医師の強制配置は自殺行為 ~医療集団としてのプロフェッショナルオートノミーはどこ

このようなやり方で若い世代の人生を制限すれば、医師としての自由な発想やトレーニングの芽を潰し、結果として医療は衰退する。
working Asian doctor
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kokoroyuki via Getty Images

「医師は足りないのではなく、偏在である」という前提のもと、強制的な医師配置制度が始められようとしている。来年にはこの考え方に沿って医療法が改正されると言う。

漏れ伝えられるその内容は、驚くべきものだった((1)参考資料1)

医師が診療科や勤務地が自由に選べる点を規制して、地域偏在・診療科偏在の是正策を年内に取りまとめる。

・都道府県での医師確保策定計画が実効性に乏しい

都道府県の役割を強化する。計画を策定し、場合によっては保険医の配置・定数の設定をする。

医療機関の管理者は僻地での勤務歴を要件とすることを検討する。

・医師養成過程の見直し

医学部入学時の地域枠の強化

研修:募集定員に都道府県の権限強化 出身大学地域での研修を促進

専門医:地域・診療科ごとの定員枠の設定

このようながんじがらめの医師管理制度が通るわけがないと思いきや、厚労省はかなり本気らしい。議員連盟も発足し後押ししている(2)。確かに医療過疎地に医師を引っ張ってこられるなら選挙区民受けするだろう。

何より問題なのは、このような医師の強制的な管理政策に賛同している医療者がたくさんいるということである。高齢男性医師に代表される医療界のドンは「医師はあまるので偏在が問題、患者のためには過重労働も強制配置も仕方がない、国も借金だらけなので予算的裏付けがなくても仕方がない」という考え方がベースにある(3)。

これは、出産も子育ても親の介護も妻任せ、自分は医療だけに集中して滅私奉公してきたこの世代特有の考え方で、今医療界が行き詰まっている元凶の一端もここにある。このドン達にはほぼ多様性がなく、改善のヒントはたくさんあるのに医療現場と対話する姿勢がない。

また、上記のうち、管理者の要件として僻地勤務歴を挙げているが、医療機関経営にスキルが求められるこの時代にあって、僻地勤務歴が何の役に立つというのだろうか。この要件を入れたために優秀な経営者を排除することもあるだろうに、愚かなことだ。だが日本医師会から全国自治体病院協議会まで、実に多くの医療団体が管理者要件に賛同しているのである((1)参考資料2)女医に取っては、この要件ひとつとっても結婚して子供を持ち管理職に就ける可能性は限りなく低いであろう。

現在、労働基準法を守って医師を働かせれば、医師数は絶対的に足りない。その分、過重労働に賃金で報いようにも、時間外に正規の賃金を支払えば大抵の医療機関は倒産する。診療報酬は、医学的見地から最適な診療をした時に必要な費用から計算されたものではなく、まして交代制勤務が出来るために必要な医師数から設定されたものでもないからである。

かねてから指摘されていた問題点を抜本的に見直すことなく、国は最後に各都道府県へ丸投げした。ただし予算は付けずに、である。

日経新聞(2016/10/16) 医師の偏在是正へ計画、都道府県に義務付け 厚労省(4) 予算的裏付けがなく、一体どのようにして医師確保するのかと思っていたら、出てきた案が、医師の強制配置だった。

恐るべき発想である。

医療と教育は国の根幹をなすものである。宇沢弘文は、「社会的共通資本」のなかで、特に大切なのは医療と教育であり、医療は決して市場的基準によって支配されてはならないし、官僚的基準によって管理されてはならない、と述べている(5)。残念ながら現在の日本では、医療も教育も国から箸の上げ下ろしまで口を出され瀕死の状態に陥りながらも現場のがんばりでかろうじて維持されているのである。

この件について、思想家の内田樹氏が2016年に行なった講演内容が最近ネットにアップされ話題になっている(6)。その中に以下のような部分があった。

―医療の世界でかつて「立ち去り型サボタージュ」という言葉が使われました。

小松秀樹さんの書かれた『医療崩壊』という本がその事実を明らかにしました。小松先生とは一度お会いしたことがありますけれど、その時に教えられたのは、「医療崩壊」というけれど、医療もやはり惰性の強いシステムなので、簡単には崩壊しないということでした。それは現場に立って医療の最前線を守っているドクターやナースは自分の健康や家庭生活を犠牲にしても医療を守ろうとするからです。

