困っている人の役に立ちたいという純粋な思いから、様々な人が海外の地域で頑張っています。 海外と日本を繋ぎ、途上国に関わる医療従事者を支える活動とは――。
私はNHKの朝の連続ドラマで有名になった、北海道、余市の救急病院で内科医として働いています。忙しい日々です。ちょうど3月に緩和ケアチームと往診を立ち上げたところ。余市病院は、約150床の救急病院です。常勤医は少なく、今は外科医3人、内科医2人、整形外科医1名、小児科医2名を中心に、年間約800台の救急車を受け入れています。
私は年に9カ月間は内科医として余市で地域医療を、3カ月間はタイで熱帯医学の研究をしています。5月は1カ月タイに滞在しました。人が足りない地域の病院で1人抜けると忙しくなりますが、病院の皆は笑顔で送り出してくれます。
熱帯医学を勉強するために留学したタイで充実した研究生活を送っていた時、東日本大震災がありました。臨床医としての思いが段々強くなっていたこともあり、色々と考えた末、私は日本で地域医療に携わることにしました。日本の地域でも医療従事者は少なく困っています。特に医療状況が厳しいとされる北海道の地域の病院で働くことにしました。
縁があって入った余市病院は、数年前の研修制度改正時に内科医が引き揚げ、病棟を見る内科医は1人もいない状況でした。その中で外科の先生が中心となりながら、救急車を断らない、地域の救急病院を支えていました。
私はタイでの研究の合間に日本に帰り内科医として働く中で、必要とされること、今後自分がやるべきことが見えてきました。病院の皆の熱意、また余市の自然は素晴らしく、魅せられました。そして私はタイと余市を行き来する生活を始めました。
医療者が海外や日本の地域でいきいきと働くために......
思いを持って、開発途上国で保健活動を行う医療従事者、緊急支援に入る人、様々な人が日本を出て海外の地域で頑張っています。その人々の多くは、困っている人の役に立ちたいという純粋な思いを持っています。
一方で途上国の活動は日本での評価はあまり高くなく、医療者は海外と行き来する中で、日本の居場所を確保することが難しい現状にあります。途上国と日本を行き来する活動には決まった道はなく、自分で切り開く必要があります。決まった道がないということは、言い方を変えると自分で作った道がロールモデルになるということです。
途上国の医療、保健は土台がないため、多角的なアプローチが必要です。しかし政府機関、国際機関、NPO、研究機関、それぞれがばらばらの活動をしており、色々な活動、情報を繋ぐ必要を感じました。また経験、知識に乏しい若い医療従事者が海外で危険な医療行為をする現場にも直面しました。それらの経験から、私は自分自身が海外と日本を行き来する生活を送る中で、途上国に関わる医療従事者を、海外、日本共に支える活動に取り掛かることにしました。
海外と日本をつなぐ活動は大きく3つに分かれます。受け入れ先の確保、プログラムの作成、人と情報が集まる場所作りです。
受け入れ先の確保としては、2014年4月に余市病院に地域医療国際支援センターを設立しました。このセンターでは、途上国を中心として海外の活動を行う医療従事者を積極的に受け入れます。これまで4人の医師、3人の看護師、1人の検査技師を受け入れました。
2点目としては、海外、地域医療を経験できるプログラム作りです。NPO法人GLOWにスタッフとして参加しました。GLOWでは医師、看護師に海外、地域医療を研修できるプログラムを提供しています。余市でもGLOWのプログラムを使い看護師を2人受け入れています。
3点目は、情報を集め、繋がる場所作りです。海外の情報、日本の地域の情報を同時に集め、人と繋がることが医療者のキャリアをサポートします。同じ思いを持っていた佐久総合病院の坂本医師、愛知国際病院の井手医師と共に研究会方式のネットワーク、「とちノきネットワーク」を立ち上げました。
これまで医療従事者の海外のロールモデルは欧米の留学でした。今後、ロールモデルは変化し、途上国での医療、保健、研究活動の需要が増すと考えています。そのために日本、海外の土台を整備する必要があります。
医療者が「活き活きと」海外と日本の地域で働くためにできること。繋がる活動、途上国の医療支援に興味がある医療従事者の方はご連絡下さい。何か一緒にできることを考えていければと思います。
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