「死なずにいるということは、勝ち続けてきたということ」悩みを抱えながら、どう生きるか

「死にたい」気持ちと向き合ってきた私たちは「いま生きている」ということだけで、勝ち続けているのではないか。横道誠さんと代麻理子さんが語り合う、「死にたい」気持ちを抱えたまま生きていく【第3回】
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人は、「死にたい」気持ちとどう向き合っていけばよいのか。

ドイツ文学の研究者でありながら、40歳でASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の診断を受けて以来、発達障害の当事者研究をしながら多数の著作を刊行している横道誠さん。2023年9月に出版された『解離と嗜癖 孤独な発達障害者の日本紀行』(教育評論社)は希死念慮(※)が強かった時期に書いたという。

一方、YouTubeチャンネル「未来に残したい授業」を運営し、チャンネルで対談してきた研究者や専門家からの若者に向けた自殺防止メッセージを集めた『9月1日の君へ━明日を迎えるためのメッセージ』(教育評論社)を刊行した代麻理子さん。

「死にたい」気持ちと向き合ってきた2人が、希死念慮が強くなるのはどんな時なのか? そうした時に命綱になる存在は何か? について語り合った

※希死念慮…「消えてなくなりたい」「楽になりたい」など自殺に対する思いにとらわれること。

希死念慮が強まる3つの要素

代麻理子さん(以下、代):『解離と嗜癖』の後半には、ウェルビーイングな状態について「主観的ウェルビーイングないし幸福感は、高い自己肯定感と抑うつ兆候の少なさと、協調的な行動の多さと、自尊心の高さと、精神病的傾向の少なさに決定されるということだ」とありました。これを読んで、私は全部低めだわ…と思ったんですよね。

横道誠さん(以下、横道):末木新さんの『自殺学入門』(金剛出版)では、精神科医のトーマス・ジョイナーらが提唱している対人関係理論が紹介されており、3つの要素が重なると自殺願望が強まると述べられています。

まずは、自分の身体に死にきるだけのダメージを与える「自殺潜在能力」、次に共同体に属していない、人間関係の希薄さなどの「所属感の減弱」、そして、「負担感の知覚」、つまり他者にとって自らが「お荷物」になっているという感覚のことです。これら3つの要素が合わさった時に自殺リスクがもっとも高まるとのことです。

代:たしかに、私自身も負担感の知覚が強かったです。この本を読み、自分を責める発想になったらヤバいな…と気をつけるようになりました。

『自殺学入門』には「自殺者は自己を殺したいわけではなく、どうにかして生かしたいのです」とも書かれていて、その通りだと思いました。「もう死ぬしかない」と思う状態って相当つらい。でも裏を返せば、「どうやったら生きられるだろう」との強い欲求でもある。自分だけで考えていると迷宮入りしちゃうんですよね。私もそうだったな、と思います。

自分は「お荷物」ではないか

横道:周りのお荷物になっていると自分で思うのは、かなりまずい状態ですよね。「別にお荷物になってるわけじゃないよ」と、自分の考えをリフレーミングしてみる。自分がいなくなったとして、やっぱり淋しい人もいるんだと気づいて欲しい。気づけなくなるくらい鬱状態になっていたり、酩酊していたりするから、死にきってしまうわけですけど。

だから先ほどの3つのファクターでは、やっぱり「所属感の減弱」が最重要のファクターかなと私は思います。人間関係のつながりによって、日常的に「所属感の減弱」を予防するのが鍵になる。

代:そうですね。ただ、発達障害の当事者だと、所属しづらいというか、うまくコミュニケーションできないことが悩みの大元にあるのかなと思うのですが、どうでしょうか?

