BBCのトランプ氏報道から学ぶ、差別に対する政治家の態度を批判する欧米的ポイント

あいつぐ公人の差別に対し、日本のメディアは適切に批判できているのでしょうか?

福田淳一事務次官(当時)がテレビ朝日の社員にセクハラを繰り返したと報じられ、辞任しました。そのような公人の差別がおきたとき、メディアが適切に批判できるかどうかは、極めて重要な問題です。公人の差別は庶民の差別に比べ、社会的影響力が桁違いに大きいために、それはなおさら重要です。

ところで、あいつぐ公人の差別に対し、日本のメディアは適切に批判できているのでしょうか?

このことを何回かにわけて、これから検証していきたいと思っています。

その基礎作業として、外国のメディアによる公人の差別への批判を紹介し、ポイントがどこなのかをまとめることは、役に立つはずです。

ということで初回は、2017年8月の米国シャーロッツヴィル事件に関するトランプ大統領の発言を批判するBBCの報道、

をとりあげてみたいと思います。

■トランプの差別ではなく、差別と闘わないトランプを批判するBBC

米南部バージニア州シャーロッツビルで起きた衝突と死傷事件について、ドナルド・トランプ米大統領の相次ぐ発言が広く非難されている。 白人至上主義者が集まった集会と、それに抗議する人たちの衝突について大統領は、集会は平和的抗議で、衝突の非は双方にあると述べた。 これについて、11日夜のたいまつ集会から12日の衝突を現地で取材していたBBCのジョール・ガンター記者が、大統領の発言内容と、自分が目にした現場の様子が、どう噛み合って、どう食い違っているか解説する。

 上の解説にある通り、このニュースは2017年8月11日から12日にかけて発生した米国シャーロッツヴィル事件(白人至上主義者団体KKK(クー・クラックス・クラン)や極右ネオナチ数百人が集会を開き、抗議運動と衝突し、1人が死亡、数十人が負傷した事件)についての報道です。

 事件のひどさもさることながら、報道の関心はトランプ大統領の差別への態度に集中しました。トランプ大統領は暴動が発生した12日、ニュージャージー州で記者団に対し、「様々な側から(on many sides)もたらされる憎悪、偏見、暴力に、可能なかぎり最も強い言葉による抗議を表明する」とコメントをしたものの、差別主義者と抗議する市民を両成敗的に非難したものと受け止められたからです。

(公平を期すために記しますが、トランプ大統領は多くの批判を受けた後の14日、ホワイトハウスで声明を読み上げ、本事件について「人種差別は悪だ」と批判するコメントをしています。しかし、それでもトランプ大統領への批判は収まりませんでした。今回取り上げる17日付のニュースはその最中の報道です)

 このニュースは3分ほどの動画ニュースで、トランプ大統領のコメントと実際の事件を比較し検証するというものです。日本語字幕がついているので、以下それを書き起こしてみました。

記者はトランプ大統領が、

  1. 11日夜のたいまつ行進を「平和的抗議」だとしたこと、
  2. 12日の衝突を「双方に非がある」としたこと、
  3. 自らのコメントが遅れた理由として事態の全容を把握していないと弁明したこと、

をそれぞれ検証・批判しています。

 (よろしければ3分の動画なので、ぜひ一度見てみてください。日本語字幕付きがこちら。英語の元の動画はこちらです。

1.たいまつ行進

第一に集会前夜〔11日夜〕に白人至上主義者たちが開いたたいまつ行進を大統領は「平和的抗議」と呼びました (トランプ大統領の発言)「前の晩の様子を見ると集まった人たちはとても静かに抗議していた」 けれども私はあの行進にずっと付いて撮影していました そして行進しながら参加者はずっと ナチスの古いスローガン「血と土」を繰り返していました 「ユダヤ人を自分たちの代わりにさせない」とか 様々な人種差別の合言葉も 行進の最後には抗議する大学生と衝突しました あの行進に参加しておいて 明白な人種差別だと気づかないとは考えにくいです

 11日夜の集会を、トランプ大統領が「平和的抗議」と呼んだことが事実を元に批判されています。注目すべきポイントがあります。

 第一に、夜のたいまつ集会を記者自身が自分の判断で差別だと断じており、そしてその参加も「白人至上主義者」と断じている点。BBCの別の記事では翌12日の集会も含め、明確に極右集会だと断定もしています。

 (※「極右」という言葉は日本にまだなじみが薄いかもしれませんが、欧米では過激な右翼を指す概念としてよく用いられ、具体的にはKKKやネオナチはじめ民主主義を暴力や差別で破壊する右翼が極右と呼ばれることが多いです。米国反差別NGO最大手の一つADLの定義はこちら。また詳しくは6月中旬発刊予定の共著、永田浩三編『フェイクと憎悪――歪むメディアと民主主義』(大月書店)の筆者担当章をお読み下さい。「極右」についてはこのブログで改めて基礎的な解説を書くつもりですが、今回は極右という言葉を民主主義を暴力や差別で破壊する右翼のこと、としておきます。)

 第二に、その根拠として差別発言を用いるだけでなく、ナチスの古いスローガン「血と土地」をその根拠にしている点。つまり歴史的に実際に差別だとみなされた言葉や社会慣行の使用が差別の判断基準として採用されているわけです。

