高校生で単身上京、2人の子育て、義母との距離感。彼女が週に一度だけ“家族ごはん”を食べる理由

私たちは、他の人が家で普段どんな風にどんなものを食べているのか知らない――。新連載「食卓を縫う」

事前に教えてもらった住所にたどり着き、マンションのエントランスでインターホンを押す。

エレベーターに乗って、辺りを見渡していると部屋の前で手を振る女性と女の子がいるのが見えた。鈴木かなさん(36歳・仮名)と、あいちゃん(5歳・仮名)だ。かなさんはショートカットで、鼻がスッと高くて凛とした印象。けれど、笑うともれなく一緒にいる人を安心させてしまうようなやさしさが漂った。

自分で立てた企画とはいえ、初対面の方のおうちに夕食を食べに行くのはとても不思議な気持ちになる。Twitterで呼びかけたため、実際にお会いするのは初めて。

こんな図々しい企画を立てた理由は、他人の食卓への強い関心があるからだ。

幼い頃、自分にとって“普通”だった実家での食事が、スタンダードでは決してないことに、自分が一人暮らしを始めて、大人になっていろいろな人と話をする中で気が付いた。

私たちは、他の人が家で普段どんな風にどんなものを食べているのか知らない。想像するしかない。他人の食生活について知ることは、相手の懐(ふところ)に入れてもらうような時間なのかもしれない。

多様化が進むなかで数少ない接点であり、他者の背景を知り、身近に感じられるもの――。突破口になるのは「食卓」だと思った。

一人暮らしの私のちゃぶ台も、子育て世代のにぎやかなテーブルも、コンビニのイートインコーナーも、「食卓」という共通項で繋がっている。

そんな想いを抱えながら、かなさんの家の玄関をくぐった。

部屋にお邪魔すると、まず飛び込んできたのは女の子向けのおもちゃ。

かなさんが夕飯の支度をしてくれている間、両手をあげて抱っこを要求するはるちゃん(3歳・仮名)と一緒に遊び、猫のまあちゃん(13歳・仮名)に挨拶をする。独身のときから一緒に暮らすようなまあちゃんの絵は、かなさんの腕にも刻まれていた。

かなさんと小さな子ども2人が暮らす家は、独特のあたたかさがある。

少しずつ食卓に並べられていく料理の数々を横目に見ながら、自分が生まれ育った家の食卓がオーバーラップする。私の母がよくつくっていたものとは違う料理、多い品数。それなのに、どこか懐かしい気持ちになるのはなぜだろう。

かなさんの辿ってきた食卓の系譜を早く知りたいと思った。

唐揚げとにんじんのきんぴら、子どもと囲む日々の食卓

その日、食卓に上ったおかずは全部で6品。写真右手前からピーマンとにんじんの炒め物に茄子の揚げびたし、唐揚げ、黒豆に納豆、にんじんのきんぴら。

一人暮らしの私には“誰かがつくってくれたご飯”というだけでも染み入るものがあるが、品数の多さにも感激した。でも、お子さんを2人も育てながら、毎日こんなに豪華な食事をつくっているのだろうか。

「普段はどんなものをつくることが多いですか」と水を向けると「子ども用と自分用に違うものをつくることが多い」とかなさんは話す。

「子ども用には今日も作った唐揚げやにんじんのきんぴらをよく作っていますね。あとはオムライスとか。ご飯が進む海苔やしらす、たらこを常備しておいて、野菜のおかずを数品足すこともあります」

「ただ、私はお酒を飲むので、おつまみに野菜炒めをつくったりとか、同じ食卓でも別のものを食べていることが多いです。とはいえ、『今日はマックで』みたいな日もあります(笑)」

そういって、かなさんが見せてくれたのが生協のチラシ。小分けで冷凍されたお肉やパウチを温めるだけで食べられる焼き魚、冷凍ジェノベーゼソース、離乳食まで、びっしり並んでいる。

端から端まで目を通すのに時間がかかりそうだなと思っていたら、やはり40分はかかってしまうのだそう。それでも、週に1回届けてくれるのが便利で、今年から使い始めたのだとか。

パウチの魚やお肉を見せながら「手抜きですけど」とどこか申し訳なさそうにするかなさん。勢いよく首を横に振りながら、手作り至上主義の呪いは、現代の子育て世代にも残っているのかと、その根強さを思った。

家族全員で週に1度だけ食卓を囲むワケ

自分用と子ども用にご飯をつくっていると言ったけれど、旦那さんのご飯はどうしているのだろう。

素朴な疑問が湧き尋ねてみると、現在は別居中だと教えてくれた。

かなさんは高校卒業後、出版社でアルバイトとして勤務し、デザイナーに転身。20代は雑誌のデザイナーとして締め切りに終われる忙しい日々を送った。古い友人だった夫と再会し、紆余曲折を経て結婚したのだという。

