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2020年12月01日 11時28分 JST | 更新 2020年12月01日 11時28分 JST

暴力を振るっていた父にフェミニストになってもらいたい。10年ぶりの再会で、フェミニズム映画を一緒に観に行ったら…

「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」。そう言っていた父は「有害な男らしさ」の犠牲者だったのかもしれない。

Malte Mueller via Getty Images
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家族の上に君臨していた父

父と絶縁したのは私が30代で生活保護を受けていた時だ。自殺未遂をして実家に帰った時に、口喧嘩をして「生活保護が受けられたのは、誰のおかげだと思っているんだ!俺がサインしてやったからだぞ!」と言われてから一度も会っていない。サインとは扶養紹介のことで、娘である私のことを養う金銭的余裕がないという旨を証明するものであり、威張っていうものではない。

思えば、父は私が子供の頃からこうだった。

「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ! 俺が稼いでいるからだぞ!」

金を稼いでいるというその一点で、父は私たち家族の上に君臨した。子供である私はお金を稼ぐ術がないので、ただ父の暴言に耐えることしかできない。そのうち、私の心を占めるようになったのは「そんなに嫌ならなぜ子供を作ったのだろう」という疑問だった。

 

子供の頃の父親は、大体いつも酔っ払っていた。顔を赤くしながら「俺をもっといたわれ!」と怒鳴り、気に入らないことがあると、テーブルを蹴っ飛ばした。畳の上に散らばった塩ジャケや大根おろしを母と一緒に片付けるのが私の仕事だった。

夜中になると、母と怒鳴り合いの喧嘩をし、大きな音が私の寝室まで響く。母が殴られているだろうことを思うと、恐ろしくてたまらなかった。

 

父はなぜ、子供の私を競輪場へ連れて行ったのか

休日になると父は決まって競輪場へ行く。朝から日本酒をコップに注いで飲んでいる父は暇そうにしている私を誘って競輪場へ連れて行ってくれた。学校でいじめられていて、友達がいなかった私は父と一緒に行く競輪場が好きだった。

茶色や灰色の服を着たおじさんたちが耳に赤ペンを挟み、小脇に競輪新聞を抱え、オッズ表を見ながら思案している。私は入場する時にもらった「たべっこどうぶつ」を食べながら意味不明のオッズ表を眺めていた。

レースが始まると、おじさんたちは「やれー!」「もっと早く走れ!」などと大声で怒鳴り、レースが終わると外れ車券をぱあっと空に放り投げる。さっきまで価値のあった紙切れたちが床に落ちた瞬間、ただの紙切れに変わるのを不思議な気持ちで眺めていた。私が競輪場を好きだったのは、その無意味さだったように思う。学校では正しいことやためになることを教えてくれていたが、競輪場はその真逆だった。

予想屋と言われる人が500円でレースの予想を売買し、大穴のレースでは当てた人が浮き足立って換金所へ向かう。地面には外れ車券が散らばり、焼き鳥が乗っていたプラスチックのお皿も地面の上に捨てられていた。学校でダメと言われていることや、よくないとされていることを堂々とする大人たちを見ていると、この社会の縮図を見ているようだった。

父が買ってくれた焼き鳥を食べながら、父がなぜ子供の私をこんな場所へ連れて行くのだろうかと考えた。競輪場は子供の教育によくない大人の遊び場であるし、子供を連れている大人は周りに1人もいない。もしかしたら、父には競輪場へ一緒に行くような、親しい友達がいなかったのではないかと、大人になって思い始めた。

Getty Images/iStockphoto
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絶縁していた父と10年ぶりの連絡

父と絶縁して十年間、一切連絡を取っていなかったが、変化はあった。長いこと別居を続けていた両親が離婚したのだ。しかも、私には知らされなかった。どうやって知ったのかというと、パスポートを取るために戸籍を取り寄せたら、母が除籍されていたからだ。

