KADOKAWA出版予定だった本の6つの問題。専門家は『あの子もトランスジェンダーになった』は誤情報に溢れていると指摘

古い診断法の引用、科学文献の読み間違え…。本書の問題をアメリカの医学博士が指摘する
Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters
Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters

アビゲイル・シュライアー著『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の日本語版が、KADOKAWAから出版予定だったが、中止になった。

この本は、2020年にアメリカで刊行された時にも物議を醸した。この時、医学博士ジャック・ターバン氏は本書の6つの問題を指摘して、虚偽情報にあふれていると批判している。

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アビゲイル・シュライアー氏の新刊『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』が大変な騒ぎになっている(訳注:2020年刊行時の米国での騒ぎを指す。原題 Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters 回復不能なダメージ:娘たちを唆すトランスジェンダー・ブーム)。

本書の中核をなす(そして誤った)前提はこうだ――本当はトランスジェンダーなどではなくただ混乱しているにすぎない「トランスジェンダー」の若者が途方もなく大勢いる。かれらはジェンダー・アファーミングな、すなわち自認する性に近づける医療的介入(ホルモン療法や性別適合手術など)を受けるようみな急き立てられていて、あとでそれを後悔することになるのだ。

誤った情報に満ちた突拍子もない本だ。医師そして研究者として、トランスジェンダーの若者のケアと理解にキャリアを捧げてきた私はそう思った。

こんな本にまさか影響力はあるまい、と思った。ところが大間違いだった。

インターネットが政治的なデマの広がり方を劇的に変えたことに気づいているべきだった。

ネット上ではしばしば、何が真実かがうやむやになってしまう。

無責任なジャーナリストじみた手口とまったくのデタラメに満ちた本書は、大当たりした。

Twitterで拡散し、雑誌エコノミストの2020年の「今年の本」にまで選ばれた(「今年の本」のリストは長いので、すべてをファクトチェックしていないのだろうと善意で解釈することにする)。

非主流派のいくつかの団体、たとえば米国小児科医師会(これは反LGBTQ団体なので、米国小児科学会と混同しないように)を除けば、トランスジェンダーの若者や多様なジェンダーの若者に対し、自認する性に近づけるケアを施すこと自体がいまの医学界で論争の的になることはない。

アメリカ精神医学会米国小児科学会米国内分泌学会米国児童青年精神医学会世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会などは、定められたガイドライン(例えば米国内分泌学会のものなど)に臨床医が従う限り、自認する性に近づけるための医療的ケアをトランスジェンダーの若者に施すのは適切だという見解で一致している。

そういったガイドラインを読めばわかるように、どのような治療が推奨されるかは個々人の発達段階によって変わるし、具体的な基準を満たさない若者は治療対象とならない。

この慎重な段階的アプローチについては、私も数年前にニューヨークタイムズに書いている。

それでも本書が注目を浴びた主な理由は、シュライアー氏に論争を巻き起こす才能があるからだ。

トランス嫌悪だとの(もっともな)非難を受けてアメリカのディスカウントストア・ターゲットがこの本をウェブサイトから一時的に取り下げたところ、氏はすかさず言論の自由の侵害だと主張した。

それについては本人がウォールストリートジャーナルに書いている。

言論や出版の自由を保障する憲法修正第1条があるからといって、ターゲットに自著の販売を強制できるわけではない。それでもこの本は人々の感情に訴えかけ、旋風を巻き起こした。私は憂慮せざるをえない。

一般的に、トランスジェンダーの若者は嫌がらせを受け、地域社会でスティグマを経験している。そのことは自殺率の高さを含めた(シスジェンダーと比較しての)メンタルヘルスの大きな格差をもたらしている。

しかし近年、過激な社会的保守派は、思春期のトランスジェンダーの若者を支援するための標準的な治療を実践する親や医師を刑務所に入れると脅し、医療を取り上げようとしている。

本書はその火に油を注ぐものだ。

だがそれよりなお恐ろしいのは、子どもの性自認を拒絶せよと親たちに説いていること。それこそがまさに、トランスジェンダーの子どもたちの自殺未遂の最大の予測因子の一つであるにもかかわらず。

