台湾でトランスジェンダーを公表した初の閣僚のオードリー・タンさん。デジタル担当大臣として、誰もが使いやすい新型コロナ用のマスクマップの製作を成功させ、世界から注目されています。ハフポストLIVE「台湾の“天才デジタル担当大臣”に聞く 民主主義と多様性のこれから」(早稲田ビジネススクール=WBSと共催)でWBSの学生らと語った90分。オードリーさんがメディアに求める「徹底的な透明性」の原則に従って【全文】を公開します。
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まず最初に、4日前の7月30日に亡くなった李登輝元総統のお悔やみを日本側から申し上げた。
――李登輝氏は台湾に大きな影響を与えた人だと思いますが、どんな印象を持たれていますか?
タン:最初に李登輝氏に会ったのは、ナショナル・サイエンス・フェアで優勝した時だと思います。私は14歳で中学生でした。
当然、彼が総統だと知っていましたが、選挙で直接選ばれた総統ではなかったので、前総統の後継者、と認識していました。
ところが素晴らしいことが起きたのです。彼は台湾を独裁主義から民主主義へと移行させました。そして総統を、自由選挙で直接選べるようにしました。
私の父は、別の候補だった陳履安氏の広報担当者でした。私はインターネットの擁護者として対立候補の側から初の自由な総統選挙に参加したこと、そして李登輝氏が移行を非常にうまくやり遂げたことをとても誇らしく思いました。
民主主義への移行は、間違いなく大成功でした。私より若い世代の中には戒厳令を知らず、言論の自由や、集会の自由、総統選挙を当たり前のこととして捉えている人もいるでしょう。
しかし、15歳の時に李登輝氏が初めて総統選挙に立候補したのを見た私にとっては違います。
李登輝総統がいなければ、我々は全く違う運命をたどっていて、今も独裁主義だったであろうことは明らかです。
彼はミスター・デモクラシーと呼ばれていますが、本当にその通りだと思います。
何度も来ていた日本の印象は?
――日本にいらっしゃったことはありますか? 日本や日本の人たちについて、どんな印象をお持ちでしょうか。
タン: もちろん、何度も日本に行っています。最初に日本を訪れたのは随分前で、東京で「マジック・ザ・ギャザリング」というカードゲームに参加しました。その後も何度か東京を訪れ、友人で(当時)ライブドアで働いていた(オープンソース開発者)小飼弾さんの家に泊まりました。
日本の人たちはとても親切にしてもらいました。そして未来に住んでいるようだと感じました。シャープ・ザウルスのような、Linuxを搭載してプログラムができる、信じられないようなデバイスがありました。そういったものは文字通り、1時間先にある未来*からきた機器でした(*日本では時差で台湾より1時間早い)。
新しいテクノロジー機器を熱心に探求する日本の人たちと出会ったことは、私にとってとても良い経験になりました。
訪問を重ねるうち、特に東日本大震災の後は、日本の別の面も目にするようになりました。
日本の人たちは自分の故郷に強い絆を感じていて、助けが必要な被災地にボランティアとして出向き、最も大変な状況にある人たちをテクノロジーを使って助けていました。最新テクノロジーは東京だけではなく、様々な問題にも使われていると知りました。
台風や地震や、その他全ての自然災害が起きた時、日本の人たちはテクノロジーを使って熱心に働きます。そしてテクノロジーを少数の人のためだけではなく、苦しんでいる全ての人のために使おうとします。私は後に、それがソサエティ5.0と呼ばれていることを知りました。この考え方は、私の哲学と強く共鳴します。
一目で在庫がわかるマスクマップ。あっという間に作れたのはなぜですか?
――台湾では、シビックエンジニアと言われる民間のプログラマーが参加して3〜4日で薬局の場所とマスクの在庫がわかるマスクマップを完成したと言われています。民間の人たちが参加することで、レベルや開発のスピードをどう担保するのでしょうか?
