって、役員にも当たり前のように女性がいる会社です。そうすると、すべての女性はロールモデルを持つことで自分のキャリアを長期でイメージすることが出来るようになります。

中略

資生堂は長年かけて、他社に先駆けて、女性に長期でキャリアを築ける状況を作ってきたからこそ、一律に育児中社員に配慮するというフェーズを抜けて、個々にしっかり面談をして、お互いができる精一杯の貢献をすることで会社を支えていこうという熱い話し合いが出来たのです。」

この説明の意味が分からない人は、今子育て中の母親がどのような状況に置かれているか、理解する必要がある。

■マミートラックという罠。

企業は出産・子育てをする女性に配慮しなければいけないと法律で定められている。ただ、その配慮が、「とにかく楽をさせること」が目的となっている企業は少なくない。マミートラックと言って、仕事の負担は減るが出世コースからも外れる、という戦力外通告のような状況だ。果たしてすべての女性がこのような対応を望んでいるか、ということだ。

自分がファイナンシャルプランナーとして住宅購入の相談にのる際には、必ず女性の側の働き方の話になる。そこでは時短勤務が取得出来るのは助かるけどマミートラックなのか良く分からないとか、マミートラックから元のコースにちゃんと戻れるのかまともに説明を受けていない、など、様々な不満・不安を感じながら働いている人もいる。これは制度が整っていないというより、どのような制度にすればいいのか、働く母親をどう扱えば良いか、会社側も判断がついていないということだろう。

マミートラックでぴんと来ない人は、学習塾を思い浮かべてみて欲しい。習熟度別に分かれた学習塾とそうでない塾の違いを考えればこの話は簡単に分かる。ひと学年にクラスが一つしかなければ、成績の悪い子供はついていけず、成績が極めて良い子供には退屈な授業になる。つまりクラスに子供が合わせることになってしまう。これは通常の勤務にせよ時短勤務にせよ、会社の仕組みに合わせて社員が働くという、多くの企業の実体に近い。

■「習熟別クラス」から「個別指導」へ。

もしクラスが複数に分かれていれば、成績が良い子も悪い子も自分に合ったレベルの授業を受けて、自らが望む進学先を目指す事が出来る。これは働く母親にマミートラックもそうでない働き方も両方準備されている状況と言える。まず多くの企業が目指すべきはこのような働き方を選べる状況だろう(業態・業種によって必ずしも対応出来ない企業も当然あるだろう。それはそれで仕方の無いことではある)。

小室氏が説明する、資生堂が一律の配慮から個々に話し合いが出来るようになったという説明は、クラス別も超えて、個別指導塾のように一人ひとりに合わせたきめ細やかな対応を出来る段階まで制度を整えてきたということだと思われる。

もちろん、これは社員の要望を全て受け入れると言った都合の良い話ではなく、会社と社員が相互に希望と要求をぶつけ合うという、ビジネスでは当たり前のギブ&テイクの関係ということになるだろう。

このように説明をすると簡単に聞こえてしまうが、社員の能力や通勤時間、パートナーの状況、親から支援を受けられるかどうかなど、社員によって状況は大きく異なる。

■異なる状況の社員を一律で扱うべきか?

例えば保育園が何時まで延長するかは地域によっても保育園によっても異なる。当然通勤(帰宅)にかかる時間も社員によって異なる。近所に両親が住んでいてサポートをしてもらえる人も居ればそうでない人もいるだろう。全く違う環境にある社員を一律に扱うことが正しいわけがない、ということになる。

加えて、個別に対応した結果を社員の評価や給料に反映させることまで考えれば、他の企業は簡単に真似出来ない。これが大きな教室で全ての生徒に同じ授業を提供するような働き方を強いる企業と比べて「10年進んでいる」と小室氏が指摘する理由だろう。

あれこれ説明したって小さい子供のいる母親を遅く帰らせる状況はおかしい、と思う人もいるだろう。しかし、これは保育園のお迎えを必ず母親がすべきか?という父親の存在を置き去りにした議論だ。

一律の配慮から個別対応の段階に進めば、パートナーがどれくらい子育てに参加できるか、具体的には保育園に週に何回迎えに行けるか、という話に必ずなるだろう。子供が小さいうちは母親は時短勤務、父親は相変わらず長時間労働、というのでは母親が働く会社だけがワリを食ってしまう。