そういう「業」を抱えた人が医療の現場に立っている。だから、制度的に破綻していても、簡単には崩壊しないんだ、と。でも、生身の人間ですから、彼らのオーバーアチーブメントに頼って支援の手当をせずに放置しておけば、いずれ一人倒れ二人倒れ、前線の維持が難しくなる。そういうお話でした。

まさにこの通りの惨状となっている。私たちは、プロとしての専門的知見と職業的倫理観に基づき、プライドを持って仕事をしてきた。永年にわたる過重労働や、時間外労働に対する賃金不払い、家庭や自分の健康を犠牲にしてでも、なんとか医療を支えてきたのは、プロとしての矜持とともに、現場は目の前の患者で手一杯であり、医療界の上層部や国がいつかは持続可能なシステムに変えてくれるであろう、それが彼らの仕事であるから、という淡い期待があった。今となっては自分たちの無知を恥じ入るばかりである。声を上げて来なかったつけは次世代に押し付けられる。

医療は、厚生官僚(2017/7/23「日本の専門医制度の行方と問題点」堀岡伸彦氏講演)をして「すべての業界を通じて不動の一位」と言わしめるブラック業界である。11月7日に公表された「勤務医労働実態調査2017」の中間解析(7)で、医療現場が望む解決策の第一位は「医師数の増員」であった。いまだ日勤からの連続勤務である「夜勤」を当直と称して安い手当で使い倒し、翌日もそのまま勤務させる労働基準法違反が、医療安全と医療者の健康を脅かし勤務医の立ち去りを誘発しているのである。また遠出も飲酒も制限され精神的にも解放されない(しかも勤務時間にカウントされない)オンコールというものもある。

勤務医達の第一希望「完全休日を増やしてほしい」という極めて当然のささやかな願いさえ叶えられる兆しもないのである。結果、一部の都市部では開業医が増え、過当競争になっているところもある。また、医師の偏在は西高東低となっており、その大きな理由は「歴史的な経緯による医学部の偏在」に端を発している(8)。しかしながら医師がたくさんいると言われている地域でさえ、医師の交代制勤務はほとんど出来ていない。

医療機関の集約化をして、一医療機関あたりの医師数を増やし、オンオフはっきりした働き方に変えれば、子育て中の医師でも辞めずに済む。開業医やフリーランスへの立ち去りも減るだろう。その際、人や技術ではなく、検査やものに価格をつけてきた今の診療報酬制度も変えなくてはならない。この診療報酬制度の下では、医療の供給体制を長期間にわたって、望ましい状態に保つことはほとんど不可能であるといってよい「社会的共通資本P172」のである。

全国一律の診療報酬ではなく、地域毎のニーズに合わせて各地域が調整出来るシステムにしないと、もともと医療資源が足りずに過疎化している地域では、最後の砦の医療機関まで潰れてしまう。たとえその医療機関が地域の健康と雇用、税収、すべてに寄与していたとしても、だ。

社会的共通資本として医療制度を考える時、短期的にも長期的にも、いわゆる独立採算の原則は妥当しない。医学的最適性と経済的最適性とが一致するためには、その差を社会的に補填しなければならないからである。「社会的共通資本P181」

他国、たとえば、スウェーデンでは、国と地方の役割分担が明確である。県が医療、市町村が福祉介護教育を担当する。収入の多少に拘らず平均30%の地方所得税が医療に使われるが、その使われ方は住民に身近な地方議会で議論され決定している。負担と給付の関係がわかりやすいので、自らの選択として高負担を受容させる大きな要因になっている。

日本でいくら都道府県に医師確保の計画を策定させようとも、今の診療報酬体系では無理なものは無理なのである。法律違反の過重労働と賃金不払いには目をつぶり、医師の配置だけ強制的に行なうとは、一体いかなる了見なのだろうか。

筆者は今50代で、生まれ落ちた頃国民皆保険が始まり、男女雇用機会均等法第一期世代である。名ばかり同権は、女性に男性同様の無理な働き方を求め、私生活は犠牲となり、同世代の医師で常勤として働き続けた女医の未婚率は35.6%(同世代の男性医師の未婚率は2.8%)にも達した(9)。また結婚して子供を持った場合でも、女医のパートナーは帰って来ない過重労働の医師であることが多く、働きながら子育てもワンオペでこなさなくてはならないスーパーウーマンを要求されてきた。