横道:たしかに、いきなり共同体に入っていくことが難しいケースもあるので、命綱になってくれるようなものが必要ですよね。

典型は、プロの支援者。プロに頼れるルートやサービスやお金がない、支援者が信頼できない、という人にも勧められるのが自助グループ。支援者に対して一生懸命話したのに、ぜんぜん伝わらなかったという体験は、多くの当事者がしています。その点で当事者仲間は自分の「分身」ですから、すいすい理解してくれます。そういう、いざという時に命綱になるような存在を、なるべく多く持っておくことはポイントでしょうね。

代:次々に新刊を発表されている横道さんにとって、「書く」ことが自分を救っているともおっしゃっていましたよね。

横道:たしかに、私にとっては本を書くことも命綱の1つ。文章を書くことで、自助グループで自己開示して仲間とつながっていくようなことが、より深められるように思います。自助グループで語るよりじっくり自己開示できるから、読んでくれた読者たちとのつながりも深くなる。代さんのような、熱量の高い読者が増えるのは嬉しいですよ。

自閉的傾向がある人の特徴

代:横道さんは、以前「猫のように1人で過ごしたい」とお話していましたが、「つながり」を大切に考えているということは、基本的には人といたいのでしょうか?

横道:いや、そうではないです。友達と遊びに行こうとはほとんど思わないし、1人で本を読んで論文や原稿を書いている方が楽しいタイプなので。

代:基本は1人でいる方が落ち着くんですね。

横道:そうそう。だからLINEもほぼやらないし、X(旧Twitter)とかでも、ソーシャル・ネットワーク・サービスなのに、私はそんなにソーシャライズしてないですよ。本の出版があるから宣伝しよう、みたいな(笑)。おおむね一方通行的で、やっぱり自閉的だなと。

代:それ、私もそうだと、横道さんの著書を読み気づきました。自分ではコミュニケーションをしているつもりだけど、一方的なんだなって。実際に人からそう言われたこともありますし…(苦笑)。SNSでもコメントをもらうと嬉しいけど、何て返信したらいいかわからなくて何時間も考えちゃって、結局返事を書けない、みたいなことがよくあります。

横道:自助グループでは、「こういうルールと方法でコミュニケーションしてください」と決まっているから楽なんですよね。だから、自閉的傾向がある人にとって安心できる。代さんも来てみてください。

代:困ったらそこに行こう、と思える場所があるのはありがたいです。ただ、1つ心配なのが、私は正式に診断を受けているわけではないから他の参加者のみなさんに「いやお前は違うだろう」って嫌な思いをさせないかなと…。

横道:いえいえ、私が主宰している自助グループは自己診断の人も歓迎しています。断っている会もあるとは思いますが、私は「自分がそう思うんだったらそうなんでしょう」と思っているので。

死なずにいることは、勝ち続けてきたということ

代:横道さんの『唯が行く!』(金剛出版)には、次のようなセリフがあります。

「僕の人生は、結局はぼくを殺せなかったということだ。ぼくがとっくに自殺して、この世からいなくなっていたという可能性だってあった。でもいまのところ、ぼくは生きている。それだけで『じつは勝っていた』ということではないか。ぼくは『負けつづけてきた』のではなくて『勝ちつづけてきた」のではないか。

それはもちろん他者との勝ち負けの話じゃない。いまでもカルト宗教の信者でいる人や、苦しくて自殺した人が負けた側で、ぼくが勝った側だとかいう話じゃない。そうではなくて、ぼくの人生はぼくを殺そうとしてきたのに、ぼくはその人生との戦いに勝ってきたということだ」。

別の登場人物からそう思う時はどんな気分かを聞かれると、「自分のことが誇らしくなります。こんな気持ちは初めてだ」と。これにはすごく感動しました。

希死念慮が自分ごとだと思う人は、それを乗り越え続けてきたことだけで、勝ち続けてきてるんだ、とはこの先もずっと覚えていたいです。

横道:ただ、それを伝えるのって難しいんですよね。私が『唯が行く!』でやったみたいに、本人が言っていれば、ありだけど、人から言われるとなんだかムカッとするかもしれない。うまいこと言いやがって、みたいな。

代:そうかぁ。私は「暗黙の了解」が苦手だから、言葉にすごく頼るんですよね。名言集みたいなものも好きだし、いいことを言葉でちゃんと伝えてくれると安心します。『唯が行く!』も、困った時には思い出してもう1回読もうと思える、大切な1冊です。

横道:ありがとうございます。今日の対話はいいですね。お互いに自閉的な傾向があるから、本題の「希死念慮」について密度の高い話ができました。みなさんも自助グループにもよかったらいらしてみてください。

(構成:片岡由衣)

横道誠さん(左)、代麻理子さん(右)
筆者提供
横道誠さん(左)、代麻理子さん(右)