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2018年04月16日 01時26分 JST | 更新 2018年04月16日 16時43分 JST

熊本地震本震から2年。南阿蘇村にある老舗宿の再建に向かう長男の『想い』

南阿蘇村は、まだ道路の復旧も完全ではない。しかし、少しずつ、確実に復興へ向けて進んでいる。

熊本地震後、土石流に埋もれた創業1808年の南阿蘇村の老舗宿「地獄温泉清風荘」のこれから

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地獄温泉清風荘の代表取締役社長の河津誠さん(中央)。

熊本地震の本震から2年。

熊本地震は今、どんな印象だろうか?阿蘇西原新聞が今年2月にSNS上で調査してみたところ、「まだまだだと思う」が75%、「情報がないから分からない」が19% 「関心がない」が5%、「もう元どおりだと思う」が1%という結果だった。

「まだまだ復興までは時間がかかりそうだけど情報がないので分からない」といったところだろうか?

熊本地震から丸2年が過ぎた今、再建に向かって進み続ける熱い社長の『想い』を伝えたい。

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宿に流れ込んだ土石流

土石流に飲み込まれた老舗宿

熊本県南阿蘇村にある夜峰山(よみねやま)の麓にある老舗宿をご存知だろうか?創業1808年の「地獄温泉清風荘」だ。全国にたくさんのファンを抱える、熊本県でも有名な温泉宿。この宿の代表取締役社長である河津誠さんは、地元の人も認める筋金入りの「熱い男」。誠さんと共に宿の復興活動をサポートしているのが次男の謙二さん、そして、三男の進さんだ。

人呼んで、「地獄の三兄弟」

長男の誠さんはフランス料理のシェフ、次男の謙二さんはアメリカ留学経験もある英語が流暢な数字に強い副社長、三男の進さんは京都の老舗料亭「菊乃井」で修行を積んだ和食の料理人である。実に多才な地獄の三兄弟だ。

長男としての宿命

河津家の長男として生まれた誠さんは、南阿蘇村で幼少期を過ごしたものの小学校2年生の時、突然の引越しを迎えることになる。そこには、深刻な理由があった。

もともと今の地獄温泉清風荘は、誠さんの母の家系である野田家が代々継いできた宿だった。誠さんがまだ小さかった頃、誠さんの祖母がたった一人で湯治場として宿を切り盛りしていた。

当時、誠さんの祖母には従軍医だった祖父がいたが、アンガウル島で戦死し、それ以後は祖母が一人で宿を守り続けていた。

その後、野田家の長女だった誠さんの母親(現在の大女将)の夫である誠さんの父親が祖母と一緒に宿を切り盛りするようになった。ところが、誠さんの両親は南阿蘇村から引っ越す選択をすることになる。それが、誠さんが小学校2年生の頃の突然の出来事だった。

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2018年3月、地獄の三兄弟と母親の大女将。誠さん(2列目左)、謙二さん(2列目中央)、進さん(2列目右)。

初めて宿命を感じる

ところが、誠さん一家が熊本市内に身を移し生活していた時、宿を一人で切る盛りしていた祖母が大病を患っていることが判明する。当時、中学3年生だった誠さんは「ばあちゃん、僕がちゃんと宿は継ぐから心配せんでよかんね」と祖母に手紙を出した。

「今思えば、あの手紙が私と清風荘との初めての関わりだったんじゃないかな」誠さんは振り返る。

その後、誠さん一家は、最愛の祖母の死をきっかけに南阿蘇村に戻り宿を切り盛りすることになった。にも関わらず、事業家気質の父親と、当時、宿に勤めていた料理人が合わないという問題が起きる。その時、誠さんに白羽の矢が立つことになった。誠さんは、その頃、音楽関係の仕事に就きたいと思っていたのだが、両親からの期待に応えたいという『想い』から料理の道を選ぶことになった。

料理は全くだったけど好きだと思うようにスイッチを入れましたね。でも、せめてもの抵抗で和食は選ばなかった。フレンチを選びましたね。笑」

こうして、誠さんのフランス料理のシェフとしての道はスタートした。神戸にあるレストランで10年修行し、最後は店を任せられた。しかし、その中で体調を崩し、入院することになったのだが、そこで誠さんを待っていたのは運命的な出逢いだった。

「あんなに綺麗で素敵な女性は見たことがなかった」

誠さんは、伴侶となった女性を連れ、神戸から南阿蘇村へ戻る決心をする。その後、3人の子宝にも恵まれ、家族一丸となって宿を切り盛りする日々を過ごした。ところが、20年後、最愛の長年連れ添った伴侶と決別することになる。そんな矢先に更に大きな悲劇が誠さんを待っていた。

誠さんの父親の病が発覚し、余命あと少しという現実だった。余りにも大きなことが重なり、悲しみに打ちひしがれ、色々なことを悔やんだりした。しかし、そんな人生で一番大変な時期を兄弟や親友の存在に助けられたのだ。

「兄ちゃん、ちょっとゆっくり休んでおいでよ、そう言ってくれた謙二(次男)の言葉を思い出して今でも涙がね····」

それからしばらくの間、自分探しのため親友が住む宮崎県高千穂町へ身を置くことになった誠さん。誠さんが離れた地獄温泉清風荘は、次男の謙二さんを中心に三男の進さんやスタッフたちが守り続けていた。誠さんは、少しずつ自分を取り戻し、やがて本来の居場所だった宿のある南阿蘇村へ戻ることを決断したのだ。

ここから更なる悲劇が待っていた

ところが······。

今から2年前の「あの日」。

2016年4月14日、16日に熊本地震が阿蘇地方を襲った。

誠さんは、こう語る。

「宿の敷地に大きな桜があります。あの日、地震が起きた日。ご宿泊してくださっていたお客様を避難させ、最後の見回りをした時のことでした。真っ暗な中で夜桜がボーッと光るように見えた時、どれだけ苦しめれば気が済むんだー!!!!と叫び、涙が出ました」

あの日から、誠さんたちの長い長い闘いが始まった。トドメに熊本地震で亀裂が入った宿の裏手に位置する夜峰山が豪雨によって土石流となり、宿を飲み込んだのだ。その光景は、本当に悲惨な状況だった。

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奇跡的に土石流の被害を受けなかった希望になった『スズメの湯』

「私が絶対に復活させてみせる」

これほどまでに傷つけられたにも関わらず、誠さんは宿の再建を諦めない。長年に渡って多くの人々から親しまれ続けてきた『すずめの湯』が奇跡的に残っていたのだ。乳白色で硫黄の匂いが漂う、混浴の『すずめの湯』。昔から、訪れる人を丸裸にして、癒しの場として愛されてきた露天風呂だ。コンコンと湧き出る源泉を薄めることもなく、そのまま浸かることができる貴重な温泉である。

誠さんの決意は、固い。そして、自分たちや南阿蘇村だけではなく、阿蘇地域全体のリーダーとして、阿蘇の観光を盛り上げようと強く想っているのだ。誠さんの笑顔は、過去の辛かった体験と家族や地域への責任感の表れだ。本当に強い男である。

南阿蘇村は、まだ道路の復旧も完全ではない。宿に行くまでの道のりも、復興までの道のりもデコボコだ。しかし、少しずつ、確実に復興へ向けて進んでいる。4月21日にも大きなバスツアーを企画しているので、ぜひ参加して欲しい。きっと、誠さんたちや阿蘇で復興に向き合い生きる人たちの『想い』を垣間見れるはずだ。

南阿蘇観光復興バスツアー