自分に関係するデマが世間に溢れかえる――トランスジェンダーの若者たちがそんな目に遭っていいはずがない。本書について我々が知っておくべきことがいくつかある。

シュライアー氏は、自身が取り上げたトランスジェンダーの若者のほとんどに取材していない。

本書は、トランスジェンダーだと両親にカミングアウトした数人の若者について記している。

そして、その思春期の未成年や若者は、実際はトランスジェンダーではなくただ混乱していたのだと主張している。

だが問題なのは、シュライアー氏がこれらの若者にほとんど直接取材していないことだ。

シュライアー氏が取材したのはほとんどの場合親のみであり、その親たちは総じて、自分の子がトランスジェンダーを自認することを受け入れていなかった。

親の多くは子どもと疎遠になっていた。親から拒絶された子どもたちが深く傷ついたからだ。

そのような若者の心理を理解するには、子が口をきいてくれなくなった親の話を鵜呑みにするのではなく、本人の話を聞いてみる必要があるだろう。

さらに悪いことに、本で紹介したトランスジェンダーの若者が自分のことだと認識しないように細部を変更した、とシュライアー氏は前書きで説明している。

そうすることで、トランスジェンダーの若者たちが自分たちの言い分を述べたり、不正確な部分を指摘したりできないようにしたのだ。

シュライアー氏は、自分は政治とは無関係だと主張する。ところが本書は、保守派政治思想の推進を使命に掲げるレグネリー出版社から出ている。

シュライアー氏は、本は政治的なものではなく、自分は中立的な調査ジャーナリストだと主張している。

しかしレグネリー出版社は自らを「アメリカを代表する保守派出版社」と称しており、『バイデンの策謀』や『保守の心』といった本を出版している(編注:統一教会の創立者である文鮮明を擁護する本を過去に出したこともある)。

さらに、自社の著者リストについて「アン・コールターをはじめ、保守派の思想と行動で知られる有名人が名を連ねている」とまで自慢している。

シュライアー氏の客観性にさらに疑問を抱かざるを得ないのは、本書全体を通してみられる、粗野で攻撃的な言葉づかいだ。

たとえば、性別適合手術を受けるという極めて個人的な決断を論じるにあたり、こんな調子なのだ。

「この人たちのほとんどが、男らしさを定義する特徴を得るために必要な陰茎形成手術を受けないのだから、男性自認とやらの脆弱さがいやでも目につく。小便器の前に行けば男性ごっこもおしまいだ」

シュライアー氏は「性別違和はほとんどの事例(70%近く)で解消される」のだから、自認する性に近づけるための医療ケアを若者に提供すべきではない、と主張しているが、この統計は誤っている。

この統計を不正確に用いて氏は、ほとんどの人が決断をあとで後悔することになるのだから、自認する性に近づけるための医療介入がトランスジェンダーの若者へ提供されるべきではない、と主張する。

だがシュライアー氏が引用している研究は、新しい診断基準であるDSM-5(精神疾患の診断と統計マニュアル第5版)の「性別違和 gender dysphoria」ではなく、「性同一性障害(gender identity disorder)」という古い診断法を用いている。

これがなぜ問題かというと、この古い診断法だとトランスジェンダーでなくとも診断基準を満たすことがあるのだ。

古い基準は主に性表現(ボーイッシュな女の子や、「女の子向け」のおもちゃが好きなシスジェンダーの男の子など)に焦点を当てていた。

そういった子どもたちはトランスジェンダーではないのだから、ほとんどがトランスジェンダーでなかったと後から判明しても、まったく意外ではない。

このDSM-IV(精神疾患の診断と統計マニュアル第4版)の「性同一性障害」診断の問題は、DSM-5で修正されている(編注:DSM-IVは1994年、DSM-5は2013年に発表されている)。

さらに、氏が参照した研究は思春期前の非常に幼い子どもを対象にしている。

だが現在の医学の総意において、思春期前の子どもには自認する性に近づける治療は行わないことになっている。思春期を迎えて初めて提供されるのである。

思春期を迎えたトランスジェンダーの若者が、あとになって自分はシスジェンダー、すなわち非トランスだったと結論を下すことは稀だ。

シュライアー氏は、トランスジェンダーだと言う子どもの多くは実際にはLGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル)なのに怖くてそう言えない、それはトランスジェンダーの方が辛くないスティグマだからだ、と主張する。だが実際のデータはその逆を示している。

