5年前に亡くなった親友に携帯メールを送り続けていた私。ある日、震撼する9文字の返信が届いた

返信に震撼はしたけれど、聞きたかった言葉でもありました

地下鉄の改札を抜けながら、私は親友のベッカに携帯メールを送った。「信じられないと思うけど、『セックス・アンド・ザ・シティ』の続編が出るよ。でもサマンサは出ないから、あなたにはおもしろくないかもね」。ニヤリと笑った絵文字を添えたメールを送り、バッグの中に携帯を放り込んだ。

降車駅に電車が滑り込んだところで、おもむろに携帯電話を取り出した私はショックのあまり地面に落っことしそうになってしまった。

5年前に亡くなったベッカから、初めて返信があったのだ。

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私たちの出会いは大学1年までさかのぼる。手工芸品フェアで、深海のような濃い緑色をした使い勝手の悪そうなバッグを買おうか悩んでいると、背後から「買っちゃいなよ」という声が聞こえてきた。振り向くと、そこにはカールしたブロンド髪を肩まで伸ばした背の高い女性が立っていた。それがベッカだった。

「ほら、買っちゃえばいいんだよ。人生は短いんだから」と決断できないでいる私に言ってきた。

ベッカは南部テキサス出身で、私はイスラエルから北西部に移ってきたユダヤ教徒。出身地は違ったけれど、すぐに仲良くなった。悩んでいた例のバッグは、背中を押してもらったおかげで買うことができた。ベッカはこの後も、人生のいろんな場面で一歩を踏み出そうか迷う私の背中を押し続けてくれる存在だった。

ベッカと私は1歳と5日の年の差があり、生い立ちも違ったが、双子に間違われることもあった。でも、ベッカの方が私よりも勇敢だった。私と父親の会話を耳にしたベッカは「ねえ、私たちどっちも親には恵まれなかったよね」と言った。ベッカは私が言えないでいたことを言ってくれた。

妊娠がわかった時、ベッカは真っ先に伝えたうちの1人だった。

「子どもが好きじゃないってわかっているけど、私の子どもなら好きになってくれるでしょ?」とちょっと緊張しながら私はベッカに聞いた。戻ってきた答えは「いや、それはない。子どもは面倒くさい。でも、あなたのことはいつだって大好きだよ」だった。

結婚生活に不満があるけれど、離婚に踏み切れないでいることも相談した。ベッカは私の話を途中で遮り、「離婚したいのなら、他の人がどう思うかなんて気にしないこと。離婚したいのか、それとも離婚する必要性を感じているのか」と尋ねられた。もう何年も結婚生活と頑張って向き合おうとしてきた私はこの質問で、もやもやが晴れるのを感じた。「離婚する必要がある」と気づくことができた。

ベッカは、出版、イベント企画、ハンドバッグのビジネスなど転職を繰り返す生活を送っていた。一緒に夕食を取っていた時、ベッカの夫が私に「また仕事を変えたんだよ」と教えてくれていると、すかさず「それでも私のことを愛しているでしょ」と口を挟んでくるお茶目さもあった。みんなそんな彼女のことが大好きだった。

そんなある日、実は具合が悪いことをベッカに打ち明けられた。背中の痛みを放置していた彼女が医師に診せた時には、すでに膵臓がんがステージ4まで進行していた。家族や友人がショックのあまりぼう然とするのをよそに、本人は生きることに専念した。彼女の希望で、私は一緒に版画教室に通い、4つもの読書クラブに入会させられた。

新しい本を一緒に買いに行った時、ベッカは「まだ読みきれていない本がたくさんありすぎる」とつぶやいた。私は泣くところを見られたくなくて、少し離れて本を探しているふりをした。

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ベッカの葬儀から1週間後、地下鉄に乗っているとトゥイーティーバード(アニメ「ルーニー・テューンズ」に登場する黄色い鳥のキャラクター)の格好をした男性が隣に座ってきて、ウォール・ストリート・ジャーナルを取り出した。ものすごいギャップで、すぐにベッカがおもしろがると思った。ベッカにメールを送るため、本能的に携帯電話に手を伸ばした。

男性の様子を打ち込んでいる途中で、ふと我に返った。隣に座ったトゥイーティー姿で株価をチェックしている男性と、死者にメールを送ろうとしている自分とどっちがよりやばいのか。画面上でしばし震える指をさまよわせた後、やっぱり送ることにした。