生活保護を抜けた後、母のいる実家には年末だけ帰るようにしていた。母に離婚のことを聞くと、お金のことで揉めて、いろいろあり離婚したという。母は父のことでずいぶん苦労したので、これでよかったと思う反面、少しも相談してくれなかったのが悲しい。そして、父が数年前に倒れたことを知らされた。今は元気でいるらしいが、入院していたことも教えてもらえなかった。もちろん、私が精神障害者であり、父が入院していた時期に、私も措置入院という大変な入院を経験したので、致し方ないと思うが、なんとなく、私だけ家族の輪から外されている気持ちがした。

 

一度、母に父の電話番号を教えてもらってかけたのだけれど、繋がらなかった。父も私の連絡先を知らないので、私たちが会うことはもう2度と不可能な気がしていた。しかし、先日、私が著作を出している出版社に父から電話がかかってきた。

 

私の新刊『家族、捨ててもいいですか?』を読んで、娘の気持ちを知り、どうしても会いたいので連絡先を教えて欲しいというのだ。担当編集者に「私の電話番号を教えてください」と伝えると、しばらくして、父から電話がかかってきた。10年ぶりの父の声は昔と変わっていなかったが、声に昔のような覇気はなく、若干、弱々しく感じた。父はインターネットで調べ物をしている時に、たまたま私の記事を読んだという。そこで、作家デビューしたことを知ったそうだ。

 

父は半泣きになりながら、今までのことを話し出した。一番大きな出来事は、5年ほど前に倒れて入院したことだという。半身が麻痺し、リハビリに一年以上かかったそうだ。しかし、父らしいのは、父は自分が辛かったことを永遠に話し続け、私の話を一切聞かない。ひたすら話し続ける父の話に優しく相槌を打ちながら「ああ、こうだったよな」と昔を思い出す。私は子供の頃から父をこうやってケアしてきたのだ。会社の愚痴をいう父をなだめ、父の肩を揉み、父をいたわる娘として生きてきたのだ。

 

再会はしたものの、心に傷は残っている

一週間後、父と再会した。父はわざわざスーツを着てきて、手には大きな荷物を持っている。2人で居酒屋に入ると、父は嬉しさが極まって、泣き出しそうな顔で話し始める。電話で話していた入院はかなり大きな出来事だったらしく、今でも少し後遺症があると教えてくれた。2人で横断歩道を渡ろうとした時、赤信号なのに父は渡り始めてしまって「どうしたの?」と問うと「退院してから、注意力が落ちて、こういう風になっちゃったんだよな」と寂しそうに呟いた。

 

父に再会して、言いたいことがたくさんあったけれど、私は言わなかった。過去の出来事を持ち出して、今の父を責めるのはかわいそうだったからだ。でも、いつか、ちゃんと言おうと思った。そうしないと、子供だった時の自分の傷が一生癒えないからだ。

 

父は帰り際、手に持った大きなトートバッグを渡してきた。中に入っていたのは歯磨き粉や化粧水、消毒液、マスク、賞味期限が近いお菓子、なぜか棒寒天が6本も入っていた。父のプレゼントセンスの最悪さを今更ながら思い知る。父は歳をとってもどうしようもなく父だった。

 

とはいえ、父との再会を喜んでいた気持ちもなくはなかった私であったが、その後が大変だった。父から毎日のように大量のラインが届くのだ。

「歳をとると、歯がダメになるから、歯医者の定期検診に行くように」

「居酒屋で、肩を回していたけれど、凝っているならどこどこの整体に行くといい」

「目が悪いならレーシック手術をしなさい。お金はお父さんが出します」

そのような内容のことを、ものすごい長文で送ってくるので、げんなりしてしまう。私は、もう父に自分の人生に口出しして欲しくないのだ。それに、再会したからといって過去のことについて、許したわけではない。母への暴力や、私の進路を反対したこと、酔っ払って暴れたことは私の心の中で傷となって残っている。

 

「有害な男らしさ」の犠牲者だったのかもしれない

Canberk Sezer via Getty Images
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私は最近、フェミニズムに関する本を読むようになった。そこで学んだことは、家父長制の悪害であり、男性を中心とした社会のあり方によって、女が苦しめられている現実だった。そして、父も「有害な男らしさ」の犠牲者ではないかと考えるようになった。

