「摂食障害」について、わたしが語るのをやめるとき。

過去の私が出会いたかった人に、今の私がなろうと決めた。
Open Image Modal
NOBE MAHORO

渋谷の駅で、今日もドキドキしながら待つ。目の前を通り過ぎる女の子が、全員「その子」に見えて仕方ない。

「まほろさんですか?」と声をかけてくれた女の子の顔を見て、一気に私の緊張も緩む。裏垢での呟きからは想像できないほど明るく、笑顔が本当に似合う彼女は、たくさんの人が行き交う渋谷の街にすっかり溶け込んでいる。

顔も本名も分からない。何歳なのかも分からなければ、性別さえ検討がつかない。もしかすると画面の向こうに、「その子」は存在しないのかもしれない。

私はこの3年間、そんな「摂食障害の裏垢」からSNSでダイレクトメッセージが届くと、できる限り会うようにしてきた。

私が会ったところで、何ができるかなんて分からない。 だけど、答えを探し求めて行き着いた先に私がいるのなら、その希望を潰さないでいたい。彼女たちの変わろうと思った1歩を無駄にしたくない。そして何より、私自身が摂食障害だった頃、そういう人をずっとずっと、ずっと探していた。

だから、当時の私が出会いたかった人に、今の私がなろうと思った。

会い始めたのは、私が「答え」を逃げたかったから

私が90粒の下剤を飲む「過食症」だった頃、よくネットサーフィンをしていた。だけど「摂食障害」のワードをネットで検索しても、何年も前の、年上の人が書いた、暗くて、悲しくて、叫びの詰まった記事しか見つけられなかった。

本当は、もう自分の力じゃ這い上がってこれなくて、誰かに上から思いっきり手を引っ張ってほしくて。汚れてしまった過去も、失ったたくさんのものも、振り返ると絶望しかなくて、「まだやり直せるから」「今ならまだ間に合うから」って、進めない私の背中を誰かに思いっきり押してほしかった。

当時の私と同じ状況の子から、毎日のようにダイレクトメッセージが届く。

「治し方を教えてください」

だけど私には答えられない。「過食したくなったら歯磨きをする」「下剤を一粒ずつ減らす」そういうアドバイスを当時の私もたくさん見かけたけど、何も響かなかった。「それができるなら今頃治ってる」「それができないから苦しいのに」そう思ってしまう。

いっぱいいっぱいな時は、何を言っても聞けない。頭のどこかで聞かなきゃいけないと分かっているのに聞けない辛さは、私が一番よく分かってる。だからアドバイスはしたくなかった。

「治ったきっかけを教えてください」

だけど私には答えられない。治ったきっかけは一つじゃない。大学に入って環境が新しくなったこと。色んなイベントにでたり、趣味が増えて、見た目以外の価値観が大きくなったこと。海外旅行にいってメイクやお洋服といった自分の楽しみ方を知ったこと。朝ごはんを作り始めて「食べる」を考え直したこと。

でもそれを伝えてしまうと、「海外旅行にいけるお金があるからだ」「もともとの性格のおかげ」そう、「結局あなただったから」と言われてしまうのが苦しかった。

連絡が来ても何も返せない。でも毎日、毎日、毎日、毎日。毎日SNSを通してメッセージが届く。「もし彼女が過去の自分だったら」そう思うと、無視できなかった。

「なんでそこまで人のために頑張れるんですか?」とよく質問を頂く。でも本当は、何も返せないことをごまかしたかっただけなのかもしれない。

会ったときだけでも、「体重」「食べ物」以外のことを考えてほしい、思い出してほしい

私に連絡をくれる子のほとんどが、周りの友人や家族、恋人に摂食障害であることを隠しながら毎日を「当たり前」に過ごしている。

病院や自助グループにいくと、自分と似た人はいなくて、日常生活もままならない人と出会う。「自分が病気と名乗っていいんだろうか」そう悩んだり、「精神疾患患者」として集まりにいく自分も認められない。「私は違う」と思ってしまう。だけど友達には、「メンヘラ」「病み症」だと思われるのが怖くて話せない。

彼女たちは、「患者」ではなくて、普通の女の子として、悩みを相談できる場所を求めている。

当時の私も全く同じで、だからこそ治るのに6年もかかってしまったのかもしれないけれど、気持ちが痛いほどわかる。

だからセミナーやカウンセリングではなく、あくまで「一人の友達」として、笑いの耐えない時間を過ごしたかった。一日中買い物をしたり、憧れのカフェにいったり、遊園地で遊んだり。その子が住む県まで夜行バスで会いにいって、オススメの観光地を一緒に巡ったことも何度かある。

