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2021年08月11日 11時02分 JST

日航ジャンボ機墜落の日、何が起きたのか。航空史上最悪の事故を写真で振り返る【8.12から36年】

乗客乗員520人が命を落とした、単独機として航空史上最悪の事故から36年。当時の資料や写真で振り返ります。

520人が犠牲になった1985年の日本航空のジャンボ機墜落事故から、8月12日で36年になる。単独機としては、航空史上最悪の犠牲者数となった事故。あの日、何が起きたのか。資料や写真で振り返る。

(※この記事には、航空機の墜落現場の写真が含まれます)

 

幼児12人も犠牲に

1985年8月12日午後6時12分。

日本航空123便(ボーイング式747SR-100型JA8119)が、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港に向かって離陸した。

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機体の残骸が散乱する日航ジャンボ機の墜落事故現場(群馬・上野村の御巣鷹の尾根)=1985年8月15日撮影

伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前の午後6時25分ごろ、「ドーン」という音とともに機体に異常事態が発生し、操縦不能になった。同56分、群馬県多野郡上野村山中(通称・御巣鷹の尾根)に墜落した。

機内には、乗客509人と乗組員15人の計524人が搭乗していた。うち乳児12人を含む520人(乗客505人、乗組員15人)が死亡、乗客4人が重傷を負った。一家全員が亡くなったのは22世帯に上る。

日没を迎えたため墜落地点の特定に手間取り、場所がはっきり特定されたのは翌13日になってからだった。

犠牲者の中には、歌手の坂本九さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇(なかの・はじむ)さん、ハウス食品工業社長の浦上郁夫さん、元宝塚歌劇団の娘役の北原遥子さんといった著名人もいた。

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墜落現場に散乱する機体胴体部分の残骸(群馬・上野村の御巣鷹の尾根)
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日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故現場(群馬県上野村)=1985年8月13日
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遺体安置所(群馬・藤岡市)

 

不適切な修理、整備でも見逃された

航空史上最悪の犠牲者を出した事故は、なぜ起きたのか。

墜落した機体は、事故の7年前の1978年6月2日、伊丹空港に着陸する際に胴体尾部を滑走路に打ち付ける「尻もち事故」を起こしていた。この際、後部圧力隔壁が損傷したため、メーカーであるアメリカ・ボーイング社が機体を修理していた。

当時の運輸省航空事故調査委員会は1987年、日航ジャンボ機墜落事故に関する事故調査報告書を公表した。その中で事故原因について、こう指摘した。

「本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される」

その上で、後部圧力隔壁の不適切な修理が行われたこと、隔壁の疲労亀裂が点検整備の段階でも発見できなかったことも事故原因に関与しているとみられるとした。

修理ミスをおかしたボーイング社の担当者を特定できないまま、群馬県警は、業務上過失致死傷容疑で日本航空や運輸省(当時)の関係者、氏名不詳のボーイング社の修理スタッフら計20人を書類送検した。前橋地検は1989年11月、「嫌疑不十分」のため全員を不起訴とした

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日航123便ジャンボ機の墜落事故で記者会見する日本航空の高木養根社長=1985年8月13日撮影
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遺品を捜す遺族ら=1986年7月撮影
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日航機墜落事故関係者全員の不起訴処分発表を受けて、記者会見をする遺族代表ら=1989年11月撮影

事故調査報告書には専門用語が多く含まれ、難解でわかりにくいものだった。そのため、遺族らでつくる「8・12連絡会」は2010年、運輸安全委員会に対して、遺族たちが抱いていた疑問をまとめて提出。事故原因などを説明する「解説書」が翌11年に作成・公開された。

ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、解説書の意義を次のようにつづった

「安全な社会を作る仕事である事故調査の中で、被害者・遺族ならではの気づきや被害者・遺族の理解と納得感を視野に入れることが重要であることを具体的に示す“教科書”的な意味を持つ」

 

「本当に今迄は幸せな人生だった」

事故の教訓を風化させず、安全運航の重要性を再確認する場になるように――。

JALグループは2006年4月、安全運航を提供するための「原点」となるよう、「安全啓発センター」を開設した。事故を招いたとされる後部圧力隔壁や胴体などの残存機体、コックピットなども展示している。センターはJALグループ社員の研修施設として使われ、一般の見学も受け入れている。

(※一般の見学は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で受け入れ中止となっている)

 乗客が墜落前、機内で書き残した遺書も展示されている。

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日本航空の「安全啓発センター」で展示された犠牲者の遺書

「ママ こんな事になるとは残念だ

さようなら

子供達の事をよろしくたのむ

今6時半だ

飛行機はまわりながら

急速に降下中だ

本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」

 

二度と繰り返さないために

事故から36年たち、遺族の高齢化が進んでいる。事故自体を知らない若い世代も多い。

風化を防ごうと、「8・12連絡会」は会のウェブサイトで、墜落現場までの登山道を写したストリートビューを公開している

ストリートビューを弟とともに制作した山本昌由(まさよし)さんも遺族の一人だ。5歳のころ、出張帰りで搭乗していた父謙二さん(当時49歳)を事故で亡くした。

山本さんは「せめて同じような事故を繰り返してほしくないというのが遺族としての願い。そのためにも若い世代に事故のことを伝えていきたい」と話す。

発生日当日に、群馬県上野村の施設「慰霊の園」で毎年行われる追悼慰霊式は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、2020年と同様に規模を縮小して行われる

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事故発生から21年になるのを前に、遺族らがメッセージを託し、灯籠流しをした(群馬・上野村の神流川)=2006年8月11日撮影
TOSHIFUMI KITAMURA via Getty Images
群馬県上野村で行われた追悼式典で手を合わせる女性=2015年8月12日撮影
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日航機墜落事故の現場に建つ「昇魂之碑」の前で手を合わせる遺族ら=2020年8月12日撮影