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2019年03月02日 09時00分 JST | 更新 2019年03月07日 13時23分 JST

「理解の種をまく人になりたい」 同性婚訴訟には参加していなくても、広島の同性カップルには伝えたいことがある。

突然パートナーが寝たきりになったら。事実婚を続けるレズビアンカップルの日常を取材しました。

大下さん・岡田さん提供
広島市に住む岡田唯さん(左)と大下桜さん

夜の8時を過ぎるころ、広島市に住む岡田唯さん(32)は、勤め先のアクセサリー販売店から家路につく。

「ただいま」の声に大下桜さん(28)が答える。「おかえり。きょうヘルパーさんがね」と続ける。Twitterで仲良くなった人の話、ハマっているゲームの話、伝えたい話題は尽きない。

岡田さんは「ちょっと喋るの一回止めて」とさえぎると、「私の情報を入れる時間ください」と話し始める。2人の会話は、岡田さんが「もう寝よう」と止めない限りずっと続く。

他愛無い一日の出来事を、家族で互いに共有しながら、食事をとる。家では、2匹のミニチュアシュナウザーと、ヒョウモントカゲモドキも団らんの時間を待っている。

2人は事実婚となって3年余りが経つ。

大下さんは原因不明の病気のため、1年ほど前から四肢がうまく動かせない。数カ月前に歩けるほどに回復したこともあったが、再発した今は岡田さんの介助なしには、一人で起き上がることも難しい。

大下さん・岡田さん提供
ミニチュアシュナウザーたちとたわむれる大下さん

介護ヘルパーの方たちの助けを借りながら、日常生活を送っている。そんな2人はこれからより豊かに生きていくためにどうすればいいか日々模索している。

同性婚訴訟が、2月14日に始まった。地方での実感

地方に住む2人には、「同性婚」が認められることは遠い未来の話のように感じていた。

提訴に進む原告たちの姿は、希望でもある。

大下さんは「切り開いて、矢面に立っている人たちがいる。その一方で、理解が広まらずに取り残されている人たちもいる」と話す。

2人が住む広島市は、人口約120万人の政令指定都市。中国・四国地方では最大の規模を誇っており、住みやすい街としてもたびたび名前が挙がっている。

Lorna Nakashima / EyeEm via Getty Images
広島市は水の都と称され、中国・四国地方で最大規模の都市でもある

ただ、レズビアンのカップルとして日々を過ごすには「理解はほとんど進んでおらず、カミングアウトできない人たちが多い。いきなり同性婚だ、と言われても提訴以前に『同性カップルの結婚を認めてほしい』と言うこと自体が広島ではまだ早いと思うほど」という。

 大阪や東京のように大規模なレインボーパレードやイベントが定期的に開催されることはなく、同じ中国・四国地方でも香川県のようなレインボー映画祭があるわけでもない。

 2017年12月には、シンガポール出身の写真家レスリー・キーさんがセクシュアル・マイノリティの人々をモデルに撮影するプロジェクト「OUT IN JAPAN」が広島にやって来た。

大下さん・岡田さん提供
OUT IN JAPANで撮影に参加する2人

カミングアウトしたいと思う人を応援し、よりセクシュアル・マイノリティについての理解を広めたいと、世の中の多彩な性の人々を撮影して全国を回っている。

広島での撮影参加者は30人を超える程度で、レズビアンカップルは2組ほど。広島ではなく、他県から来た人も多かった。

「この規模の都市では、かなり人数は少ない。新聞にも取り上げられたりネット記事でも出ていたけど、そのあとの発展が無かった。権利を主張していくこともない。ずっと長く過ごしていても、カップルであることを隠している人たちが多い地域です」と岡田さんは振り返る。

大下さん・岡田さん提供(レスリー・キー撮影)
OUT IN JAPANに参加した大下さんと岡田さん

この撮影をきっかけに知り合った当事者同士がサークルをつくったり、撮影に先だって広島県がLGBT相談窓口を設置したりするなどの変化はあったものの、大かがりなイベントにつなげたり、当事者以外にも話題が広がったりすることが難しく、なかなか理解を進めるには道のりは困難だった。

これまで、2人はレズビアンやゲイの人、そして異性を好きになる人を集めてイベントを企画したこともあった。

他県からレズビアンの参加者が来てくれたものの「身元がバレることを恐れて、広島県内のレズビアンの人たちはほとんど来てくれませんでした。オープンにしにくい土地柄で、イベントは響かないどころか、当事者たちからも理解が得られず『無駄だ』と言われてしまったこともあった」と話す。