2.双方に非が

第2に大統領は土曜日〔12日〕の暴力は双方によるものだと言いました (トランプ大統領)「話し終わってないぞフェイクニュース/僕はあれを注意深く観た 君たちよりずっと注意深く/片方に悪い集団がいて/相手側にもとても暴力的な集団がいた」 確かにその通りです 双方が暴力的でした 抗議する側がビンや石やペンキを投げるのを目にしました 白人至上主義者たちと衝突していました 両方が唐辛子スプレーをまいていました けれどもこの点の問題はここです 集会に抗議した人の大半は地元の人たちでした 憎悪に抗議するために来ていたのです 自分たちの街に人種差別はいらないと言うため 一方の集会参加者の中には強硬な白人至上主義者や ネオナチがいました 全米各地からやってきたのです クー・クラックス・クラン(KKK)元指導者のデイビッド・デュークもいました 群衆はその名前を唱え ナチス式敬礼を繰り返しました

 第一に、トランプ大統領の差別主義者と抗議する市民を両成敗的に非難するということが、記者自身によって明確に批判されています。記者じしんが差別と反差別とを両論併記的に扱ってならないという価値観をもっていることがわかります。それに大統領がそれをすべきでないという価値観をももっています。

 そして重要なことは第二に、そのトランプ大統領の両成敗的非難が、集会にKKK元指導者やネオナチが全米各地から参加していたにもかかわらず、行われた点が批判されています。つまり政治家は差別と闘う義務が当然にあること、ましてネオナチやKKK元幹部という最も悪質な極右が参加した集会を批判しないことは、大統領としてあるまじき責任放棄である、という価値観から批判がなされているのです。

 第三に、差別に反対することは、市民として当然の責務だという価値観もうかがえますね。

3.全容を把握していなかった

(トランプ大統領)「事実関係のすべてを把握していなかった」 土曜日〔12日〕に最初に発言した時には事態の全容を把握していなかったので 分かるまで待つつもりだったとトランプは言いました しかし現地で暴力沙汰が始まってから何時間もたっていましたし あの〔11日夜の〕たいまつ行進からはほぼ丸一日がたっていました (バージニア州知事)「我々のメッセージは単純で簡単だ「帰れ」」 あの晩 バージニア州知事は白人至上主義者たちに 国内にお前たちの居場所はないと伝えました シャーロッツビルの市長はテロリストと比較しました 事態を見ていた大半の人は土曜日のうちに結論していました アメリカの街なかで起きているこれは人種憎悪だと なのに大統領はなかなか同じ結論に到達できない それはなぜなのか今や大勢が疑問を抱いています

 第一に、事件直後に差別主義者を厳しく非難したバージニア州知事やシャーロッツヴィル市長の発言を紹介して、トランプ大統領を批判しています。差別と闘う当然の義務を果たした他の政治家の差別批判をきちんと紹介しています。

 第二に、重大な差別事件が発生した場合、政治家は即座に批判コメントを出すべきことが当然だと思われているということです。逆にいえば、即座に批判コメントを出さない政治家は、批判されるばかりか差別思想を持っていたり極右を支持しているとみなされても仕方ない、という価値観があります。

 第三に、言論の自由を極めて重視する米国でさえ、白人至上主義者を言論の自由として擁護するということはダメだ、という価値観です。

■欧米マスコミの、差別に関する政治家の態度への批判ポイント

 以上、BBCニュースで注目すべきポイントを解説してきました。

 重要なポイントは、マスコミの批判報道では政治家の次のような態度が批判すべきニュースになる、ということです。

① 政治家が差別すること。

② たとえ直接差別していないとしても、政治家が差別や極右を支持しているとみなされること。

③ 直接差別していないとしても、政治家が差別や極右を批判しないこと、それらと闘わないとみなされること。

 当たり前ですが、政治家の差別への態度が、その社会的影響との関連でニュースバリューをもつ、ということですね(この点については拙著『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』影書房に詳しく書きました)。欧米では、公人として政治家は、差別煽動に加担してはならない責任があること、さらに差別と闘う責任があることを前提に、それら責任を果たしているかどうかがニュースになる、ということがわかりました。

 このポイントがとても重要なのは、政治家の差別は庶民の差別と比べものにならないほど社会的影響力が大きいからです。だからこそ人種差別撤廃条約第四条cが国会・地方議員や行政による差別を禁じています。

 日本のマスコミ報道は、これらのポイントに照らしてどうなっているのでしょうか? 次回から検証していきたいと思います。

 (最後に念のため指摘しておきますが、日本のメディアが全てダメで欧米のメディアが全て良いなどという単純な主張をしたいわけではまったくありません。たとえば米国の保守系メディアFOXニュースにはコメント捏造疑惑がもちあがっています

(もしこの点についてご関心をお持ちの方は、6月中旬発刊の共著、永田浩三編『フェイクと憎悪――歪むメディアと民主主義』(大月書店)の第二部第四章「差別・極右への対抗とメディア・NGOの社会的責任」で詳しく書きましたのでお読みください。ポジティブな対抗策も提案しています)

 では、また。

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