男性の私は8歳の時に性暴力を受けた。そのことをずっと、誰にも話せずにいた

私の経験を共有することで、他の人たちが孤独を感じずにすみ、変化がもたらされることを望んでいます。
2022年の筆者
2022年の筆者
PHOTOGRAPH BY RYAN CLEMENS

注意:記事には性暴力の描写が含まれます

何年も過去の経験を否定し続け、3年にわたるセラピーを受けた後、ようやくはっきりと言えるようになりました。

私は8歳の時に性的暴行を受けました。

母は用事があったので、8歳の私を家族の友人の家に預けました。その家には利発な10代の「ソーヤー」がいて、母は彼であれば安心して息子を任せられるだろうと思ったのです。

8歳の私は、ジュースを飲みながらディズニーチャンネルを見たいと思っていました。まさか暴行を受けるなんて想像していませんでした。

テレビを見ていると、いつの間にかソーヤーが私のズボンを脱がせ、私の手を自分の体に押し付けていました。

私は彼の手を振り払おうとしましたが、彼は「触れたくないなんて、おかしい」と言いました.。

私は抵抗し続けましたが、止める術はありませんでした。自分が完全に無力だと感じました。

彼が私の耳元でささやいたのを覚えています。「ふたりとも素晴らしい気分になれるよ」と。彼が教える「新しい技」を気にいるだろうとも言いました。

その日の夕方遅くに母が迎えに来た時、私は一言も喋りませんでした。自動車事故を目撃したのに、すぐに助けを呼ばなかったように感じました。

私はショックを受けていて、他人として自分を眺めているような気分でした。

数週間後、母は私に、ソーヤーにまた面倒を見てもらいたいかと尋ねました。私は自分の身に起きたことをどう説明していいかわからなかったので、 何も言いませんでした。

ソーヤーは今度は私にポルノを見せ、これを知っていれば「クールになれる」し、「しっちゅう見るべきだ」と説明しました。その一方で、私たちのしたことや彼が私に見せたものについては、誰にも言ってはいけないと約束させました。

私は、ソーヤーの命令は絶対に守られなければいけないと思っており、彼の言葉に従いました。

彼に、「これをやれば大人になったように感じられるし、二人の間だけのことだ」と言われ、自分は特別なんだという気持ちになりました。

私は性的な行動の性的な行為の重大さを理解できておらず、間違っているとも感じましたが、ソーヤーを喜ばせたいと思っていたのです。

その後、私は頻繁にポルノを見るようになり、何人かの友人にも見せました。するとすぐに、友人が私と遊ばなくなりました。しかし、私や母に理由を教えてくれる人はいませんでした。

今になってみれば、私が住んでいた保守的な町の人々は、この問題に正面から向き合うより、見て見ぬふりをしようとしたんだと思います。

私はのけ者にされ、自分を軽蔑し始めました。

時が過ぎるにつれ、生きるのが苦しくなりました。周りの人たちは問題なく生活しているのに、自分はしょっちゅう悲しみを感じていて、その理由はわかりませんでした。

ソーヤーは「クールな人間になれる」と言ったのに、それとは程遠いと感じました。

また、教会では、私の頭の中にある考えは「罪深いことだ」と教えられ、ますます自己嫌悪に陥りました。自分の考えていることを周りには言ってはいけないと思いました。

自分自身のこと、そしてセクシュアリティはわからなかったけれど、たとえ男の子に惹かれても、行動してはいけないと理解していました。心の底で感じていたことは全て隠し、そのことでも激しい自己嫌悪に苛まれました。

そして異性愛者であるように務め、適切な処置を施さないまま、過去を葬り去りました。

外から見ると、私は普通に静かな子ども時代を過ごしたように見えたでしょう。

でも、誰も私に何が起こったのかを知りませんでしたし、私も決して誰にも知られないようにしようと心に決めていました。

2007年の筆者。イリノイ州シカゴの自宅で
2007年の筆者。イリノイ州シカゴの自宅で
COURTESY OF CHRISTIAN WEISSMANN

2018年、私はロサンゼルスに引っ越しました。

初めてのガールフレンドができ大喜びしましたが、体の関係を持ち始めると、不安の発作が出るようになりました。

楽しみたかったのに、不安がそれを許してくれず、「彼女は私のことを好きなのだろうか?」 「できるだろうか?」 「続けられるんだろうか?」 「私は醜いんじゃないか」 「彼女は楽しんでいるのだろうか?」 「ソーヤーが自分にしたこと、覚えてる?」 「自分は本物の男じゃない。男になろうとするのはやめろ」と考え続けずにはいられなくなりました。