過食嘔吐の子には少し背伸びしたいい口紅を。手が吐きダコでボロボロな子にはハンドクリームを。拒食の子には可愛いお箸を。特別な日が重なっている時には、少しでも力になればとプレゼントを渡す。

お会計は、せめて今日だけは美味しく「ごちそうさま」と言えるようにと願いを込めて、必ず私が出す。

彼女たちに会い始めて3年。

行きたかった大学にいけたと報告をくれたり、摂食障害を完治し結婚したり、人の健康に関わる仕事をすると言っていた子が無事夢を叶えたり。ずっと夢だった海外留学へと旅立つ子もいた。

365日、体重と食べ物に囚われている彼女たちが、その瞬間だけでも「摂食障害」を脱ぎ捨てて、一人の女の子として、全力で笑い、楽しむ。忘れていた自分の「好き」や「楽しい」を思い出すことで、彼女たちに変化が現れるのかもしれない。

そしてそれは、同じ悩みを抱えてきた、共感できる同世代の「友達」だからできることなのかもしれない、と今になって思う。

会う中で知った摂食障害の現実と、伝える葛藤

だけどいいことばかりではなく、深い闇に耐えきれなくなったこともたくさんある。

ビデオ電話の先で、泣き続ける彼女に何も声をかけてあげられない自分。直接会って話しを聞き、想像を超える彼女たちの苦しさに、帰れなくなってホームで泣き崩れたこともある。

過食でお金がなくなった中学生の子が援交をしかけたり、過食衝動に耐えられなくて生肉を食べたり、毎日の嘔吐で前歯がなくなったり。指で嘔吐できなくなった子たちがホームセンターでチューブを買い、友達と外食しにいくときには必ずカバンにいれて持ち歩く話はたくさん聞いた。リストカットの動画は、トラウマになってしまって思い出すと動悸がする。

足を踏み入れちゃいけないところに、もう私はいるんだと気づく度に、急に怖くなる。私が届けたいと思う人から連絡をもらうには、とにかくキラキラとした、明るく楽しいことを発信していかなきゃいけない。でも本当の現実を伝えていかないと、今の摂食障害の現状を知ってる人はほとんどいない。伝え方にも何度だって悩んだ。

会社に行って働いて、休日は友達と遊んで。私が生きている「日本」は平和なのに、今この瞬間も、同じ場所で想像もつかないドロドロとした、綺麗事じゃ済まない世界が広がってる。

知れば知るだけ怖くなって、逃げたくなる。「あまり首突っ込まないで、こっち側の世界で生きていたらいいよ」って言われても、こういう現実はこれまでも多くの人がずっと見ないように蓋をして、分断してきたはず。私も同じように遮断してしまっていいのかと葛藤する。

それにもう蓋ができないくらい、「摂食障害」という闇は、日本の社会に溢れ出している。

それでも私が、彼女たちに会う理由

女の子たちに会う中で、別れ際によく聞くことがある。

「本当に治す覚悟ある?」

そう聞くと、ほとんどの子が、実は首を縦に振れない。「治したいけど、治すのが怖い。」口を揃えてそう言う。

もう何年も、何十年も、毎日嘔吐や下剤を服用していると、自分の「アイデンティティ」のようになっていたりする。「摂食障害が自分の中からなくなると、私の価値がなくなる気がする」「私から摂食障害を取ったら何も残らない」

摂食障害の症状が一番重たかったときには、ありえない感情だった。だけど長年に渡って摂食障害を繰り返しているうちに、「症状」から「習慣」へと変わっていると、彼女たち自身も気づけていないことが多い。

周りの人に言えなくて苦しんでる子も多い。だけど、摂食障害という病気が広まっていく中で、以前は「裏垢」で摂食障害に触れていたものが、顔と本名を出している人も増えた。それが治すきっかけや励みになっている人も多いから、それ自体を否定する気はない。だけど、「摂食障害の自分」が周りに受け入れられたときに、手放す理由を見失ってしまったという相談も多い。親に告白したことがきっかけで、親からの心配を集める手段へと変わってしまったんだという相談もある。

メディアでも、「摂食障害と一緒に生きていく方法」「摂食障害は個性」という働きかけを見かけるようになった。

考え方は人それぞれだから、その個人については触れたくない。だけど、本当は治せるはずの人たちが、治すのを諦めてしまうのが、治すタイミングを見失ってしまうのが、私は本当に悔しかった。

会ったとき、彼女たちによく聞かれる。

「摂食障害、治してよかったですか?」

その質問を何度聞かれても慣れることはなくて、いつだって胸が締め付けられる。私が答えに迷うことはない。

「治してよかったよ」

摂食障害って、生まれたときからあったものじゃないから。あとから付いてきたものだから。私たちは元々なくたってちゃんと立ててたんだから。無くても大丈夫なんだよ。ひとりでしっかり立ち上がれる。

