『耳をすませば』原作を読んだ宮崎駿さんは「ストーリーが違う」と怒り出した。いったいなぜ?

『耳すま』は、「おじさん達の、若い人々への一種の挑発」と宮崎さんは語っていました。
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『耳をすませば』の一場面
『耳をすませば』の一場面
スタジオジブリ

スタジオジブリの映画『耳をすませば』(1995年)が8月26日、金曜ロードショーで放送される。宮崎駿さんがプロデュースと脚本・絵コンテを、近藤喜文さんが監督を務めたラブストーリーだ。

原作は「りぼん」で連載されていた柊あおいさん作の同名漫画だが、実は宮崎さん、漫画を読んだときに「ストーリーが違う」と怒ったのだという。

宮崎さんはどのように原作に出会い、なぜ少女マンガを原作としたラブストーリーを描いたのか。映画公開時のパンフレットなどから振り返る。

宮崎さん「ストーリーが違う」➡︎鈴木プロデューサー「当たり前です!

漫画『耳をすませば』(集英社文庫)で、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが宮崎さんと原作の出会いを解説している。その場所は、長野県にある宮崎さんの義父のアトリエだったという。

宮崎家が別荘のように使っており、鈴木さんを含めたメンバーで毎年夏休みに訪れていた。娯楽の少ないアトリエの部屋の隅には子どもたちが読み終えた古い雑誌が置かれており、その中に1冊、『耳をすませば』が掲載されていた「りぼん」があった。

4話完結のうち、2話目か3話目を読んだ宮崎さんが「この物語の前はどうなっていたんだろう?」と、「アレコレ言い始め」、鈴木さんと2人で想像をめぐらせて楽しんだのだという。

そこ限りで作品のことを忘れていたものの、次の夏にも宮崎さんが同じ「りぼん」を読み、「鈴木さん、コレ読んで!面白いでしょう」と『耳をすませば』を持って来たといい、鈴木さんは「よほど惹かれるものがあったんだと思います。そこでまた、『どんな家に住んでるんだろう?』と始まった」と振り返っている。

「団地じゃないか?」という宮崎さんに、「二段ベッドを6畳くらいの部屋の真ん中におくと、ベッドをはさんで部屋が二つできるんですよ」と自らの経験を語る鈴木さん。「そうやって大まかなストーリーが全部出来上がった」のだという。(実際映画でも雫は団地に住み、一部屋を二段ベッドで分けて姉と一緒に使っている)

しかし映画化を考えて単行本を読んだ途端、宮崎さんは「ストーリーが違う」と怒り出したのだという。鈴木さんは「当たり前です!アレは宮さんが勝手に考えたんだから、原作と違うのは当然でしょう」と突っ込んでいる。

その後、原作者の柊さんに世界観を広げるということを了承してもらい、制作が進むことになった。

原作で聖司はヴァイオリンを作らず、雫もそこまで苦しまない

映画『耳をすませば』のパンフレット
映画『耳をすませば』のパンフレット
ハフポスト日本版

確かに原作と映画には違う点も多い。原作では聖司はヴァイオリン作りはしておらず絵画を趣味としているし、留学するという話も出てこない。雫は立派な一戸建てに住んでいるし、映画ほど執筆に苦しむこともない。

原作者の柊さんは、原作からの変化についてどう感じたのか。

映画公開時のパンフレットに掲載された近藤監督との対談では「そもそも自分の描きたいことを描ききれないうちに終えてしまった作品だった」と明かし、映画版の絵コンテを見た感想として「私が原作で書きたいと思っていたことがほとんど全て入っていて、やっとこの作品がきちんとした形で結末を迎えることができたという気がして、とても嬉しかった」と語っている。

実は漫画版は不人気で、わずか4話で連載が終わっている。そのため「好きだ、嫌いだに終始するのではなくて、生きていくには恋愛以外にも大事なことがたくさんあるわけですから、異性との関係も、人間的な深いつながりとして描けたらいいな」と思っていたものの、広がりに欠いたのだという。

柊さんの思いを、宮崎さんが汲み取った形になったようだ。

ちなみに対談で近藤監督は原作を非常に気に入っていると述べ、「(原作を)できるだけ残してくださいと、お願いした」と語っている。近藤監督は宮崎さんらから絶大な信頼を寄せられたアニメーターだったが、1998年に47歳の若さで急逝している

『耳すま』は、「おじさん達の、若い人々への一種の挑発」

『耳をすませば』のワンシーン
『耳をすませば』のワンシーン
スタジオジブリ

しかし、なぜ宮崎さんは青春ラブストーリーを描こうと思ったのか。

映画公開当時のパンフレットに掲載された宮崎さんの「なぜ、今少女マンガか?この映画の狙い」には、「この作品は、自分の青春に痛恨の悔いを残すおじさん達の、若い人々への一種の挑発である」と書かれている。

日本の社会構造の揺らぎや、常識や定説が力を失いつつあることなどに触れ、この映画を作った動機がこう語られる。

「自分を自分の舞台の主人公にすることを諦めがちな観客ーそれは、かつての自分達でもあるーに、心の渇きをかきたて、憧れることの大切さを伝えようというのである」

原作は「ごくありふれた少女マンガの、よくあるラブストーリー」と評価する一方で、描かれた出会いへの憧れなどの要素は「青春の重要な真実」だとし、「すこやかであることの素晴らしさ」を表現したいと感じたのだという。原作は、その試みの「核」になりうるとも述べている。

そして、映画の狙いをこうまとめた。

「この作品は、一つの理想化した出会いに、ありったけのリアリティーをあたえながら、生きることの素晴らしさを、抜け抜けと唱いあげようという挑戦である」