勝ち続けること、出世すること、たくさんの女にモテること、そういった「男らしさ」から解き放たれれば、父も楽になるのではないかと思うようになった。

「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」は裏返せば「俺が頑張らなければ、こいつらは餓死してしまう」ということだ。お金を稼ぐことを母もできればよかったと思うのだが、母の世代では共働きはあまりいなかったし、父も母が会社勤めをしたり、パートに出てお金を稼ぐことをよしとしなかった。内職ですら、母が内職をしているその道具を蹴っ飛ばして怒った。自分の稼ぎだけでやっていけないことを恥としていたのだろう。しかし、その考えは父のことも、母のことも不幸にした。男女が平等になれば、父の重荷が減り、母も尊厳を取り戻すことができるはずだ。

 

父にフェミニズムをわかってもらいたい

私は父にフェミニズムをわかってもらおうと「82年生まれ、キム・ジヨン」という映画が観たいから付き合ってくれとラインを送った。ちょうど、映画が公開されていたのと、原作が素晴らしかったこと、突然本を渡すより、映画の方がとっつきやすいと思ったからだ。案の定、映画好きの父は誘いにのってくれた。

 

「82年生まれ、キム・ジヨン」は韓国のフェミニズム作品で単行本は韓国で100万部を突破する勢いで売れている。映画の方は原作とは内容が違っている部分が多いし、終わり方も前向きであったが、フェミニズムの入門編としては良いのではないかと思う内容だった。

私が子供の頃、あれだけ「有害な男らしさ」のかたまりだった父がどのような感想を述べるか興味があった。映画を見終わった後、父に感想を尋ねた。

 

「うーん、なんで主人公は自分の母親が主人公の子供の面倒を見るって言った時に断ったのかがわからなかったな。子供を見てもらえば、仕事に復帰できたのにな。もちろん、母親に苦労をかけたくないんだろうけど……。でも、母親っていうのは、子供が可愛くて、可愛くてずっと一緒にいたいものだろ。それなのにもう一度、仕事に戻りたいのかね」

私は父の言葉にがっかりした。それと同時に「やはり、そんなものか」と納得した。

「韓国映画って、もっと派手なのが多いから、そういう作品かと思ったけど、全然違かったな」

とポツリと言った。確かに「パラサイト」や「オールド・ボーイ」など人間の業を深く描く作品が韓国映画には多い。しかし、「82年生まれ、キム・ジヨン」は派手ではないが、この社会を生きる女性の業をきちんと描いていると私は感じた。しかし、父にとって、「82年生まれ、キム・ジヨン」で描かれている女性の現実は特別なことではなくて、当たり前の日常であり、主人公が不幸であるとも映らなかったのだろう。結婚して子供が生まれたら、仕事を辞めるのが普通であり、お正月に夫の実家で肩身を狭くして、家事をするのも当たり前。何を今更、映画にする必要があるのだろうか、と映ったのかもしれない。

 

いくつになっても「変われる」希望はある

映画を見終わった後、一緒にガード下にあるドイツビールの店に入った。

「ここは奢るから」と私が言って、高いクラフトビールを一緒に飲んだ。「こんな店、俺は入ったことがないなあ」と父が物珍しそうに言う。

「お父さん、この本を読んで感想を聞かせて欲しい」

そう言ってグレイソン・ペリーの「男らしさの終焉」と言う本を渡した。この本はイギリスの現代アーティストであり、異性装者である著者が書いたジェンダーについての本だ。帯にはこう書いてある。

《男性の権利》

 

傷ついていい権利

 

弱くなる権利

 

間違える権利

 

直感で動く権利

 

わからないと言える権利

 

気まぐれでいい権利

 

柔軟でいる権利

 

これらを恥ずかしがらない権利

 父がこの本を読んで全てを理解してくれるかどうかは、分からない。けれど、70歳を超えた父がフェミニストになることができるのなら、未来は明るいのではないだろうか。やってしまったことや、起きてしまったことは変えられないけれど、考え方は変えることができる。私はまだ希望を捨てていない。

 (編集:榊原すずみ