それでも踏み出せない彼女たちは重ねて聞く。

「もし摂食障害になる前の瞬間があるとして、その時に戻ったとしたら、摂食障害になる人生とならない人生、どっちを選びますか?」

彼女たちがもう二度と、摂食障害の世界に戻ってこないように。「摂食障害」というもので自分を語らないように。私は目一杯背中を押す。

「絶対に、ならない方を選ぶ。揺るがない気持ちだよ。」

「摂食障害になったからこそ出会えた」「摂食障害になったから気づけた」「摂食障害になったから与えられた」私はそんな言葉を使えない。

もし本当に出会うべき人なら、私たちはきっと出会えてる。摂食障害が無くたって、私たちの人生、語れるものはきっとある。だから、私たちにはきっと必要ない。

私が彼女たちに会ったところで、実際何もできない。治療方法も知らないし、何のアドバイスもできない。結局、最後に決意をするのも、変わりたいと声をあげるのも、彼女たち自身。今の自分に向き合って、一歩踏み出す勇気を持てるのも、今から変わろうと覚悟を決めるのも、自分しかいない。誰も助けてくれない。助けてあげれない。自分の力でどうにかするしかない。

それでも私が彼女たちに会い続けるのは、そう思えるきっかけを届けたり、踏み出すと決めた彼女たちの手を引っ張ってあげるには、周りの人が必要だから。摂食障害を完治するのにタイミングはすごく重要で、彼女たちから連絡がくるっていうのは、彼女たちなりに何かのタイミングを掴んだサインのはず。そのタイミングを逃してほしくなかった。

過食症だった過去の私が出会いたかったのは、「治し方」や「治してくれる人」じゃなかったのかもしれない。私はずっと、最後の一歩を踏み出す「理由」を探してた。本当は自分の中にちゃんとやり直せる力はあって。でも今更もう始めたって仕方ない、もう無理なんじゃないかと思っている私は、何かやり直す「きっかけ」を探してたんだと、彼女たちに会う中で気づいた。

私が「摂食障害」を語るのをやめるとき

摂食障害だったことをメディアで話すようになって1年になる。

私が高校生の頃、ネットで「下剤を飲む」ということを知ったように、私がやっている行為は、摂食障害の人を逆に生み出しているかもしれないという恐怖もあった。それでも、過去の私みたいに、一人で今日も泣いている子に届けたいと思っていた。

でも最近は、私自身が「手放せない彼女たち」と一緒になってしまっている気がしていた。私が一番、摂食障害から卒業できていないんじゃないかと思うようになった。

どこへ呼ばれるにも「摂食障害の人」。話してほしい内容も「摂食障害の話」。「自分に語れるものは摂食障害の経験だけなんだ」「私が求められているのは摂食障害の経験があったからなんだ」と感じることが増えた。

大学4年生の時、「摂食障害」という病気を、本当は自分が手放せていないだけなんだと気づいた。本当に頭が真っ白で、ただひたすらに苦しかった高校生の頃の私と、明らかに症状は変わったいた。頭のどこかでそう気づきながらも一歩踏み出すのがずっと怖かった私は、それでも変わりたいと覚悟を決めた。

一度決めたはずなのに、本当は、今すごく怖い。「摂食障害」について語るのをやめたとき、私に語れるものはあるんだろうか、何が残るんだろうかと思ってしまう。

私は誰かに気づいてほしかったのかもしれない。高校時代の友達に見せつけたかったのかもしれない。大学時代の友達に自慢したかったのかもしれない。周りの人と張り合いたかっただけなのかもしれない。

気づけば、「摂食障害」がその手段に変わっていた。でも、「摂食障害」を踏み台にしていたら、結局私は過去の私と何一つ変われない。

私自身が摂食障害以外で自分を語れるようにならないと、私が伝えてきたことは嘘になる気がした。私の人生、摂食障害にしがみついてちゃダメなんだ。

摂食障害を手放してもちゃんと立てる姿を見せてあげたい。摂食障害なんて必要ないよって、示してあげたい。

「摂食障害」という過去の苦しかった経験ではなく、自分の好きなこと、楽しかったこと、そういうことで人が集まってくるような、そんな人になりたいと思う。摂食障害のことしか語れないくらいなら、いっそ語れることなんてなくていい。摂食障害で集める視線も、実績も、私には、きっと必要ない。

過去の私が出会いたかった人に、今の私がなろうと決めた。

だから、「摂食障害」を手放そうと思う。「摂食障害」について話すのを、やめようと思う。「摂食障害」がなくたって、私はちゃんと立てる。それを高校生の頃の私に、ちゃんと見せてあげたい。

「過去の私が出会いたかった人」

それは摂食障害がなくても大丈夫なんだと、自信をもって教えてくれる人だから。