近所に一人で暮らす夫は、週に1度だけ帰ってきて家族全員で食卓を囲む。普段はかなさん、あいちゃん、はるちゃんの3人が食卓のレギュラーメンバーだ。

今のような形式になったのは、1年前。それまで多いときは近所にある夫の実家で週に2~3回ご飯を食べていたという。

「事前に約束しているわけではなくて、私がご飯支度をしていようがいまいが15時くらいに『今日来られる?』と突然連絡が来たんです」

「娘も生まれたし、週に1回にしてほしいと提案したんですが、だんだんご飯を一緒に食べる金曜が近づくと血尿が出たり、耳鳴りや動悸がしたりするようになって……」

サービス精神が豊富な義理の母は、みんなで一緒にご飯を食べる時間を大切にしたかった。新鮮な食材も頻繁にくれたが、週に数回も外でご飯を食べると使い切ることもできない。食材を腐らせてしまうことも増えた。

しかし、それ自体が直接的な不調の原因ではない。義母に想いを何度伝えても意に介されなかったことが、かなさんを徐々に精神的に追い詰められていったのだ。

「お義母さんは時代背景もあって、自分が嫁いで厳しい環境で頑張ってこられて、自分の家事や料理に誇りを持っている方なんですね。悪気はないんだと思うんですけど『あなたたちは恵まれている』という話をよくしていました」

「最初は大変だなぁと思って話を聞いていましたし、できるだけお義母さんの希望や想いを汲もうとしていたんですけど、そのうちに限界が来て。傷つけないように配慮しながらも、口頭やテキスト、人づてなど、色々な方法で想いを伝えようとしたけど伝わりませんでした」

かなさんの夫は、そんなお義母さんに何の違和感も抱いていなかったそうだ。

「夫には『こんなにしてもらっているのに何が不満なの?』と言われたこともあります。自分の想いが全く伝わらない。そんな空間で、週に1回食卓を囲むのが耐えられなくなってしまったんです」

身体が限界を迎えたかなさんは、夫にある決断を迫る。

「私も(これ以上)身体を壊したくなかったので、夫に、実家でご飯を食べるのをやめるか、離婚の準備として別居するかの2択を迫ったんですね。そしたら『とりあえず出ていく』と早々に出て行ってしまったんです」

「『離婚の準備ということでいいの?』と聞いたら『冷却期間かな』と。そのかわり、実家にご飯を食べに行くのはナシにして、週に1回は家族全員でご飯を食べようとルールもテキパキ決まりました。たぶん面倒なことを言われたくなかったんじゃないかな。でも、お義母さんや育児の問題をパートナーである夫と解決できなかったのが一番つらかったです」

別居生活が始まってからは持病のあるはるちゃんの通院や、あいちゃんの保育園への送り迎えなどの合間を縫ってデザインの仕事を続けているかなさん。実家でご飯を食べなくなったことで体調は回復しつつあったものの、完全なるワンオペ育児を送っている。

しかし、別居生活がもたらしたものは悪いことばかりでもない。最近、近くに越してきたかなさんのお母さんとご飯を食べることも増えてきたという。

「以前は夫もいたので、母も気を遣って『一緒にご飯を食べよう』とはあまり言ってこなかったんですが、最近はよく母の家に行っていますね。母は台湾人なので、電気鍋を使った料理が多くて。この間は鶏ガラスープをつくってジップロックで持たせてくれました」

母のつくる水餃子、祖母のつくる手作りちまき

台湾人のお母さんが電気鍋でつくる料理――。

かなさんの言葉に興味を持たない人はいないだろう。私も例に漏れず「幼い頃はどんなものを食べていたんですか?」と聞いてみると、「日本の家庭料理はあまり出てこなかった」とかなさん。中華料理店で出てくるような揚げたお魚や水餃子をよく食べていたという。

また、台湾に住む祖母のつくる料理も思い出の味のようだ。

「台湾に住むおばあちゃんも水餃子が得意でした。大人になってからはあまり行っていないんですけど、ちまきとかもよくつくってくれて。自家製の角煮をご飯に混ぜて、どこで入手したのかわからない笹の葉で巻いて、すべて家でつくっていましたね」

話を聞いていると、台湾にルーツがあるだけでなく、上海にもゆかりがあることがわかった。父の仕事の都合で、かなさんが中学2年生のときに一家で上海に移住したのだ。

現地では日本人学校に通い、昼間食べるのはお弁当だった。上海で食べていた日本食風のお弁当について、かなさんはこう回想する。

「住んでいた場所の近くには海外資本の大型スーパーしかなかったんですよ。当時は今ほど日本食ブームでもないですし、母はできるだけ日本を感じられる食材を探して買っていてくれたんじゃないかなと思います。具体的には、外国製のソーセージをお弁当に入れてもらったり、食パンをサンドイッチ風にしてもらったり」

