先生と保護者がチームであるために・・・

保育士・教員等に向けた研修の個人面談の際に薦めていることで、子どもになぜその名前を付けたのかという理由を保護者に聴いてみる、というものです。

「子どもの名前の由来を聴いてみてください」

これは、私が、保育士・教員等に向けた研修をさせていただく時に、個人面談のちょっとした工夫として薦めていることで、子どもになぜその名前を付けたのかという理由を保護者に聴いてみる、というものです。特に初めての面談におけるアドバイスとしてお話しています。

また、先生方には「自分の名前の由来も話してみてください」ともお伝えします。前向きに双方向の対話を進めるためには、自己開示が重要だと考えています。

先生自身が、「自分はこんなことから名前がついたのですが、お子さんにはどのような想いで名前をつけられたのですか?」と聴いてみると、ぐっと親近感が湧いてきます。

今、保護者対応に心を痛める先生たちが多い一方で、先生に話が通じないと虚しさを抱える保護者も増えています。

卵が先か?鶏が先か? どちらがという問題ではなく、子どもを真ん中にすえてチームとなって子どもに寄り添いながら育てていくことが一番の課題です。

では、どうすればチームになれるか?

「子ども子育て支援法」等には、「父母その他の保護者が子育てについて第一義的責任を有する」と、「教育基本法」等には「「父母その他の保護者が子の教育について第一義的責任を有する」と明記されています。

チームとしての出発は、まずは、第一義的責任を負う保護者の「子育てや教育への想い」を聴くことです。

名前には、その子どもがどのように育ってほしいか、保護者の希望、祈り、願いが込められているものです。子どもの名前に込めた想いを知ることから、その子をどう育てていきたいか、教育していきたいか、親の考えの一端が見えてきます。保護者のほうも、学校の「~であるべき」という押し付けではない、自分の子育て、教育感に寄り添って考えてくれるチームである、という大きな安心感をベースにすることができます。

そこをベースにスタートして、目の前の「子どもの最善の利益」を共にはかっていくという協働の目的を認識し合うことを、親と先生が、一人一人の「子どもを真ん中にすえた」チームとして歩んでいくための第一歩とすべきと思っています。

さて、第一義的責任者である保護者の想いに寄り添い、より良いチームを形成し、速やかに子ども一人一人に応じた学習や指導を届けるにあたって、学校が解決すべき課題があります。

例えば、教員が、子ども一人一人と向き合ったり、子ども一人一人の知的好奇心を満たし「わかった」「面白い」「もっとやりたい」等の声があがるような質の高い授業を作り上げるための教材準備をしたりする「時間の確保」です。

もちろん、その大前提として大事なことは、子育て・教育の第一義的責任を負うのが保護者であるとしても、「学校内での責任は学校にある」と覚悟することです。

昨今、子どもに学習指導上の問題が生じると家庭の問題にすり替え、学習指導上の課題を家庭の努力に転嫁することが少なからず見られます。

後述する「次世代の学校指導体制の在り方について(最終まとめ)」でも、現状の課題の一つとして「格差の再生産・固定化」を明記しています。様々な困難を抱える家庭環境は子どもたち自身にはどうすることもできません。次世代を担う子どもたちは社会の宝であり、社会で育てるべきです。学校教育上の課題を家庭の責任に転嫁することなど、あってはならないと思います。

そもそも義務教育は、子どもがどんな家庭に生まれても教育を受ける権利を保障するものです。たとえ、家庭での時間に生きづらさを感じても、子どもにとって暮らしの中心となる学校での時間が、その子にとって「生まれて良かった」と思える時間に感じられるかどうかは、学校の責任です。

仮に、家庭環境に課題があるならあるほど、学校での時間をその子にとってより充実したものにするよう、個々に応じた学びを充実させると共に、自分を信じ、周りにいる先生や友達を信頼する体験を積み重ねさせていく必要があると思います。

文部科学省が「次世代の学校指導体制の在り方について」の最終まとめを公開しています。

先生たちをバックアップするためのスクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーの常勤化なども視野に入れた「チーム学校」について書かれています。

文部科学省「次世代の学校指導体制の在り方について(最終まとめ)」

概要版 ▼

全文 ▼

この報告では、今後の日本の発展に向けて、日本の子ども達の大きな課題として以下のように分析しています。

  • 判断の根拠や理由を示しながら自分の考えを述べること
  • 自己肯定感や主体的に学習に取り組む態度
  • 社会参画の意識等が国際的に見て相対的に低いこと

など、「子供が自らの力を育み,自ら能力を引き出し,主体的に判断し行動するという点については、今後の我が国の発展に向けた大きな課題となっている。」

また、障害のある子ども、経済的な援助を受けている家庭の子ども、日本語指導を必要とする子ども、不登校の子どもなど特別な配慮を必要とする子どもたちが増加している現状から、多様な子ども達一人一人の状況に応じたきめ細かい教育を提供していく重要性にも言及しています。

そして、その対策として、障害のある子や、外国人児童生徒、貧困等に起因する学力の課題の子等の取り出し等による特別の指導を行う教員が加配することを打ち出しています。

子ども一人一人に寄り添ったきめ細かい教育を届けていくことにもつながることなので、大変、望ましいことではあります。

ただ、心に留めておかなければならないのは、取り出し等の指導が行われる子どもについて、学級担任が「そうした子の学習指導は、取り出しの先生に任せておけばよい」と勘違いをしないようにすることです。

「障害者権利条約」を批准した日本では、インクルーシブ教育を構築していくとしています。国が共生社会を目指す以上、実現しなければならないことです。障害の有無で分けずに出来る限り同じ場で学ぶために、授業を受ける子どもたち一人一人を見据えて、どの子も授業に参加している実感、達成感、居場所がちゃんとある、という安心感を届ける授業を作り出す教員の質の確保は欠かせません。共に過ごす体験があってこそ、その人を理解していき、障害の有無で命の重さに違いがないこと等を実感していくものです。

担任は、特別な支援が必要な子どもを除外することで授業を成り立たせようと安易に考えることなく、特別な支援を要する子どもたちのために加配される先生とチームになって、誰にとっても魅力ある授業を構築することを基本にすべきであり、しっかりと文科省として方針を打ち出していく重要性を思います。

そうした授業づくりは、どの子にとっても質の高い授業づくりにつながるはずです。逆に、除外することでクラスを成立させようとすることは、子ども達に対しても、「同じようにできない人間は"除外"していけばいいのだ」という共生社会に逆行する価値観を刷り込んでしまう可能性すらあります。

最後に。

報告書では少人数学級について次のように記されています。

「独自の少人数学級を進めている地方自治体からは,これまでの少人数学級の成果やニーズに基づく少人数学級推進の要望が多くあることも踏まえる必要がある。また,諸外国と比して学級規模が大きいという点にも留意する必要がある。」

先生が一人一人の子どもと丁寧に向き合うためにも、少人数学級は必須だと思います。

子ども一人一人に声掛けをし、一人一人の声に耳を傾ける、というようにきめ細やかに心を込めた教育を行うには少人数でないと限界があります。

また、アクティブラーニング推進の観点からも、より少人数のほうが、子ども一人一人が積極的に発言したり、主体的に活動したりする機会を自ずと増やせることになると思います。

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