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2019年08月20日 08時03分 JST | 更新 2019年08月20日 08時03分 JST

「身長何センチ?」って、そんなに重要なの? そろそろもう少し「オリジナル」な質問が欲しいです。

私は「0.03%」の世界を見ているんだ! 散々呪った過去を今、ユーモアで乗り越えようとしています。

177.1cm。私の身長である。平均身長が158.5cm(*1)の日本人女性の中で、この身長はかなり珍しい部類に入る。どれくらい珍しいかというと、同年齢の女性全体に占める割合として、私と同じかそれ以上背が高い女性は0.03%(*2)しかいない。およそ3300人に1人といったところだ。

「コンプレックス」という言葉を知る前から、私は自分の背の高さが嫌いだった。身長をネタにからかわれるし、サイズの合う服や靴は売ってないし、好きな男の子には気後れしてアプローチできなかった。ひとつひとつエピソードを書き出したらきりがない。

それでも私とこの身長の付き合い方は随分変わってきた。時に他人の言葉によって、時に自分自身の経験によって…。今では、0.03%の私に何かできることはないか、考えはじめられるようにまでなった。

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「身長何センチ?」

物心ついた時から、何百回と同じ質問をされてきた。そのあとに続く言葉もだいたい同じだ。「ご両親も背が高いの?」「スポーツやってた?」「パンツの裾直ししないでしょ」「いいなー、ちょっと分けて」 

「どうしてみんな、私の身長を訊くの? なんで身長の話しかできないの?」 

170cmを超えた小学6年生の頃、繰り返される質問に耐えきれなくなって私は母に問うた。164cmの母は困ったように私を眺めていたが、励ますようにこう言った。

「みんな、身長が高いのはいいことだと思ってるの。背が高くて素敵だから、あなたと友達になりたいと思って話しかけてるのよ」

母の言葉に勇気付けられはしたものの、納得はできなかった。たとえポジティブな理由からであっても、他人の身体のサイズについていきなり質問するのって変じゃない?と思っていた。今も思っている。 

たとえばすごくスタイルの良い人を見かけたとして、「あなたとても細いのね!体重何キロ?」とは、ふつう訊かないだろう。「ご両親も色白?」とか「子供の頃から二重まぶたなの?」なんて質問もまずしないし、女性に対して「胸大きいね!何カップ?」とでも訊こうものならセクハラである。けれどなぜか身長だけは、皆当たり前のように気軽に質問してくる。こちらも初対面の人に対して不快な顔もできないので、あたりさわりなく答える。でもなんとなくいつも、割り切れない気持ちが残る。 

鴨居に頭をぶつけては、大きめな足にフィットしないパンプスで靴擦れを起こし、台所で腰をかがめていた私に母は言った。

「大人になったら、外国に行きなさい。あなたにはそのほうが住みやすいから」

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カナダで撮影。この地でも、結構背が高い私。

 「身長いくつ?」よりも、苦手な質問ができてしまった。

母のアドバイスだけが理由だったわけではないが、私は26歳の時にアメリカに留学した。芸術が好きだったので、行き先はニューヨークを選んだ。目標はアートマネジメントを学ぶことだったが、大きな目的としては、世界が見たかった。全く知らない土地で、ゼロから自分でできるところまでやってみたかったのだ。

世界中からいろんな人が集まり、多様性が溢れる場所・ニューヨークで、私の身長コンプレックスが薄れたことは予想がつくかもしれないが、それは単なる多様性からくる恩恵というだけではなく、もっとシビアでヒリヒリするものだった。

アメリカでは、美の基準が一つではないことを日々の暮らしで体感した。日本だと皆が同じ肌の色、同じような体型で同じようなファッションをしているせいで、容姿について神経質なくらい微妙な差異まで気にしてしまう。ところがニューヨークだと、人種も体型も常識にも幅がありすぎて、比較する意味がないのだ。編み込みをした黒人女性も髪を緑色に染めた白人女性も、銀色のカラコンを入れたアジア系女性もヒジャブを被った中東系の女性も、誰もが自分の好きなおしゃれを楽しんでいて、それぞれとても魅力的だと思った(…というと聞こえがいいが実際には、冬が長いので黒いコートとスノーブーツの人が大半であった)。