また、放課後には屋台に寄り、細い棒に巻きつけられた10元(※当時の日本円で100円未満)の羊肉を買って食べるのが楽しみの1つだったという。

かなさんは懐かしそうに目を細めた。

単身、東京へ。寮で自炊した高校生活

しかし、上海に渡航してから2年ほど経った高校1年生の頃、父が突然の失踪。日本に帰るあてもなく、かなさんと妹、母の3人は数年間の上海滞在を余儀なくされた。

「けっこうグレましたね。東京に帰れないのがずっと嫌で、高校3年生になる直前に『1年だけ東京の高校で制服を着させてほしい』とお願いしました。ただ、母は現地で仕事を見つけていたので『帰れないから、行くなら一人で探してきて』と言われて」

「トランク1つで東京に戻って、中学の同級生づてに『どこか入れそうな高校ない?』と聞いて自力で探しました。久しぶりに帰ってきた日本の生活がうれしすぎて、コンビニのおにぎりも輝いて見えた時期がありました(笑)」

自力で探した高校に帰国子女枠で無事に編入できたかなさん。自分の希望だったとは言え、女子高生ブーム全盛期の日本の高校に転校するのは心配だったという。

しかし、いざ学校に行ってみるとそんな心配は無用だった。

「金髪のロシアの子もいるし、カミングアウトしているゲイの子もいるし。中国出身の子は体育の授業中、ずっと太極拳しかしてないのに先生もスルーしていましたね(笑)。一人でいたいときは一人でいられるような空気で、高校3年生の1年間は一番心地良い学生時代でしたね」

一人で帰国したかなさんが住んだのは、地方出身の女子学生のための寮。部屋代を節約するために2人部屋に入り、ルームメイトは青森から出てきた美容師志望の女の子だった。

「窓が鉄格子で閉鎖病棟みたいな部屋でした」と笑いながら、かなさんは当時の生活を振り返る。

「無理を言って私立に転校したこともあってお金がなくて。学校に行って門限ギリギリまでバイトをして寮に帰る生活でした。寮に食堂もあったんですけど、あまりおいしくなくて共同のコンロで自炊していましたね」

「友達に『プリクラ撮りに行こう』といわれてもお金がないと断ったら『いいよ、奢るから』って。友達が実家からパンを持ってきてくれることもありました。お金はなかったけど、けっこう楽しかったですね」

独身のころから飼っている猫のまあちゃん
独身のころから飼っている猫のまあちゃん

かなさんが、悩みや相談があるときに連絡する「いのちのLINE」グループのメンバーも高校時代のクラスメイトたちだという。本音をぶつけられる「いのちのLINE」で話されるのは、恋愛や離婚、子育てについて。

17歳のかなさんが全力を尽くして掴みにいった日本での高校生活。そのときに出会った仲間たちが今のかなさんの命を繋いでいる。

かなさんは別れ際、「最近はもしも離婚することになってもいいように、リフレクソロジーの資格をとって十分な収入を確保したい」と話してくれた。

ちなみに、上海で失踪した父は数年前に息を引き取ったという。

.........

かなさん、あいちゃん、はるちゃんの3人と猫のまあちゃんに見送られ、部屋を出てから私は食卓の風景を思い返していた。

席に着いてすぐに納豆ご飯をものすごい勢いで掻きこみ、かなさんや私のご飯茶碗を指さしておかわりの意思を示すはるちゃんの姿。小さな身体に秘められた食欲の旺盛さに生命力の高さを感じて圧倒されたのを思い出す。

食卓では、はるちゃんの力強い抱擁を戸惑いながらも全力で受け止めた。

温かくて、パワーがあって、生きているという感じがした。

祖母のちまき、母の水餃子、高校時代の自炊の思い出が連なって、現在のかなさんの「食」をかたちづくっている。目の前にある料理たちが急に人の歴史が立ち表れたように感じられ、あのとき私は歯の奥でぐっと噛み締めるように、にんじんのきんぴらを食べた。

子どもや海外生活の有無など、かなさんと私の違いを挙げればキリがないけれど、一緒に食卓を囲みながらいろいろな話をしていると、個と個のまま、その間に橋が架かる気がする。

食は、命と記憶を繋ぎ、歴史として堆積していく。

食卓は、ただ言葉を交わすより、人とつながる装置だと感じた。

分断を食卓で縫う。

紫色の茄子の煮浸しが、鮮やかにきらりと光ったのを思い出す。

かなさんの人生のようだった。

(文:佐々木ののか 編集:笹川かおり)