母の日、2024年はいつ?由来は?創設者の女性は「母の日の商業化」にうんざりしていた

母の日は5月の第2日曜日。日本では、感謝を伝えたり、カーネーションなどのプレゼントや手紙を贈ったりする慣習があります。
イメージ画像
Nora Carol Photography via Getty Images
イメージ画像

毎年、母の日は5月の第2日曜日と決まっています。

2024年の母の日は、5月12日の日曜日

日本では、感謝を伝えたり、カーネーションなどのプレゼントや手紙を贈ったりする慣習があります。

「母の日」誕生の由来は? 起源は諸説ありますが、アメリカのある一人の女性が母の日を広めたと言われています。

しかし、その女性はその後、母の日の「反対派」に。

一体、何があったのでしょうか?

平和を訴えた母の命日が始まり

1908年、バージニア州に住むアンナ・ジャービスさんが、自身の母親の2回目の命日を追悼しました。追悼式の祭壇にはカーネーションの花が飾られており、これが最初の「母の日」と言われています。

HISTORYによると、生前アンナさんの母アン・リーブス・ジャービスさんは、「母の日ワーク・クラブ」(Mother’s Day Work Club)を組織し、1861~1865年の南北戦争では、負傷した兵士たちを助ける活動を行っていました。

戦争後も、アンさんらは「母の友情の日」(Mother’s Friendship Day)と題し、平和を訴える活動を続けました。

また、1870年には、アメリカの愛国歌「リパブリック讃歌」(The Battle Hymn of the Republic)の作詞者であり、女性の権利活動家のジュリア・ウォード・ハウさんが「母の日宣言」を行い、女性の政治参加と平和を呼びかけました。

1908年以降、娘のアンナさんの呼びかけで、母の日はアメリカ中に広がっていき、1914年にアメリカでは、5月の第2日曜日が「母の日」に制定されました。

 

ところが、後にアンナさんは母の日を廃止する活動に携わるようになります。

「母の日」創設を呼びかけたアンナ・ジャービスさん
Bettmann via Getty Images
「母の日」創設を呼びかけたアンナ・ジャービスさん

「母の日の商業化」にうんざりしていた

ナショナルジオグラフィックによると、アンナさんが考えていた「母の日」は、母親を敬い感謝する家族間の個人的なお祝いの日。

しかし、次第に花屋やグリーティングカード会社などの企業が参入し、「母の日」は商業的な日に変貌していきました。

その変化にうんざりしたアンナさんは、ボイコット運動を呼びかけ、「母の日」という名前を使用するグループを相手取って多くの訴訟を起こしたそう。商業化した「母の日」の廃止のために、多くの財産と時間を費やしました。アンナさん自身は結婚せず、子どもはいなかったといいます。

その活動は少なくとも1940年代初頭まで続き、アンナさんは1948年、84歳の時にフィラデルフィアの療養所で亡くなりました。

 

日本ではどう広がった?

日本に母の日が伝わったのは、明治時代の末期頃と言われています。

 

ウェザーニュースによると、日にちは当時の皇后様の誕生日3月6日。一般にはあまり普及しなかったといいますが、菓子メーカーの森永製菓が1936年に「森永母を讃へる会」を結成し、「森永母の日」の行事を全国規模で展開。

 

これをきっかけに全国に広がり、アメリカにならって日本でも、5月の第2日曜日が母の日となりました。