私は今年の3月に学位(博士号)を取得し博士になりました。早稲田大学では剽窃だらけの論文でも学位が与えられることが明らかになり(学位取消に当たらず)、呆れと怒りでやりようのない気持ちとなっています。少し衝撃的なタイトルをつけましたが、早稲田大学の調査委員会が会見を聞いた瞬間にこれを思い、強く抗議したいと思い筆をとりました。化学の楽しさを広めるための場でこのようなことを書くのは悩みましたが、私自信の学位取得の際の体験を交えながら、今回の「事件」についてつぶやいてみたいと思います。
■学位審査はどのような流れで行われるか
私が学位を取得した専攻ではホームページに学位の申請要件などがまとめてあります。
大まかにいうと、学位審査は博士論文を提出と公聴会でのプレゼンテーションがメインであり、公聴会後にさらに校正を重ねて博士論文を製本・提出して無事終了となります。公聴会でのプレゼン時間は機関によりさまざまなようです。博士論文は公聴会前に公式に提出されている必要があり、その後は誤字・脱字のチェックやわかりにくいデータ・文章表現を正すなど細部の校正はOKですが、結論が覆るような訂正は認められません。
博士論文のスタイルは人によりけりですが、私が知る限りでは対外的に発表した論文をまとめ直す形が多いようです。内容や結論自体は事前にある程度できあがっているので、学位論文として仕上げるためには断片的な研究をひとつのストーリーにまとめることが重要になります。ですから一番気合いを入れて作る場所はGeneral Introduction(概略紹介)でした。これは「巨人の肩の上に立つ」と表現される学問において、自分が行ってきた研究の位置づけを示すための部分でもあります。小保方氏の博士論文、公開されていたものはホームページからのコピペが多かったとのことですが、私の意見としてはGeneral Introductionにオリジナリティがなければ博士論文自体書かれていないに等しいです。(分野によってはどうしても似ることはあるかも知れません。)
私の博士課程、最後の数ヶ月は博士論文に費やしました。そして最後の最後、製本でけっこうお金がかかった上、刷り上がりの文中に細かいミスを見つけてしばらく落ち込みました。(早稲田大学の会見によれば)小保方氏は草稿を製本して国会図書館に送りつけたようですが、私にはそんな大きな過ちを犯す余裕はありませんでした。
■不正に学位を授与されることは何が問題なのか
「自分は頑張ったのにインチキしても学位がもらえるなんて!」といった妬み僻みの低レベルな批判ならば放っておけば問題ありませんが、そうではありません。日本で取得した学位が信用されなくなる懸念があります。
インターネットを検索すれば詳細にまとめられたサイトが見つかるようですが、早稲田大学には数万文字のコピペでも学位を取得されている方々が過去おられるようです。早稲田大学は臭いものに蓋をすれば騒ぎは収まると思われているのかも知れませんが、それはあり得ないと考えています。蓋をすれば中身を判別しようがないため、不正を行った者がほんの一部であってもすべて腐っていると思われても仕方がないでしょう。海外からは蓋をしている早稲田大学のみならず、それを放置している日本の学術界まで腐ってると見なされても不思議ではありません。論文や学会でrejectを食らったり、研究員としての受け入れを拒否されることが、日本人に対して行われるようになるかもしれません。
実態のない学位を金銭でやりとりするディプロマミルが永らく問題になっています。学位が容易にとれる大学に対する比喩として用いられることもあるようです。自然科学はそれまで誰も触れたことがない現象を明らかにするための学問であり、できるだけクリアな証拠が求められます。今後どのような処分が下ろうとも早稲田大学が実態のあいまいな博士論文に学位を授与した本件は、過去100年以上にわたる日本の科学教育と博士号の歴史を愚弄するものです。
■疑わしきは通さない
疑わしい論文は通さない、というのが論文を査読する上での共通認識だと思います。化学は捏造が簡単な分野だと考えています。例えば私に回ってきた査読(多孔体)であれば、窒素吸脱着測定の際に脱着側から細孔分布を求めている場合、よくてmajor revision・たいていはrejectします。測定の原理上(多くの場合は)吸着側が実態に近いのに対し、脱着側から分析すると細孔径がキレイに揃って見えるという捏造が可能だからです。
きっと知識不足だろう、ミスだろうと大目に見て通していたようでは、その論文が引用されることにより間違った議論で汚染されてしまいます。捏造を行った研究者に学位を与えるということは、科学を汚染する行為だと考えています。
■これから何をするか
以前、博士進学を勧める記事を書きましたが、やりたいことがきちんとあるならば悪い選択肢ではないという考えは変わりません。ただし、教育を受ける機関はきちんと選んだ方がいいと思います。今回の件に限らず、アカデミックの問題を目にしたり耳にする機会が多いです。その問題が事実ならばこの世界にずっといるのもどうなのかと、友人と話すことがあります。
暗いことを書きましたが、選んだこの道でおもしろい成果を出し、開拓し続けるのが研究者の仕事です。大半のまじめな研究者が一部の不届き者に足を引っ張られては困ります。税金が使われる以上、研究や教育の不正に対しては誰もが追及する権利があると考えています。何らかの方法で声を上げられればと思います。
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(2014年7月18日chem-station「化学者のつぶやき」より転載)