「スイカ」がパレスチナへの連帯で使われる理由。愛される食べ物が抵抗のシンボルになるまで

中東の人々にとって身近なスイカは、なぜ自由を求める闘いの強力なシンボルになったのでしょうか
イスラエル・テルアビブでスイカのイラストが描かれたTシャツで抗議する市民(2023年8月12日)
イスラエル・テルアビブでスイカのイラストが描かれたTシャツで抗議する市民(2023年8月12日)
Anadolu Agency via Getty Images

10月7日のハマス襲撃に対する報復として、イスラエルがパレスチナ・ガザ地区に対する攻撃を1カ月以上続ける中、ある食べ物が停戦や抗議活動のシンボルになっている。

それはスイカだ。

世界各地で行われているデモで、参加者がスイカのイラストを掲げているほか、SNSでもスイカの絵文字などが投稿されている。

なぜ、スイカがパレスチナへの連帯になるのか。

ドイツ・ベルリンで旗やスイカのイラストを掲げて、パレスチナの解放を求める市民(2023年10月28日)
ドイツ・ベルリンで旗やスイカのイラストを掲げて、パレスチナの解放を求める市民(2023年10月28日)
Sean Gallup via Getty Images

抵抗のシンボルとなったスイカ

スイカは長年、パレスチナを象徴するシンボルとして使われてきた。

そのきっかけとなったのが、第3次中東戦争後のイスラエルによるパレスチナ旗の禁止だ。

イスラエルは1967年6月5~10日の6日間続いたこの戦争で、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区やガザ地区などを占領した。

エルサレム・ポストによると、イスラエルはこの戦争の後に、公共の場でパレスチナの旗を掲げることを禁止し、破った場合には禁固刑を課すとした。

旗を禁じられたパレスチナの人たちが、代わりに使い始めたのがスイカだ。

スイカはカットすると、パレスチナの旗と同じ、赤、緑、黒、白の4色になる。

パレスチナ人たちは、旗の代わりにイラストやスイカそのものを使い、イスラエルによるガザやヨルダン川西岸の占領に抗議。

中東で身近な食べ物であるスイカが、自由を求める闘いの強力なシンボルになった。

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旗の禁止は、1993年のオスロ合意で撤回されたものの、イスラエル当局はその後も、パレスチナの旗を危険な存在とみなし取り締まっている。

2022年に、カタールの衛星放送局アルジャジーラのシリン・アブアクレ記者がイスラエル兵に銃撃されて死亡した際には、同氏の葬儀でパレスチナの旗を掲げていた参列者らをイスラエル当局が取り押さえ、衝突が起きた。

また2023年1月には、イスラエルのイタマル・ベン・グヴィル国家安全保障相が、公共の場でパレスチナの旗を押収する権限を警察に与えると発表した

他にも、大学などでパレスチナの旗を禁止する法律を作ろうという動きがあったほか、6月にはプライドパレードでパレスチナの旗を掲げた参加者が逮捕された

こういったパレスチナ旗に対する当局の取締りに、市民や識者らが抵抗している。

民主主義と平等のために活動するユダヤ人とアラブ人の団体「Zazim」は6月、パレスチナ旗の取締りや逮捕に抗議するキャンペーンを実施。

16台の乗合タクシーに、スイカのイラストと「これはパレスチナの旗ではない」というメッセージを描いて、テルアビブを走行した。

同団体のラルカ・ガネアさんは「政府に対する私たちのメッセージは明確です」と、タイムズ・オブ・イスラエルに述べている。

「どんなに馬鹿げた禁止措置であろうと、必ず回避する方法を見つけます。私たちが表現の自由と民主主義のための闘いを止めることはありません。それがプライドフラッグであろうとパレスチナの旗であろうと」

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