エンタメ業界の性加害、セクハラ問題は世界共通。私たちは「いま」何ができるか

長きにわたってエンタテインメント業界はセクハラが「Open Secret(公然の秘密)」だった。セクハラは日本固有の問題ではなく、エンタテインメント業界全体が抱える課題なのだ。
#MeToo運動の起点となったハーヴェイ・ワインスタイン氏(2015年10月05日撮影)
#MeToo運動の起点となったハーヴェイ・ワインスタイン氏(2015年10月05日撮影)
VALERY HACHE via AFP

ジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害問題についての報道が続いている。

私が属しているクイン・エマニュエル外国法事務弁護士事務所はロサンゼルス、ニューヨーク、シリコンバレー、ロンドン、パリ、香港、シドニーなど、世界の主要なエンタテインメントおよびメディアの中心地にオフィスを構え、映画スタジオ、テレビ局、音楽放送局、出版社、ゲーム開発者およびゲーム会社、スポーツチームおよびリーグ、タレント、タレントエージェンシーなどの代理を務めてきた。

また、セクシュアルハラスメントにおいては、被害者や原告の弁護に重点を置き、ハラスメントが発生した組織の内部調査などを手がけることもある。

こうした背景に基づいて、今回はエンタテインメント業界における訴訟やセクシュアルハラスメントについて考えてみたいと思う。

セクハラは日本固有の問題ではない

私は法律を扱う者として、いかなる問題を眺める時も、悪者探しに注力するなど、問題を起こした誰かを責めることで溜飲を下げるようなことはしたくない。問題が起きた原因やその過程に目を向け、物事の本質を模索したいと考えている。

エンタテインメント業界とメディア業界は新しいテクノロジーの急速な成長と、ゲームやソーシャルメディアなどの業界への参入により、契約違反、著作権、商標、特許、企業秘密、詐欺、アイデア窃盗、不正競争といった新たな法的問題が発生している。

その領域は独占禁止法や著作権、危機管理やレピュテーションマネジメント(企業の評判の管理)など、多岐に渡る。

このことからもエンタテイメント業界には多くの利権やビジネスが存在し、活況を呈していることが分かる。#MeToo運動などの影響もあってセクシュアルハラスメントに焦点が当たることが多い。エンタテインメント業界は金融やファッション業界と並んで、セクシュアルハラスメントや差別の訴訟が多いという事実がある。

国際労働機関(ILO)の報告によれば、ヨーロッパ、アジア等を含む世界各国の74のエンタテインメント業界の組合の86%が職場や仕事に関連した環境下におけるセクシュアルハラスメントを懸念している。ライブや映画・テレビ制作が最も被害を受けやすく、その要因の多くは、問題の報告や対処がしづらい職場の環境や、キャリアへの影響に対する恐怖によるものだという。

セクシュアルハラスメントは日本固有の問題ではなく、エンタテインメントやメディア業界全体が抱える課題なのだ。

キャリアへの影響に対する恐怖を利用したセクシュアルハラスメントの顕著な事例では、2016年、米FOXニュースのCEOだったロジャー・エイルズ氏の訴訟がある。キャスターのグレッチェン・カールソンさんに性的関係を強いたが、拒否されたため解雇。セクハラ訴訟(民事)を起こされ、20億円で和解した。

また、#MeToo運動の起点となったハーヴェイ・ワインスタイン事件も記憶に新しいところである。ワインスタイン被告は2020年に、ニューヨーク州の裁判所で23年の禁固刑を言い渡されている

セクシュアルハラスメントがいかに重大な問題かは、このように賠償金や量刑で示されることで分かるだろう。

いま何ができるか

一方で、問題の報告や対処がしづらい職場環境の影響の大きさはどうだろうか。

どのような業界にも長きににわたって構築された独特な習慣やルールが存在し、それをその業界の常識と呼ぶ。一般的に常識とは誰もが持つ同じ感覚とされるが、築き上げてきた習慣やルールの是非を業界の外から問うことは、社会文化的背景や伝統を鑑みると、非常に繊細で難しい。

加えて、常識とされている文化やルールの問題であれば、いつから、どこから、どの範囲で調査、検討すべきかも迷うだろう。

今回、ジャニー喜多川氏の性加害について、国連の人権委員が調査したように、尊重すべき文化やルールを見極めるためにもその業界の専門家の見解が求められるため、時間を要してしまう。そうこうしている間に、別の場所で別の誰かが被害にあうことも容易に推測できる。

だからこそ、「いま」何ができるかを私たちは考えたい。

長きにわたってエンタテインメント業界は、セクシュアルハラスメントが「Open Secret(公然の秘密)」であり、そのコミュニティーに属する者が問題意識を感じていても、業界の常識が優先され、被害者が声を上げづらい状況であった。

しかし、#MeToo運動のように複数の被害者が徐々に声を上げ始めたことで「やっと」公然の事実として法律によって裁かれることになった。これはメディアが報じることで社会が認知し、業界のルールではなく法の下の平等によって裁かれることになったからである。

ジャニー喜多川氏の性加害問題については、メディアやステークホルダー、スポンサー企業など様々な人たちが責任問題を問われ、「悪者」探しとも見受けられる報道が相次いでいる。

このような問題を検討する時、私はごくシンプルに「いま」目の前にある問題の本質を見つめ、法の下の平等に照らし、自らの立場でできることを検討し、自らの良心に基づいて判断したい。

「悪者」を探しても、懲らしめても、問題の根本的な解決には至らない。

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