薬物事件、不起訴でも内定取り消し。「ダメ。ゼッタイ。」が当事者・家族を苦しめる。

偏見によって、当事者・家族がコミュニティから孤立し、精神状態を悪化させるケースも多い。
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「ダメ。ゼッタイ。」という薬物乱用防止キャンペーンの言葉に象徴されるように、日本の薬物対策は「最初の一歩」を踏み出させないことに重点を置いてきた。

だがその結果、違法薬物に関わった人たちへの偏見は強まり、社会復帰や回復が妨げられている側面も無視できない。中には、逮捕後に不起訴だったにもかかわらず、就職や家探しがままならなくなった人もいる。

アメリカやポルトガルなど海外では合法化や「ハームリダクション」(取り締まり強化ではなく依存に伴う害を低減させる動き)の流れが進んでいる。その流れに逆らうように、政府が2021年に設置した大麻などの薬物対策検討会で、これまでなかった「大麻使用罪(※)」の創設が提案された。

違法薬物の取り締まりの強化・必要性を訴える声があるのは、覚せい剤や大麻の取り引きが暴力団・反社会勢力の資金源になっているという背景もある。

しかし、厳罰化の効果や、偏見がさらに強まることを懸念する専門家も多い。

※大麻使用罪…現行の大麻取締法は、免許を受けた大麻栽培・研究者が決められた目的で扱う以外は、大麻から製造された医薬品の取り扱いなどを禁止し、罰則を設けている。ただ刑罰の対象となるのは所持や譲渡、譲受で、使用を禁止する規定はない。こうした現状に対し、厚労省は2021年1月、有識者会議を設置。従来は適用のなかった「使用罪」の創設の議論など、厳罰化に向かう動きが始まっている。

「罪人の親」周囲からさげすみの視線

神奈川県の元保護司の女性(60代)の長男(20代)は5年ほど前、他人へ覚せい剤を譲り渡したとして、覚せい剤取締法違反(譲渡)容疑で逮捕された。

ただその後、長男は不起訴となった。尿検査の結果、体内から薬物は検出されなかった。

逮捕時、大手メディアに実名で報道され、一部のネットメディアには成人式の家族写真まで掲載されたという。一方、不起訴になったことを報じるニュースは、見当たらなかった。

当時大学生だった長男はその翌年、ある企業の内定を得たが、6か月後に突然内定を取り消されてしまった。「不起訴と知っていて内定を出したのになぜ取り消すのか、と大学関係者も抗議してくれたのですが結果は覆りませんでした」と、女性は話す。「上場が決まったので、社内をきれいにしたい」という事情を、後に知らされたという。

長男は「経歴がきれいじゃない奴は会社には入れたくないのか」と落胆した。

その後、彼は別の会社に就職したが、一人暮らしを始める時も内見で決まっていた物件の正式な賃貸契約を断られた。不動産屋の担当者は、長男に対して「何かしていらっしゃいますよね」と、さげすむような態度を隠さなかったという。

女性は当時保護司として、保護観察中の少年らの支援に関わっていた。しかし事件後、地元の保護司会の会長に「資格を辞退してくれ」と頼まれ、保護司を辞めざるを得なかった。

「薬物は『ダメ。ゼッタイ。』で、関わったら『罪人』扱い。『罪人の親とは働けない』という保護司たちの声も聞こえていました。不起訴だろうと、疑わしきは罰するんだと思いました」

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「薬物依存は心の弱さ」 社会のスティグマで家族がうつに

薬物事件に対する日本社会の目は非常に厳しい。女性によると、少年らの更生を支援するはずの保護司にすら「クスリをやめられないのは心の弱さ」「薬物依存は病気というのは、甘えた人間の言い訳に過ぎない」と考える人が多かったという。

こうした偏見によって、当事者・家族がコミュニティから孤立し、精神状態を悪化させるケースも多い。

関西薬物依存症家族の会が今年3月、薬物の依存症者を抱える家族169人に実施したアンケートによると、回答者の100人が身内の逮捕・補導や収監によって「うつ状態に陥った」、93人が「人と会えなくなった」とそれぞれ回答した。

中には「地域に見られないよう家にこもり、ネットで食料を調達した」「当事者の兄弟が不登校になった」といった深刻な声も。親自身のスティグマによって「自分の子どもを憎むようになった」という回答もあった。

関西に住むある女性(55)も、自分自身に刷り込まれた「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」という言葉に苦しんだ一人だ。娘が覚せい剤取締法違反で逮捕され、少年院に1年ほど入院した時「娘は人間やめたんだ、と絶望した」と振り返る。

