2015年、フェラーリF1ドライバーのセバスチャン・ベッテルを激励するジョン・サーティース氏
モータースポーツ界におけるレジェンドの1人、ジョン・サーティース氏が10日、83歳でこの世を去った。
モータースポーツ史上で唯1人、2輪のロードレース世界選手権と4輪のF1世界選手権の両方でチャンピオンとなったサーティースは、日本ではホンダの第一期F1活動にドライバーとして参加し、勝利を挙げたことでも知られている。
1934年に英国サリー州で生まれたサーティースは、10代でロードレース世界選手権に参戦を開始。英国のノートンからイタリアのMVアグスタに移籍すると、1958年、59年、60年に350ccクラスで、56年、58年、59年、60年に500ccクラスでタイトルを獲得した。2輪で栄光を手にした後は、1960年から4輪のF1に転向。
1963年にはフェラーリで初優勝を挙げ、翌年に世界チャンピオンとなる。さらにフェラーリを離れた後には、1966年から始まった北米のカナディアン・アメリカン・チャレンジカップ(通称カンナム)で初代チャンピオンに輝いている。
エース・ドライバーとしてホンダ入りしたのは1967年。当時、車体の重量増に悩んでいたホンダでは、英国のレーシングカー・コンストラクター、ローラ・カーズの大株主であったサーティースが仲介役となり、ローラが開発したシャシーにホンダのエンジンを搭載する決断を下す。
この「RA300」と呼ばれる日英合作マシンは、サーティースのドライブによって1967年のF1第9戦イタリアGPでデビュー・ウィンを達成。ホンダ F1チームに通算2勝目をもたらした。ジャック・ブラバムを僅か0.2秒差で抑えての勝利は、最終ラップのホームストレートでホンダ・エンジンがライバルより高回転までパワーを絞り出すことができたおかげと言われている。
サーティースが活躍したスクーデリア・フェラーリとホンダ、そしてF1やMotoGPの公式Twitterでは、彼の死を悼むツイートが投稿されている。
Autoblog Japanスタッフ一同、偉大なるジョン・サーティース氏のご冥福をお祈り申し上げます
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(2017年3月11日 AutoBlog日本版「【訃報】2輪と4輪で世界チャンピオンに輝いたジョン・サーティース氏、83歳で逝去」より転載)
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