それを母親が望んでいる、あるいはそれ以外に選択肢が無いという状況ならば仕方ないのかもしれないが、他に選択肢があり、工夫次第でいくらでも母親が働けるのであれば、一律配慮はマミートラックのようにマイナスの効果を生んでしまう場合もある。加えて、このような状況を放置すれば男性の育児休暇の取得率も長時間労働も全く変わらない。

■長時間労働が変わるきっかけに。

どちらかが定時に帰らないといけない、となれば否が応でも労働時間は減り、効率的な勤務を余儀なくされる。鬱病が国民病となった背景には長時間労働も背景にあり、学生の就職人気企業ランキングの上位には、過労死の基準となる1ヵ月の残業時間が80時間を超える企業が多数ひしめいている。これは「残業代ゼロ法案」は正しいでも説明したが、ハッキリ言って異常だ。

小室氏は効率的な働き方の推進を以前から主張しているが、古巣である資生堂の平均残業時間はたったの3時間だという(追記:美容部員の平均残業時間)。これだけ効率的な業務体制を構築した企業だからこそ、個別対応が出来る段階まで進むことが出来たのだろう。

綺麗ゴトばかり言いやがって、と感じる人も居ると思うが、当然社員に不満や文句が一切無いわけではないだろうし、完璧な仕組みということもないだろう。しかし社員の働き方について個別の事情をくめる段階まで進んでいる状況は、社員数が万単位の企業では極めて異例だと思われる。

■一人三役は大変かラクか?

社員と会社のギブ&テイクで働く環境が改善されている事例は、昨日のワールドビジネスサテライトの、カイシャの鑑というコーナーでも紹介されていた。

三州製菓という会社では一人三役、つまり自分の担当以外に二つの仕事が出来るようになることで、急な休みや介護などで仕事に穴があかないようにしているという。三つの仕事を担当することは大変だと思うが、全員が一人三役以上の仕事を出来るようになれば、自分自身が休みやすくなる。つまりはギブ&テイクだ。

この仕事はこの人しか出来ない、という状況は企業にとっても社員にとっても最悪の状況だ。そういった個人プレーの寄せ集めのような体制では、社員は休むことが出来ず、万が一病気で倒れたり辞められたりしてしまえば代わりの社員が仕事に慣れるまで業務のレベルが極端に落ちてしまうからだ。

さらに同社はサテライトオフィスといって本社以外にも働ける場所を作り、子育て中の社員の通勤時間を減らすことにも取り組んでいるという。こういった制度を知って新卒採用で応募が殺到しているとも紹介されていた。

■日本型の企業ではギブ&テイクが必須。

この事例からも、子育て中の社員はとにかく楽をさせれば良い、という発想が必ずしも正しくは無いことが分かる。少しでも負担を求めることが全て悪なのであればそもそも企業も仕事も成り立たない。また、企業の側も社員が働きやすくなるよう、当然様々な工夫をしている。この企業のように、ギブがあってこそのテイクという原則が守られる限り問題は無い。ブラック企業は社員に過剰なギブだけを求めるから問題なわけで、ギブ&テイクが成り立っており、その仕組みに社員が納得しているのであれば「取引」としては正しい。

転職することが給与やキャリアでマイナスにならないアメリカ型の雇用スタイルならば、社員は自分に合った会社へ転職をすれば良く、会社はウチのやり方に納得した人だけ働いてくれ、というスタイルでも問題はないだろう。しかし、転職が容易ではない日本型では会社の側が柔軟な働き方を準備しなければ企業と社員のズレが生じてしまう。そこで資生堂や三州製菓のような社員と企業で相互に協力しあう仕組みが必要になる(雇用スタイルの違いや育休との関係については「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~女性の社会進出は少子化の原因なのか?~少子化を止める二つの方法~でも説明した)。

従来の日本は雇用は硬直的、働き方も硬直的、ということで特に女性が極めて働きにくい構造があった。これはまだ多くの企業で残っているが徐々に変わりつつある。資生堂はそんな状況から何十歩も先を走っている。資生堂ショックは勘違いであり、お手本がそこにあると考えるべきだろう。

【参考記事】

■「資生堂ショック」という勘違い。

■「残業代ゼロ法案」は正しい。

■「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~

■女性の社会進出は少子化の原因なのか? ~少子化を止める二つの方法~

■グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?