【追悼】森英恵さん死去。JALの「客室乗務員の制服」を通して見る世界的ファッションデザイナーの功績(画像)

「いつも美しく歩いてほしい」。そんな思いをデザインに込めて世界で活躍した森英恵さん。JALの客室乗務員の制服を4代目から6代目まで、3代連続でデザインを担当していました。
亡くなったファッションデザイナーの森英恵さん(1998年撮影)
亡くなったファッションデザイナーの森英恵さん(1998年撮影)
時事通信社Ž–

日本を代表するファッションデザイナーとして世界で活躍した森英恵さんが、8月11日に都内の自宅で亡くなった。96歳だった。NHKなどが18日に報じた。

18日朝にはSNSなどで追悼の声が寄せられたほか、孫でモデルの森泉さんや同じくモデルの冨永愛さん、デザイナーのコシノジュンコさんらが追悼のコメントを発表した。

「HANAE MORI」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。ファッションの世界にもたらした功績を日本航空(JAL)の「客室乗務員の制服」を通じて振り返る。

「いつも美しく歩いてほしい」森さんの想い

「HANAE MORI」の公式サイトによると、森さんは1951年にスタジオを設立。

1950年代以降、数百もの日本の映画作品の衣裳を担当し、65年にはニューヨークで海外初のショーを成功させる。それを機にアメリカでの活動を経て、フランス・パリのアベニュー・モンテーニュに77年、メゾンをオープンしたという。

品のある装いと着心地の良さを一貫して提案。「いつも美しく歩いてほしい」という思いが、森さんが作品に込めたメッセージだったという。

JALの「客室乗務員の制服」で見る功績

森さんはこれまで、日本航空の客室乗務員や銀行などの企業の制服、中高生の学校服もデザインしたほか、バルセロナ・オリンピック日本選手団の公式ユニホームも手がけた。

特に日本航空の客室乗務員の制服は、「4代目」(1967年3月〜)から昭和62年12月まで着用された「6代目」(〜1987年12月)まで、3代連続でデザインを担当した。

森さんが初めて手がけた4代目の制服は、色鮮やかなスカイブルーだった。着物のように前を打ち合わせた上着で2つボタン。ポケットにはフラップが付いていて、右胸には真珠で縁取られた鶴丸のブローチが存在感を示した。

ブラウスは丸首で、スカートは後ろスリット。帽子はお椀の形で正面に鶴丸の帽章が付いていた。

客室乗務員の4代目制服
客室乗務員の4代目制服
日本航空公式サイト「制服の歴史」より

5代目の制服は、鮮やかな青から一転して、紺の印象を強めた。

紺のミニスカートワンピースに幅の広い赤のベルト、左胸の外ポケットにJALの刺繍をあしらったものだ。ちなみに、この制服で初めて、今でもお馴染みの「スカーフ」が初めて導入された

客室乗務員の5代目制服
客室乗務員の5代目制服
日本航空公式サイト「制服の歴史」より

最後にデザインした6代目は、6個の金ボタン付きの紺のワンピース。バックル付の赤いベルトに、左胸の外ポケットのフラップにはJALの刺繍が付いた。

あご紐付きのツバあり帽子で、長袖ボディシャツは3種類(赤と白の縞、紺と白の縞、紺無地)だった。袖のボーダーが目を引く制服となっていた。

客室乗務員の6代目制服
客室乗務員の6代目制服
日本航空公式サイト「制服の歴史」より

日本航空の客室乗務員の制服は現在11代目(初代は3号で全部で13着)。その中で、3代にわたりデザインを手がけた森英恵さんの功績は改めて大きい。

追悼の声が続々

森さんの孫でモデルの森泉さんは公式インスタグラムで追悼。「ママ森、たくさんの楽しい思い出と貴重な体験をありがとう🖤 Thank you for all the amazing memories and experience…R.I.P」とコメントした。

同じくモデルの冨永愛さんは、公式インスタグラムで「日本の伝統美を表現し続け、日本人で唯一のパリ オート・クチュール協会の正会員、日本が誇るデザイナー森英恵さん。パリで開催されていた彼女のコレクションに出演できたことは私の大切な思い出。ご冥福をお祈りします…」とコメント。

コレクション出演時の写真とともに追悼した。