パンを盗み「吐くために食べた」 過酷な減量で摂食障害、窃盗症に。元日本代表ランナーの苦悩と挑戦

元マラソン選手の原裕美子さんが病気を公表するまで。現役時代の過酷な体重制限から、食べて吐くを繰り返す摂食障害に陥り、過食用の食べ物を手に入れるために衝動的に万引きを繰り返した。

6月2日は「世界摂食障害アクションデイ」。摂食障害の啓発を行うとともに、過食や拒食に苦しむ当事者やその家族を支える日とされている。

日本摂食障害協会アンバサダーで、元マラソン日本代表の原裕美子さんも当事者の一人。現役時代の過酷な体重制限から、食べて吐くを繰り返す摂食障害に陥り、過食用の食べ物を手に入れるために、スーパーで衝動的に万引きを繰り返して7度逮捕された。摂食障害とともに「窃盗症(クレプトマニア)」を併発し、回復に向けて現在も治療を続けている。

自身の過去をありのままに綴った『私が欲しかったもの』(双葉社)を出版して1年が経った。摂食障害アクションデイに合わせ、前編では原さんがペンを執った理由、摂食障害と窃盗症に苦しんでいた当時の心境を、原さんが率直な言葉で語った。

取材に応じる原裕美子さん
取材に応じる原裕美子さん
Yu Shoji

もし、自分が悩んでいる時期に「体験本」があったら

初めて食べたものを戻した冬の浴室、中国で初めて万引きに手を染めた瞬間、留置所で自殺しようと首に手をかけたこと―。昨年話題を呼んだ『私が欲しかったもの』では、原さんが摂食障害、そして万引きを重ねてしまった経緯や心境を包み隠さず書き連ねた。原さんは病気を公表し、ペンを執った理由をこう振り返る。

「私がずっと病気で苦しんでいたとき、『治った』という言葉を聞くことはあっても、そのプロセスを教えてくれるものはありませんでした。もしかしたら自分の体験を本にして伝えることで、同じように悩み苦しんでいる方たち、周囲で支えている方たちに勇気を与えられるんじゃないかと思ったんです。

7度目に逮捕された日、留置所で死のうとしたけれど死ねませんでした。それを弁護士の先生に伝えたら『原さんが自分から病気を打ち明けて克服することで、同じ病気を抱えている人たちに勇気を与えることができる』と言われたんです。もう落ちるところまで落ちたし、迷惑もたくさんかけたし、後は這い上がるしかない。周りからの反対意見が出ることも覚悟の上で、公表しようと思いました」

出版に至ったのは、過去の自分のように一人で苦しんでいる当事者を救いたい、との思いからだった。もし、自分が悩んでいる時期に同じような本があったとしたら。狂ってしまった歯車を、いったん止めて、修正できたかもしれない。

「私がずっと欲しかったのは、摂食障害をどうやって治したかという体験談でした。悩んでいるのは自分だけじゃないんだと元気をもらえたかもしれないし、食べ吐きや万引きを止められない謎が解けたかもしれません。きっと、ものすごく心が救われたと思います」

食べ吐き=簡単にダイエットできる手段だった

初マラソンとなった2005年の名古屋国際女子マラソンで優勝し、同年の世界選手権でも6位に入賞するなど「マラソン女王」として一時代を駆け抜けた原さん。しかし、華々しい活躍の陰では、大量の食べ物を胃に詰め込んでは吐き出す「食べ吐き」のループに陥っていた。

2時間24分19秒で優勝し、笑顔を見せる原裕美子(愛知・瑞穂陸上競技場)2005年の名古屋国際女子マラソン
2時間24分19秒で優勝し、笑顔を見せる原裕美子(愛知・瑞穂陸上競技場)2005年の名古屋国際女子マラソン
2時間24分19秒で優勝し、笑顔を見せる原裕美子(愛知・瑞穂陸上競技場)

原さんに摂食障害の症状が出始めたのは、高校卒業後に入社した京セラ女子陸上部での厳しい体重管理が原因だった。一日に4回以上体重計に乗り、0.1キロでも増えたら監督やコーチに怒鳴られる日々。カロリー計算されている食事さえ、監督の目の前で食べるよう言われ「これは残せ」とおかずを減らされていった。

初めて食べ物を吐いたのは2000年12月。入浴中、急に気分が悪くなり、浴室で胃の中のものを戻した。体重計に乗ると、減らせなくて苦しんでいた体重が減っていた。食べ吐きが「苦しまずに痩せられる方法」だとインプットされた瞬間だった。