そんな地域に住む2人は「私たちも、同性婚について色々話し合った。提訴についても様々な考えがよぎった。でも、まずこの理解を広めていく必要があると思った」という。

「理解もできるけど、ずっと隠して閉じこもらないといけない環境は、新しい世代の人々の生きにくさにもつながると思った。自分のことを話せない人々はもちろんいる。自分たちを守ることで精いっぱいになる気持ちも分かる。そんな状況で、私たちにできることを考えていました」と話す。

「カミングアウトしている人がとても少ない中で、急にレズビアンやゲイの人たちが現れて、同性婚の話を始めても、世間はパッと理解してはくれない。認めてくれと言っていくこと自体がまだ難しい地域。まずは、自分たちカップルが普段過ごしている姿を知ってもらい、異性のカップルと変わらないことを分かってもらえたらと思う」

「そうやって理解の種をまく人になりたい。そういう人が、必要なんです。同性婚が現実化しても、マイノリティとして認められたと同じことではない。身近なところから変えていくという意識をもつ人が必要だと、2人で考えました。私たちの内情を伝えていくことから始めようと思っています」

「どういうこと?理解できない」直面しないと分からない“マイノリティ”

大下さんが家族にカミングアウトしたのは、中学生のころ。社会的には、勤めていた保育園に3年ほど前に伝えた。「家族はそういう人っているよね、という感じで『好きに生きればいい』と言われた。職場では、特に伝える必要性を感じなかったので、わりと苦い思い出はなかった」と話す。

一方、岡田さんはレズビアンとして自覚したのは23歳ごろ。「恋人って言えないのはつらいな」と思い、まずは友人たちに話してみた。

「賛否両論ありました」と振り返る。

「どういうこと?理解できない」という声がまず多かった。周りに居なかったので、本当に言っている内容を理解ができないようだった。

「(セクシュアル・マイノリティの人に)出会ったことがない人は、直面しないと分からない。色々言われたけど、話していくうちに最終的には『あなたが幸せならいいと思う』という話で落ち着いた」という。

家族へは、レズビアンやバイセクシャルの女性たちを描いたアメリカのテレビドラマ「Lの世界」を親が見ていると知った時に、カミングアウトをしてみようと思った。

家族に「(ドラマについて)どう思う?」「私も彼女がいるんだ」と話した。

「自分は周りの人から愛されていると感じていたので、最初は『うーん』と言っていた家族にも『私のこと愛してるでしょ。だから関係ないでしょ』と押し切りました」とほほ笑んだ。

2人はいま、お互いの家族に結婚した家庭として認識されている。正月も親族の家で過ごし、小学生と未就学児の姪たちも、2人のことを他の異性同士のカップルと同じように自然な家族のかたちとして受け入れている。

突然降りかかった四肢のしびれ。障がいと共に事実婚を続けること

2人は、付き合い始めてからほどなく一緒に暮らし始めた。「私が押しかける感じで気が付いたら同棲が始まっていました」と岡田さんは笑う。

大下さん・岡田さん提供
一緒にビールを飲みながら語る2人

初めて知り合った頃は、お互いに大嫌いだった。同性愛者が集うバーで「飲んでいると、彼女はいきなりキスしてくるような人で。なんだこいつ、と思っていました」と大下さんは話す。

遠巻きにしていたが、ある日話をする機会があった。じっくり話してみると、これまでのわだかまりが嘘のように急速に惹かれあった。

「この人と人生を歩んでいくんだ」とお互いに感じ、大下さんは初めて指輪を買った。

保育士をする大下さんは「異性カップルで言えば、私が夫のような役割を自認していた。大黒柱として家族を支えたいと思っていました」と話す。

大下さん・岡田さん提供
岡田さんにおんぶされてじゃれる大下さん

法律婚のように、2人を家族として証明するものがなかったので、2017年にOUT IN JAPANで知り合った行政書士と「公正証書」を作れないかと相談もしていた。

将来、もし2人になにかがあった時に、証書のように取り決めがあれば、ある程度安心できるとも思っていた。

そんな時だった。

暮らし始めて2年ほど経ったころ、大下さんは身体の異変に気が付いた。

突然、手足や体幹に力が入らなくなった。しびれがあり、疲労が抜けない。

身体全体が重くて、立ち上がれない。歩けない。寝ても休んでも治らない。

不安がよぎり、広島大学附属病院へ検査に行った。

法律婚ではないパートナーの岡田さんは検査結果を聞く際に別室で待つように言われた。

「パートナーなので同席させてください」と頼むと、承諾してくれた。

同時に「私に意識がなければ、万が一の時に立ち会うことができないのか」とも思った。

結局原因は分からず、その後数カ月で歩けるようになったこともあった。だが、再び歩けない状態に。現在は岡田さんが仕事に出て介助できない間は介護ヘルパーの方に来てもらい、トイレや風呂に入るための支えをお願いしている。