さて、ニューヨークで私の身長は周りに埋もれたか? というとそうではない。

アメリカ人女性の平均身長は162.1cm(*3)である。ニューヨークでも私はやはり「背の高いアジア人」だった。ただ「身長いくつ?」と訊かれる回数は日本にいた時より格段に減った。それよりも重要な問いがあるのだ。

初対面で訊かれるのはたいてい「どこから来たの? 」「なぜ来たの?」だった。自分がニューヨークにいる理由をいつも思い出させてくれる質問だった。

そして何よりも私を緊張させる質問が、「What do you do? 」=「あなたは何をする人?」だ。これはニューヨークで一番多く聞かれたものだ。この質問をされるたび、この街で何かをなし得ない人間に価値はないのだと言われている気になった。世界中から様々なバックグラウンドを持つ人たちが来て競争している場所なのである。外見や性格や肩書きよりも、その人の「できること」が重視されていた。どれだけユニークでいられるか、どれだけ社会に価値を提供できるか、どれだけ稼げるか。能力主義の極致のように思えた。

そうした問いかけにさらされ、私は初めて、「自分は何者でもない」という強烈なコンプレックスを感じた。世界には強くて賢くて才能にあふれていてコンプレックスなどものともせず努力している人たちが星の数ほどいる。それにくらべて私はぜんぜん頑張れていないと感じた。このコンプレックスは今も根深く私の中にある。

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オーストラリアにて。キリンの子どもに負けない身長。

もし今度、身長を聞かれたら…。

コンプレックスとの向き合い方で、努力して克服する人も、意識しないよう努める人も、諦める人もいるだろう。私が幼少期から抱えてきた高身長コンプレックスの場合は、「より深刻なコンプレックスに囚われて必死になっていたら、いつの間にか忘れていた」パターンだ。

私はいま日本に住んでいるけれど、最近ではあまり身長を意識することもなくなった。

ときどき「あぁ、そういえば私は背が高いんだった」と思い出す程度である。直近の例でいうと、先日電車を待っている時に後ろに並んだ男子高校生に「うわ、めっちゃ背高いな」「俺よりデカい」とヒソヒソ囁かれた時などである(さすがに苦笑いしてしまった)(*4)。ただ、それらを気に病んでメソメソすることはもうない。日本は平和で均質的な国だなぁと思うだけである。

最近は在留外国人の比率も増えているし、社会の多様性が叫ばれるようにはなった。けれど未だに、似たような人たちの集団の中でわずかな差異をあげつらい、好奇の目を向ける人々の習性は変わっていないと感じる。

残念ながら私には、それを根本的に変える十分な力はない。でも、せっかく違う高さの目線に生まれたのだから、少しはユーモアを発揮してみたい、とは思っている。

ここ数年の私は、「身長何センチ?」という問いにどう答えるのがいちばん面白いのだろう、と常々考え続けている。とても難しい大喜利だ。0.03%の私の目線から見えていることを、99.97%の人には見えていないものを、伝えられたらと思う。 

「私に興味を持ってくださってありがとうございます。でも実は、その質問をされるのは人生でX回目なんです。もう少し、オリジナルな質問(*5)はありませんか?」…くらい言えるといいなぁと思うのだけど、勇気がなくてまだ言えていない。

出会う人すべてに己の体の長さを伝え続けなければならないという、奇妙な運命のもとに生まれたことを呪った過去もあったけれど、今ではそれを楽しもうと思っている。

目標を高く設定しすぎているかもしれない。でもがんばればたぶん届くだろう。だって、私は背が高いんだから。

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私を変えてくれた、ニューヨークの地で。

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

現在、ハフポスト日本版では「コンプレックス」にまつわるアンケートを実施中です。ご協力お願いします。