トランスジェンダーだと主張する若者は実際にはトランスジェンダーではない、という自らの主張の裏付けとして、シュライアー氏は「ライリー」という名のティーンエイジャーの証言を取り上げている。

それによると、現代の若者は同世代からの圧力のせいでLGBだとカミングアウトできず、受け入れてもらうためにトランスジェンダーを名乗るしかない、とライリーが語ったというのである。

シュライアー氏は、そういう子どもは実際はトランスジェンダーではないのに、LGBであると言うのが怖いという理由だけで性別移行を選んでいるのだ、と論じている。

これはまったくのナンセンスだ。

ゲイ・レズビアン・ストレート教育ネットワーク(GLSEN)の2019年の大規模調査で、トランスジェンダーの学生はLGBの当事者よりも学校で強い敵意にさらされていることがわかっている。

この研究では、トランスジェンダーの子どもの4人に1人近くがいじめのせいで転校を余儀なくされたことも明らかにされている。

さらに、アメリカ疾病予防管理センターのデータでは、レズビアン・ゲイ・バイセクシャルと答えた思春期の子どもは10.5%で、トランスジェンダーの1.8%より遥かに多かった。

シュライアー氏は、思春期の子どもたちに思春期ブロッカー〔二次性徴抑制ホルモン療法〕を与えると、よりトランスジェンダーと自認し続けやすくなると述べているが、これも間違いだ。

シュライアー氏は本書の多くを、トランスジェンダーの若者に二次性徴抑制治療を認めるべきではないという主張に費やしている。なぜなら氏は、その薬のせいで本人たちが性自認に「執着」しがちになる、と考えているからだ。

まずそもそも、トランスジェンダーであるのが悪いことだと示唆すること自体が不適切だ。

だがシュライアー氏はそもそも、科学文献を単純に読み間違えてもいる。

オランダで行われた大規模な研究で、二次性徴抑制療法を始めた子どものうち、自認する性に近づけるためのホルモン治療(エストロゲンやテストステロンなど)に進まなかったのはたった1.9%だったことにシュライアー氏は注目している。

しかしこれは、二次性徴抑制療法のせいでトランスジェンダーであることをより強く認識するようになったからではない。

むしろ、オランダでは二次性徴抑制療法の開始基準が厳しく、ガイドラインが遵守されていること、すなわち、ジェンダー専門のクリニックに6カ月通い、厳格な審査を受ける必要があったことの結果だと言えるだろう(日本のガイドラインにおいても「二次性徴抑制療法は正常の思春期発達の文脈の中で評価されるべきであり、本人の発達や同年代の二次性徴との齟齬をきたさないなどの慎重な配慮を要する」と明記されており、ケアは慎重に進められている)。

自認する性に近づけるための医療的ケアがトランスジェンダーの若者のメンタルヘルスを改善していることを示すデータを、シュライアー氏はことごとく無視している。

シュライアー氏は、「ライリー」のようなティーンエイジャーのエピソードや、子どもと疎遠になっている親の話をここぞとばかり紹介しているものの、自認する性に近づけるための医療ケアがトランスジェンダーの思春期の子どもに恩恵をもたらすことを示す査読付き科学論文にはさほど興味がないようだ。

もっと読みたいという方々のため、文末に参考文献をいくつか記しておこう。

まとめよう。米国小児科学会米国内分泌学会の医師は、トランスジェンダーの若者にはどのような支援がベストなのかという明確なガイドラインを発行している。

読者諸賢におかれてはそういった信頼すべき情報源に頼られたい――本書『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』などではなく。

トランスジェンダーの若者たちを支援する最善の方法についての正確な情報は、もっと広く知られなくてはならない。

著者:ジャック・ターバン(医学士、保健学修士):文筆家、スタンフォード大学医学部児童青年期精神医学特別研究員。トランスジェンダーや多様なジェンダーの若者の心の健康の研究に携わる。

共訳:エミリ・バリストレーリ、紅坂紫、長谷川珈

医学的監訳 池袋真 (女性医療クリニック LUNA ネクストステージ トランスジェンダー外来、産婦人科専門医、GID学会認定医)

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