モンキー・パンチさん死去。「ルパン三世」の生みの親、ペンネームの由来は本人も知らなかった

「作者が外国人か日本人か、わからなくしたかったんじゃないでしょうか」
宝塚雪組公演「ルパン三世」の東京公演初日を終え、原作者のモンキー・パンチさん「3次元の空間に驚いた。立体的に見えて迫力がある。漫画とは全く違った世界で勉強になった。宝塚の作品に負けないオリジナルの漫画を描きたい」と話す。中央はルパン三世役の早霧せいなさん、左はマリー・アントワネット役の咲妃みゆさん=2015年02月20日、東京都内
宝塚雪組公演「ルパン三世」の東京公演初日を終え、原作者のモンキー・パンチさん「3次元の空間に驚いた。立体的に見えて迫力がある。漫画とは全く違った世界で勉強になった。宝塚の作品に負けないオリジナルの漫画を描きたい」と話す。中央はルパン三世役の早霧せいなさん、左はマリー・アントワネット役の咲妃みゆさん=2015年02月20日、東京都内
時事通信社

日本が誇るアニメ『ルパン三世』の原作者で漫画家のモンキー・パンチさん(本名:加藤一彦)が4月11日、肺炎のために死去した。81歳だった。故人の遺志により葬儀は近親者のみで済ませたという。同氏の公式サイトで発表された。

■編集長の独断で命名「ペンネームつけてやる、モンキー・パンチだ」

日本私立大学協会の公式サイトによると、モンキー・パンチさんは、1937年、北海道の浜中村(現在の浜中町)出身。終戦後に登場した手塚治虫さん(故人)の漫画にショックを受けたと話していた。

<<戦時中と違った新しい漫画にショックを受けた。『鉄腕アトム』や『ふしぎな少年』の模写を夢中でやった>>

北海道霧多布高校を経て、東海大学専門学校電気科中退。1967年に「週刊漫画アクション」で『ルパン三世』を連載開始した。読者の反響がなければ違う題材に変更される方針だった。

 アメリカの風刺漫画雑誌「MAD」の影響を受けたという荒々しいタッチで、アルセーヌ・ルパンの孫にあたる大泥棒のルパン三世と、次元大介、石川五ェ門、峰不二子、銭形警部ら個性的なキャラクターを描き、先を読めない展開が人気を呼んで2年間、連載された。

1971年以降、たびたびテレビアニメ化されて大ヒット作品となった。1979年に公開された劇場版第2作の「ルパン三世 カリオストロの城」は、宮崎駿さんの映画初監督作品となった。

モンキー・パンチという変わったペンネームの由来については、双葉社で「週刊漫画アクション」の初代編集長だった清水文人さん(故人)の命名だという。本人は産経新聞のインタビューで以下のように振り返っていた。

<<あるとき、僕の漫画を見た清水さんが「加藤一彦という絵じゃねえよな。ペンネームつけてやる、モンキー・パンチだ」って。理由は聞けずじまいでしたが、作者が外国人か日本人か、わからなくしたかったんじゃないでしょうか。>>

4月11日「ルパン三世」原作者 モンキー・パンチ先生がご逝去されました。

生前は多くの魅力的なキャラクターを生み出し、映画「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」ではアニメーション監督としてもご活躍くださいました。

謹んで哀悼の意を表すとともに感謝を申し上げます。
ありがとうございました。合掌 pic.twitter.com/h45Mj6c7SQ

— アニメ「ルパン三世」公式 (@lupin_anime) April 16, 2019

注目記事