タン:マスクマップは、最終的に1000万人が利用しました。最初の1週間では100万人くらいでしたが、100万人が使えばどんなバグだろうと洗い出されるので、バグは問題ではないです。
消費者、薬局の薬剤師、健保署の職員などが利用することで、いち早くバグを洗い出すことできますし、g0v*のSlackチャットで、フィードバックをリアルタイムで得られる方法が確立されています。
LINEのチャットボット、地図情報など、全て情報がプラットフォームにて開示されています。閉じこもって開発するのではなく、“開門造車”(オープンな体制で、規則に縛られず)で開発を行う環境があります。
g0v(ゴブゼロ)市民がテクノロジーで行政の動きや予算の内容などを可視化するために台湾で2012年に創設した団体。
なぜ台湾政府は効果的な新型コロナ対策ができたのでしょう?
――日本では政府の新型コロナウイルスの感染者が増加して、政府の支持率が低下しています。一方、台湾では政府と国民の間の信頼関係があると感じています。台湾と日本ではどんな違いがあると思いますか?
タン:まず最初に、自由民主主義がそうであるべきように、新型コロナウイルスのパンデミック後に起きた全てのことには、多くの疑問が生じ、検証が必要です。
その上でお話しすると、先ほど述べたSlackチャンネルやマスクマップのようなシステム、そして大気汚染や水汚染などの問題は、パンデミック前にすでに存在していました。
私が “リバース・プロキュアメント(買い手が売り手を選ぶ)”と呼ぶ、g0vスタイルのコラボレーションの鍵は、すでに市民社会の間に存在していたのです。
技術者はすでに国民の間で高い信頼を得ており、彼らはただインプットするチャンネルを、PM2.5の数値からマスクの在庫に変えればよかった。そのやり方や配布方法は、一般の人や公務員からもすでに信頼を得ていました。
その信頼は、一晩で勝ち得たものではありません。私たちは過去5年の間に、数々の改革やオープンな政府を通して信頼を築いてきました。
同じことが、例えば電子フェンスなどの入境検疫システムなどでも言えます。
電子フェンスは、ホテルで隔離されない隔離対象者のスマートフォンに入れるシステムで、隔離対象者がフェンスの範囲を超えた時に、SMSが地元の警察に送られます。
電子フェンスのような仕組みを、他の多くの地域で利用するのはとても難しいと思います。議論が起きるでしょう。
しかし台湾ではこれと同じようなシステムを、地震や洪水や台風警報などに使ってきました。電話基地局による三角測量をベースにしたもので、利用者はアプリをインストールする必要も、GPSも必要もありません。SMSは自動的に送られ、データは一定期間保管された後は破棄されます。利用者はそのことを理解していました。
このシステムの利用は、パンデミックの前にはすでに当たり前になっていました。ですから私たちは、パラメーターを微調整すればよかった。もしパンデミックが起きた後に新しいアプリを発明しなければいけなかったとしたら、台湾はとても厳しい状況に置かれただろうと思います。
それが日本と台湾の大きな違いだと思います。
台湾はなぜ今、政治が身近なのですか?
――日本は投票率が低く、台湾と比べて政治への関心が少し薄いと言われています。そういう中で、デジタル民主主義はどこまで意味を持つでしょうか。
タン:2013年に台湾の街で「政治に興味がありますか?インターネットで、政治活動や署名活動に参加しますか?総統杯ハッカソンに何か提案はありますか?」と質問したら、変人扱いされたでしょう。
これは2012年末にg0vができた理由でもあるのですが、多くの人は、政治は政治家がやるものだと考えていました。たとえSNSでデモを呼びかけて1万いいねされても、現場にはほぼ誰も現場に来ないという状況でした。「助けはないだろう」という感覚があったんだと思います。
ですから政治に興味がない状態は、馴染みがあります。台湾は6年かけて変わっていきました。
しかし、その後起きた国会占拠などの出来事*により、台湾の人々の政治に対する興味は一気に高まりました。
もちろん、日本でも国会を占拠すべきと呼びかけているわけではありません。しかし、多くの人が気にする課題を見つけ、それが大規模な活動になれば、克服し変わっていくでしょう。
国会占拠などの出来事 2014年に中国とのサービス貿易協定の強行審議に反発した学生たちが立法院に突入。23日間占拠した「ひまわり学生運動」を指す
この後のインタビュー全文は、②③④でご覧いただけます。
(英語訳・執筆:安田聡子 中国語訳:高橋史弥・月川雄 編集:井上未雪 協力:坪池順)
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