私はとにかく送信ボタンを押した。しばらくは胸が軽くなったような気がした。

それから1週間。今度はマンハッタンの高層ビル越しに見つけた二重の虹の写真を送った。「会いたいよ」というメッセージを添えて。新しいドレスの写真にクエスチョンマークをつけて送ったこともある。送ったメールが(既読を示す)ブルーに変わるかもしれないと、いつもちょっと待ってしまった。

もらえるはずのない返事を待って、携帯電話を握りしめる私を周りの人たちがどんな目で見ているのかはわかっていた。でも、他人の目は気にならなかった。ベッカがそうある強さを教えてくれたから。

他の人に打ち明けようとは思わないこともベッカになら送ることができた。「結婚生活は終わるかもしれないけど、彼と寝ようと思う」「今日、親であることが嫌になった」「もう何がしたいのかわからなくなった。すごく落ち込んでいる」「ドレスを7着注文して、全部返品した」といった内容だ。

2度目の母乳育児がどれほど嫌か伝えた時は、「子どもをおっぱいから離せばいい」と言うベッカの声が聞こえてきた。だから、その通りにした。

1度だけベッカに嘘をついたことがある。彼女の夫が再婚することになった時、「彼は惨めに見えるよ」と携帯に打ち込んだ。彼女が寛大になれないことを知っていたから。夫だった人がメロメロになって別の人と結婚の誓いを立てている姿や桃のテーブルクロスなど、どれをとってもベッカは嫌ったはずだから。

ベッカの夫は彼女の闘病中だけでなく、亡くなった後も地獄のような日々を過ごしていた。だから慰みを得たことを知って私はうれしかった。でも、結婚式の日のベッカがまるで幸せを放つ電球のようで、見る人すべてを圧倒したことを覚えているから、つらくて嘘をついたのだ。

一方通行の会話を始めて1年が経ったころ、「携帯電話番号が別の人に割り当てられるまでにどのくらいかかる?」とGoogle検索した。「90日経っても番号が割り振られなければ、おそらくもう他の人のものになることはなさそう」ということがわかった。

それもあって、ベッカの番号から返信があった時の驚きは大きかった。

◇ ◇ ◇

乗客たちが所狭しと行き交う地下鉄のプラットホームで、私は立ち尽くし、携帯電話の画面に釘付けになった。

返信メールには「すみませんが、どなたですか?」と書かれていた。

震える手で携帯画面をスクロールした。この数カ月前にもベッカにメールを送っていた。「これはベッカという友人の番号です」と打ち返した。

また返信があった。「今は私の番号です。もう送ってこないでください」

驚きと悲しみと怒りがないまぜになった奇妙な感覚に襲われた。憤りを覚え、「申し訳ありませんが友人が亡くなってしまい、これが彼女とコミュニケーションを取る唯一の方法なんです」と再度送った。

胸に込み上げる悲しみを押し殺し、携帯電話をしまって私は歩き始めた。地上に着く前に、バッグの中の携帯が鳴った。

「お悔やみ申し上げます。だけど、もう送ってこないで」

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最後にベッカにメッセージを送ってから7カ月が経つ。携帯でのコミュニケーションを懐かしく感じる。ベッカが返事をくれなくても、つながりを感じられたからだ。

だけど、ついに送りつけられた「もう送ってこないで」という9文字のメッセージはまさに私が聞きたかった言葉だった。 正直なところ、ベッカだってできることならそう送ってきたと思う。最初は人生のばかばかしさについてつづっていたのに、時が経つにつれて自分の不安について書くようになった。不安や恐怖について声に出すことを避けるようになっていく私を、ベッカはきっと良く思っていなかったはずだ。

「あなたはまだここにいる。まだ生きていることを精一杯活かさなきゃダメだよ」とベッカは言うはず。

ベッカは何事でも有益さがなくなった時の受け止め方がうまかった。すがってしまう私とはちがって。きっとベッカは私が前に進んでいくことを望んでいる。彼女のことを思い出したり、語りかけたりすることをやめるということではなく、私の人生をしっかり生きてほしいと思っているはずだから。

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筆者のSarah Gundle氏はゲストライター。心理学博士で、マウントサイナイ医科大学の准教授でもある。

ハフポストUS版記事を翻訳・編集しました。