身体障害者手帳」の認定は、肢体障がいの場合、治療から6カ月を経てからの症状で決まる。一度回復した大下さんは手帳は交付されず、精神疾患として別の項目で補助をもらえるようにして介護の代金をまかなっている。

大下さんはいま、電動車いすがないと移動が難しい。

だが現在は身体障害者手帳がないため、手動の車いすを岡田さんが押すなどしてデートに出かけている。

そんなパートナーの姿を、岡田さんは「大下は自分が家庭を支えるんだという意識が強い人だったので、働けない、動けないことに自尊心が傷ついているように見えました」と話す。

反面、自分は介護をしたことがない。トイレひとつで、介助中に足をぶつければ「痛い」とケンカをした。

働けない上に、扶養にも入れない。金銭的な重さものしかかった。

荒れに荒れた大下さんを前に、岡田さんは「全部自分がしないといけないんだ。負担しないといけないんだ」というプレッシャーと怖さが胸を押しつぶした日もあった。

大下さんも最初は、岡田さん以外の人に介護されることへの恥ずかしさもあった。助けてもらうのがつらかった。こんなに若いのに、ある日突然身体が動かないことに戸惑いを隠せなかった。

ただ、次第に「ハードルを下げていかないと生きていけないし、頼らざるを得ない。お互いに我慢しているとも言いたくない」と考えが柔らかくなっていった。

「ヘルパーさんと世間話や恋愛相談をしたり。うちに来て良かったなと思ってもらえるような、ヘルパーさんともwin-winな関係になろうと思いました」と大下さんは語る。

なによりも「そうやって、いつまでも許すことができない自分でいるのは嫌でしたから」と話した。

岡田さんは「いまはむしろ、手がかかって可愛いと思えるくらい。法律で支えられる関係じゃないからこそ、愛でつながるしかないからね」と言った。

50年後も2人は変わらない。歩けないことを前提に、より豊かに生きていくには

大下さんは、もう以前のように歩けるようになるとは思っていないという。

「もっと動けなくなることもある。全身が動けない人が、視界を操ったり、文章をロボットに読み上げさせることで会話をすることができる『オリヒメ』みたいなロボットもいまはある。それを使ってカフェを経営したり、テレワークをして企業に参加することもできる可能性もある。LGBTについて講演してって言われても、ロボットを使ってできるかもしれない」と前を見据える。

「マイナスを考えたり、傷ついたりするよりも、今をより豊かに生きていくことを考えていきたい。レズビアンっていうけど、私たちは普通に助け合って、感情があって、普通に周りの人と接して過ごして生きている。こうして私たちも家族のかたちを作っていっていることを知ってもらえたらと考えています」

岡田さんは「大下は保育士だったこともあり、子どもが好き。私も家庭として子どもを育てたいなと考えてもいました」という。

法律婚ができれば、特別養子縁組もできる未来が来るかもしれない。

同性カップルの生活を阻むものは、日々暮らす中で数々出てくる。

何かの保障をするとき、会社も病院も、人生に関わる制度や契約は「家族」でないとサインできないことが多い。

大きな治療をするときに、今の状態ではどうしても親が出てこないといけないこともある。岡田さんは「困りますよね。家計は私と一緒で、日々の世話も暮らしも私が共にしているのに」と苦い表情を見せた。

しかし、将来に向けて聞くと、こう語った。

「ずっと先のことは分からないけど、50年先も私たちは変わらずこうして暮らしていると思います。そして、こうした私たちの日常をかたることで、次の新しい世代が認識を徐々に変えていってくれることを期待しています。小学生の3人の姪たちを見ていてもそう思う。いまは同性婚ができないかもしれないけど、もしできるようになったとき、次の世代が悩まないように、自信と希望が持てるような状況を開いていきたい」

大下さん・岡田さん提供
姪がボードに描いてくれた2人の絵。名前と共に「二人はいつもいっしょ♡」と言葉が添えられている