「自分が普通の状態ではないことは分かっていましたが、病気だという認識はありませんでした。ダイエットの一つの手段という感じで、こんなに簡単に体重が減らせるならラッキーじゃないかと思ってしまって...。次第に緊張やストレスから気持ちをコントロールするために食べ吐きするようになり、いつの間にか習慣になってしまいました」

2度目の世界陸上出場の切符を手にした07年当時は、身長163センチ、体重42キロ、体脂肪率は6〜8%。頬は痩せこけ、腕や脚は骨と皮だけとも言えるほどの細さに。食べ吐きによって一時的に減量に「成功」して競技力も伸びたものの、慢性的な栄養不足で、疲労骨折をはじめとする怪我に幾度となく見舞われた。相次ぐ怪我の影響で、13年に表舞台を去った。

「私は気持ちで走るタイプのランナーでした。練習で我慢した先に結果が出る、心の持ちようで結果が左右されると思っていたんです。食べ吐きしてしまうのも、自分の心が弱いからやってしまうのだと。ましてやそれを誰かに相談するなんて『自分が負けちゃう』と、絶対に考えられませんでしたね」

「メダルなんていらない。普通に生きてほしかった」窃盗症で7度逮捕

摂食障害は原さんの身体だけでなく、精神をも蝕んでいった。

摂食障害、特に原さんのような過食症患者は、病的な飢餓感や枯渇恐怖から、精神疾患の一つである窃盗症(クレプトマニア)を伴うケースが多いとされる。依存症の専門治療機関として著名な赤城高原ホスピタルの竹村道夫院長が2012年の学会誌に発表した資料によると、同ホスピタルに入院中の過食症患者の約3分の1に窃盗癖があったという。

原さんもその一人だった。初めて万引きに手を染めたのは京セラ時代の2007年。過食の欲求が抑えられず、合宿で滞在していた中国・昆明のスーパーで、衝動的にお菓子やパンを洋服の中いっぱいに詰め込んでいた。

Theiving For Hunger
Theiving For Hunger
A-Digit via Getty Images

その後も万引きを繰り返し、12年夏に初めて逮捕された。17年夏、初めて公判請求された6度目の逮捕の際には、「元マラソン女王の逮捕」として大々的に報じられた。この逮捕時に下総精神医療センターに入院し「窃盗症」との診断を受けたものの、有名人であるがゆえの回復の難しさにも直面した。18年2月、7度目の逮捕を受け、摂食障害をきっかけに窃盗症を患っていたことを自ら明らかにした。

「留置所でテレビ欄を見るたびに、黒く塗りつぶされているところがあるんですよね。透かしてみたら、自分の名前が書いてあって。事件を起こしたときはもう引退していたのに、なんでこんなに取り上げられなきゃいけないんだとメディアを恨んだことすらありました。

ものすごくショックだったのは母に『メダルなんていらないから普通に生きてほしかった』と言われたことですね。自分のしたことがそれだけ家族を苦しめていたのだと痛感しました。

家族にこれ以上迷惑をかけないために『名前を変えて生きていこう』と思ったこともありました。でも今となっては私が病気を公に打ち明けたことで、摂食障害と窃盗症はセットで起こりやすい病気であることや、そもそも病気を知らなかった方たちへの啓発につながっているのかなと前向きに思えています」

7度目の逮捕事案の公判。弁護側は、刑事施設に服役して罪を償うよりも治療を続けることが、更生および社会復帰上で重要と訴えた結果、懲役1年執行猶予4年保護観察付きの判決を言い渡された。

今、原さんは12月に執行猶予期間が明けるのを前に、啓発に向けた新たなチャレンジへと踏み出している。

原裕美子さん
原裕美子さん
©貴田茂和

相談窓口の案内

摂食障害やクレプトマニアの症状に苦しんでいる人や、周りに悩んでいる方がいる人たちなどに向けて、次のような支援機関や相談窓口があります。

▽摂食障害

摂食障害全国支援センター:医療従事者や一般の方向けに摂食障害に関する情報発信をするほか、支援拠点病院がある都道府県(宮城県、千葉県、静岡県、福岡県)以外に住んでいる人に向けた窓口「相談ほっとライン」を運営。

NABA:摂食障害からの回復と成長を願う人たちの自助グループ

▽クレプトマニア

赤城高原ホスピタル:群馬県の赤城山麓にある、北関東唯一のアルコール症の専門病院。クレプトマニアの治療も行っている。

K.A(クレプトマニアクス・アノニマス):クレプトマニアの自助グループ

クレプトマニア医学研究所:再犯防止に向け、臨床心理士や精神科医が治療に当たる。

(執筆・取材:荘司結有、編集:濵田理央

スポーツの減量などをきっかけに、同じように摂食障害や窃盗症に苦しんだという体験を語ってくださる方は、reader@huffpost.jpまでご連絡ください。

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