私たちは、医師は労働基準法の範囲外、時間外は基本給に含まれている、という病院管理者の詭弁を疑うことさえしなかった。医療界のリーダー達は未だに遵法精神に乏しく、今も古い規範を医療現場に押し付けてくる人が多い。

繰り返すが、最も大きな問題は、国による医師強制配置の流れの中で、同じ医療者が体制にすり寄り、積極的に医師の強制配置に手を貸そうとしていることである。

自民党内に先だって発足した「医師養成の過程から医師偏在是正を求める議員連盟」の設立総会(2)で、医師でもある古川俊治参院議員は、初期研修を止めて大学に研修医を集めて医師を派遣せよと主張し、三ッ林裕巳衆院議員(医師)も大学の医師の派遣機能が失われているのが問題で、大学に人を入れるよう述べている。

現状説明で参加した日本外科学会理事の大木隆生氏も人材派遣出来るのは大学だと大学に人を集めるように主張し、日本産婦人科学会理事長の藤井知行氏は、専門医制度により地方で一定期間研修をしなくては専門医になれないとなり、地方に行ってほしいと言いやすくなった、多少の強制力は必要だ、と述べている。この方々の中では、大学の復権と医師の強制配置がリンクしている。他にもこの法案を検討する委員の中に強制配置を推進している人を何人もおり、その想像力のなさに愕然とする(10)。

若手の医師・医学生は、地方枠を増やして医学部入学時より金銭的にも時間的にも縛られ(地域枠の問題点は(11)参照))、初期研修から専門医まで、人生の最も伸びる時期に「医療の質」のためではなく、偏在対策のために居住の自由と専門の選択を制限され留め置かれる。専門医制度の問題は何度も繰り返し指摘してきたが(12)、専門医機構に問題点を拾い上げる窓口も検証するシステムもないまま、来年度から強引に開始される。

医師の強制配置は自殺行為である。このようなやり方で若い世代の人生を制限すれば、医師としての自由な発想やトレーニングの芽を潰し、結果として医療は衰退する。医師としてのモチベーションを高める仕組みがなければ、それは医療者にとっても患者にとっても不幸なことになる。筆者の世代は家族との時間や健康が優先されることも時間外賃金等の金銭的恩恵にあずかることは出来なかったがこれはもう仕方ない。だたし、次世代のためにはいくら忙しくとも、現場の医療者も声を上げなければいけない。このままでは教育界と同じく医療界も詰んでしまう。しかもオウンゴールで。

医療者は一致団結して医師の強制配置に反対しなければおかしい。

医療集団としてのプロフェッショナルオートノミーはどこへいったのか。

参考

(1)医療従事者の需給に関する検討会 医師需給分科会(第14回)

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000184027.html (参考資料1、2)

(2)自民党で「医師養成・偏在是正議連」が発足

https://www.m3.com/news/iryoishin/566866

(3)全国自治体病院協議会会長の邉見公雄氏に聞く

労基署に踏み込まれる前に医療界がすべきこと

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t301/201711/553573.html?n_cid=nbpnmo_fbbn

(4)医師の偏在是正へ計画、都道府県に義務付け 厚労省https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22307730W7A011C1EE8000/

(5)「社会的共通資本」宇沢弘文著 岩波新書

(6)内田樹 大学教育は生き延びられるのか?

http://blogos.com/outline/256652/

(7)勤務医労働実態調査2017の中間解析 当直明けの連続勤務で「診療ミス増」が27%

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t301/201711/553582.html?n_cid=nbpnmo_fbed

(8)日本の医療格差は9倍 医師不足の真実 (光文社新書) 上昌広 (著)

(9)職業別の生涯未婚率

http://tmaita77.blogspot.jp/2014/02/blog-post_9.html

(10)神野正博のよもやま話

http://keijumed.exblog.jp/27626610/

(11)Vol.216 厚労省による医師管理の厳格化は正しい道か ~これは研修医奴隷制度ではないのか~ http://medg.jp/mt/?p=7898

(12)Vol.164 これから専門医を取ろうとしているドクターへ この制度の問題点を知ろう

http://medg.jp/mt/?p=7749

(2017年12月12日MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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