この時には、自分がバイセクシュアルだとわかっていましたが、公表する準備ができていませんでした。

私は、タフで、異性愛者で、性的に相手をリードできる男であらねばならないと自分に言い聞かせていました。

しかし、不安を隠すことができず、望む時に性的関係を持つことができませんでした。

幸いにも、ガールフレンドが驚くほど辛抱強く対応してくれました。そしてリラックスできるようになるにつれ、自分の頭の中に湧いてくる様々な考えをコントロールできるようになりました。良い日もあれば、悪い日もありました。

彼女と別れた時、私は自分の中に大きな恥の気持ちが存在していることに気づきました。この感情に圧倒され、人生のあらゆる場面で痛みを感じるようになりました。

そしてついに、自分に起きたことすべてを、母に話しました。心理学者とのカウンセリングを予約し、今でも抱えているトラウマと向き合うようなりました。

ある時、セラピストが「少なくとも男性の6人に1人が、生涯のある時点で性的虐待や暴行を受けた可能性がある」と話してくれました。

また、この統計には「身体的接触のないもの」は含まれておらず、シスジェンダーの男性は自分の受けた性的暴行について話すことが少ない傾向にあるため、実際はもっと多いだろうとも話しました。

私は怒りを覚えました。こんなにも多くの男性が性的暴行の被害を受けているのに、なぜ誰も話題にしないのだろう?

社会は私に「性暴力の犠牲になるのは“弱い人間”で、“真の男”はそんなことは決して経験しない」という考えを吹き込んできました。

セラピストは、この統計は弱さではなく、回復する力を伝えているのだ、と話してくれました。

さらに「このトラウマを世代を超えて引き継がないようにするためには、自分自身を責めないことが重要だ」とも言いました。

私の中で何年も形作られていた、偽りと有害な男性像が崩れ始め、初めて安堵感を感じました。

私は、トラウマを処理し、自分の性的指向を受け入れるよう努力しました。

そして、自分の受けた性的暴行の現実と、それが日々の生活にどんな影響を与えてきたかに正面から向き合いました。

不安や恥の気持ちは、私の自分自身に対する考え方を毒していました。

私は加害者と会わずに、起きたことを受け入れるという決断をしました。

また、男性に惹かれるのは、加害者が男性だったからではないともわかりました。クィアであるのは性的暴行のせいだと言う人たちはたくさんいますが、そうではありません。

自分の性的指向を受け入れ、過去の性的暴行と向き合うことで、トラウマが魔法のようになくなってほしいと望みましたが、そんなにラッキーではありませんでした。

まだ新しい性的な関係、特に男性と関係を持つことに恐れを感じていました。数え切れないほどたくさんの性のセラピストや心理学者、精神科医のカウンセリングを受けると、皆が「自分自身に対して忍耐強く、そして優しくあるように」とアドバイスしてくれました。

2015年の筆者。ロサンゼルスで撮影
2015年の筆者。ロサンゼルスで撮影
PHOTO BY SIERRA PRESCOTT

私にとって人生で最大の困難が、大人になっても抱え続けている自己不信と恥の気持ちであることは間違いありません。

それでも過去を受け入れ、自分を責めなくなるにつれ、以前よりも平穏さを感じられるようになりました。

しかし、毎週のセラピー通いを数年続けただけで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が治癒できるわけではありません。

性的暴行のトラウマからの回復には一生かかるかもしれません。私は被害者ですが、自分自身の幸福や健康のために、毎日よくなるための選択をする必要があります。

それを続けるうちに、以前よりも日々の生活における心へのストレスを感じなくなりました。

私にはバイセクシュアルであることをカミングアウトした後、長く付き合っているパートナーがいます。

居心地の良い性的な関係を保つためには、信頼と時間の2つが必要だとわかりました。カジュアルな関係は私の回復には向いていませんが、人はそれぞれ異なります。

信頼できる確実なつながりを求めることが、性的な関係の不安への最も良い対処法になっています。

最近では、しばらくデートをせず性的な関係を持たないことも健康的だと気付きました。

性的な関係に伴うプレッシャーや問題を取り除くことで、大きな開放感を得られています。

私には、痛みを受け止めてくれる友人や家族がいます。彼らは私に、自分の経験もしくは私自身は負担ではない、と感じさせてくれます。

私は彼らの思いやりから勇気をもらい、自分の経験を公表することを決心しました。

それでも、まだ恐ろしいと感じることもあります。

私は、男性たちが自分が感じている痛みについてよりオープンで複雑な会話をすれば、世界は大きく変わると信じています。

それは簡単なことではありません――私にとって最も難しいことかもしれません。

しかし、性的虐待を受けたのは私だけでありません。もっともっとたくさんの人が被害を受けていると私は知っています。

私の経験を共有することで他の人たちがより孤独を感じずにすみ、会話が始まり、変化がもたらされることを望んでいます。

<子どもの性被害に関する相談窓口>

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