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2020年08月12日 07時04分 JST | 更新 2020年08月12日 17時01分 JST

日航ジャンボ機墜落事故から35年。航空史上最悪の事故を振り返る【画像】

単独機としては航空史上最悪の520人が犠牲になった。どんな事故だったのか。

時事通信社
日本航空ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故現場(1985年8月15日)

520人が犠牲になった1985年の日本航空のジャンボ機墜落事故から、8月12日で35年を迎えた。単独機としては航空史上最悪の犠牲者数となった事故。どんな事故だったのか、資料や写真で振り返る。

 

犠牲者のうち12人は幼児だった

1985年8月12日午後6時12分、日本航空123便(ボーイング式747SR-100型JA8119)が、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港に向けて離陸した。

伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前の午後6時25分ごろ、異常事態が発生し、操縦不能になる。同56分ごろ、群馬県多野郡上野村山中に墜落した

機内には、幼児12人を含む乗客520人と乗組員15人の計524人が搭乗していた。うち520人(乗客505人、乗組員15人)が死亡し、乗客4人が重傷を負った。

歌手の坂本九さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、ハウス食品工業社長の浦上郁夫さん、元宝塚歌劇団の娘役の北原遥子さんなど著名人も犠牲になった。

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日本航空ジャンボ機墜落事故現場に散乱した機体(群馬県多野郡上野村御巣鷹山)
ASSOCIATED PRESS
自衛隊による救助活動(1985年8月13日)
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日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者の遺体安置所(群馬県藤岡市)

見逃された修理ミス

墜落した機体は、事故の7年前の1978年6月2日、伊丹空港に着陸する際に胴体尾部を滑走路に接触する事故を起こしていた。この際に後部圧力隔壁が損傷したため、アメリカ・ボーイング社が機体を修理していた。

当時の運輸省航空事故調査委員会は1987年、事故原因について、事故調査報告書の中で「後部圧力隔壁が損壊し、続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される」などと指摘。ボーイング社の作業員によって圧力隔壁の不適切な修理が行われたこと、さらに隔壁の疲労亀裂が点検整備の段階でも見逃されていたことが事故の原因と推定されると結論づけた。

群馬県警は、修理ミスを犯したボーイング社の担当者を特定できないまま、業務上過失致死傷容疑で日本航空や運輸省(当時)の担当者計20人を書類送検した。前橋地検は1989年11月、「嫌疑不十分」のため全員を不起訴とした

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日航123便ジャンボ機の墜落事故で記者会見する日本航空の高木養根社長(1985年8月13日)
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遺族らによって日航機墜落現場に供えられた犠牲者を供養する品々(1989年8月、群馬県上野村の御巣鷹の尾根)
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日航機墜落事故関係者全員の不起訴処分発表を受けて記者会見をする遺族代表ら(1989年11月)

事故調査報告書には専門用語が多く含まれ、難解で分かりにくかった。そのため、遺族らでつくる「8・12連絡会」は2010年、運輸安全委員会に対して、遺族たちが抱いていた疑問をまとめて提出。事故原因などを説明する「解説書」が2011年に作成され、公開された

ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、解説書について「事故調査を被害者および一般国民に対し開かれたものにするための扉を大きく開く役割を果たすもの」「安全な社会をつくる仕事である事故調査の中で、被害者・遺族ならではの気づきや被害者・遺族の理解と納得感を視野に入れることが重要であることを具体的に示す“教科書”的な意味を持つ」などと評価している

 

「子供達の事をよろしく頼む」

事故の教訓を風化させず、安全運行の重要性を再確認する場になるようにーー。JALグループは2006年4月24日、「安全啓発センター」を開設した。事故を招いたとされる後部圧力隔壁や胴体などの残存機体、コックピットのほか、乗客らの遺品も展示している。センターはJALグループ社員の研修施設として使われ、一般の見学も受け入れている(新型コロナの影響で見学は休止中)。

「ママ こんな事になるとは残念だ

さようなら

子供達の事をよろしく頼む

今6時半だ

飛行機はまわりながら

急速に降下中だ

本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」

乗客が墜落前、機内で書き残したとみられる遺書も展示されている。

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安全啓発センターで展示されている犠牲者の遺書。商船会社支店長の河口博次さんが家族に宛てて手帳に書いた遺書の最後のページ(複写)
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日航機墜落事故から30年となるのを前に、犠牲者の冥福を祈り、墜落現場近くの川に灯籠を流す子どもたち(2015年8月11日夜、群馬県上野村)
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日航ジャンボ機墜落事故から34年が経過し、墜落現場にある「昇魂之碑」で故人の冥福を祈る遺族(2019年8月12日、群馬県上野村)

1996年からは毎年、事故発生日の前日の8月11日夜に犠牲者を悼む「灯籠流し」が開催されている。「8・12連絡会」は会のウェブサイトで、Googleの協力を得て作成した慰霊碑周辺のストリートビューを公開している

事故から35年。追悼慰霊式を主催する群馬県上野村は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、2020年の式は例年より規模を大幅に縮小することを決定。関係者のみ参列する形で開催することとなった。

【訂正】2020/8/12 16:40

文中で「柳田邦夫さん」としていましたが、正しくは「柳田邦男さん」でした。