「ダメな子を育てたダメな親だと自分を責め、笑うことすらしてはいけないと思いました。治療できる可能性などは、全く思い浮かびませんでした」

その後、転居して人目を気にせず暮らせるようになったことで、やっと「気持ちが楽になった」という。

「人間やめますか」は、1980年代にテレビで盛んに流れたキャッチコピーだが、女性は「あのコピーと同じくらい大々的に『依存症は病気で、治療すれば回復できる』と世間に伝えてくれれば、家族も本人も『まだ人生やり直せる』と前向きになれるのですが…」と、ため息交じりに話した。

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偏見が再犯を招く 海外は厳罰から治療へシフト

回復支援に当たる専門家らは、偏見の背景に、長い間「人間やめますか」「ダメ。ゼッタイ。」などのキャッチフレーズを多用し、あたかもひとたび使用したら、人生のやり直しが効かないかのようなイメージを植え付けてきた日本の薬物政策があると主張する。

兵庫教育大大学院教授で精神科医の野田哲朗氏は「依存症は病気であり、刑罰で対応しても回復にも再犯防止にもつながらない」と強調。立正大学の丸山泰弘教授(刑事政策)も「日本では、初期使用を防ぐことに重点が置かれた結果、使った人への差別と偏見が強まってしまった」と指摘する。

この結果、内定を取り消された元保護司の女性の長男のように、更生や社会復帰がままならなくなることがある。さらに有罪判決を受け服役ともなれば、仕事や学びの場を失い、友人や同僚、家族などの健全な人間関係も断ち切られてしまう恐れがある。その結果、回復や更生に向けた支援にも繋がれず、社会から孤立し、再犯につながるという悪循環にも陥りがちだ。

SDGs(持続可能な開発目標)のターゲットの一つに「薬物乱用やアルコールの有害な摂取を含む、物質乱用の防止・治療の強化」が盛り込まれ、諸外国の薬物対策は、刑罰ではなく公衆衛生の面から、依存に伴う害を低減させる「ハームリダクション」へ舵を切りつつある。

ポルトガルは大半の依存性薬物について、使用・所持を非刑罰化したほか、米国でも州単位で、し好目的の大麻使用を合法化する動きが広がっている。

丸山教授はポルトガルの薬物対策について「依存の背景にある問題が残されたままでは根本的な解決に至らないという認識のもと、その人の抱える『生きづらさ』をトータルに支援している」と話す。法律家や看護師、ソーシャルワーカーらが中心となって作るサポート体制「コミッション」が、薬物の使用者に対して必要な支援を提供するのだという。

例えばホームレス状態に陥っている薬物依存の人には、シェルターや経済的支援を提供し、依存を含めたさまざまな本人の「生きづらさ」を和らげていくといった対応がなされている。

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“大麻使用罪”は「国際潮流に逆行」、相次ぐ批判

一方、日本は諸外国とは逆に、厳罰化へ向かおうとしている。厚労省は2021年1月、「若年者の大麻使用が拡大している」との懸念から検討会を設け、「大麻使用罪」の新設を議論。医師や支援者、当事者・家族から批判が相次いでいたが、数回の会合を経て、「使用罪」の新設が提案された。

前出の関西薬物依存症家族の会は3月、「薬物問題を、科学的根拠よりも辱めや懲らしめによって解決しようとしている」として使用罪創設に反対する声明を発表。「(使用罪は)当事者の回復や社会復帰を阻害するだけでなく、家族にも多大な影響を及ぼす」と主張していた。

前出の関西に住む女性も「たとえ使用罪があっても、依存症の歯止めになるとは思えない」と話す。

女性は、大麻を使ったと打ち明けられてから、娘にお金を渡さなくなった。すると娘はより、お金のかからない薬物であるシンナーに手を染めたという。シンナーで錯乱し暴れる娘は「大麻よりも、よほどたちが悪かった」。

「たとえ大麻の使用を刑罰の対象にしても、処方薬やシンナーなど他の依存物質に移行したり、どうせ違法なのだから、とより依存性の高い覚せい剤へ走ったりしてしまうだけではないでしょうか。いずれにしても、本人の治療や回復にはつながりません」と、女性は語る。

丸山教授は「薬物依存を、『個人の意思の弱さの問題』として厳罰化で対応する日本の薬物対策は、治療を提供し社会に偏見を生まないようにする国際的な潮流と逆行している」と訴えている。

(取材・執筆:フリージャーナリスト・有馬知子 / 編集:濵田理央)

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