2020年08月17日 09時59分 JST | 更新 2020年08月17日 10時03分 JST

日本の街が、世界に“輸出”されるワケ。132年を経て、まちづくりの先進国になった背景に迫る

開発途上地域から、先進国の大都市まで。世界で評価される、日本ならではの都市計画とは

UR都市機構

日本のまちづくりの手法が、海外のまちづくりで求められているという。

それも、インフラ、区画整理など「基盤」の整備を必要とする開発途上地域から、すでに多くの住人が豊かな暮らしを送る先進国の大都市まで、実に多くの海外都市が、日本のまちづくりをモデルケースとしているのだ。

街の特色、資源、課題、暮らす人のニーズも大きく異なるであろう海外で、日本の手法が求められるのは、一体なぜ?

海外と日本の都市開発を比べてみると、日本ならではの「利便性」と「優しさ」が見えた。

関東大震災と戦後に転換点を迎えた、日本の都市計画 

日本と海外では、持つ資源も、抱える課題も、目指す都市の景観や機能も大きく違うはず。海外で、日本のまちづくりのノウハウが求められるのはなぜ? その「謎」を解明すべく、日本と海外の都市計画を研究する、日本大学の大沢昌玄教授に話を聞いた。

YASUHIRO SUZUKI
日本大学理工学部土木工学科の大沢昌玄(おおさわ・まさはる)教授。都市計画史、都市交通計画、災害復興など「まちづくり」に関する幅広い分野を研究している。

明治維新を経て、首都である東京(江戸)の街が近代都市へと変化していく中、日本の「都市計画」がスタートしたのは政府が「東京市区改正条例」を公布した1888年のこと。切り離せないのが、「人口増加」と「交通」だと大沢教授は話す。

「明治維新の1868年に3,330万人であった東京の人口が、1920年には5,600万人になりました。1872年には日本初の鉄道が新橋横浜間で開通し、本格的な都市交通である東京馬車鉄道も1882年に開業。この人口増と鉄道の2つが、東京の、ひいては日本の都市計画の大きなポイントとなったのです」

こうして、人口増加に対応するための「インフラ整備」、街のにぎわいと利便性を創出するための「交通基盤」を特徴としたまちづくりが始まった。

「外国人による日本の風土や気質を活かした技術指導、そしてまちづくりの“先進国”であるイギリスやドイツなどから帰国した日本人留学生により、1880年代には日本人だけで施設整備をできるようなりました」

人口が大幅に増えた大阪、名古屋などでもこうした都市計画適用の機運が高まり、1919年に「都市計画法」が制定された。

Getty Images/iStockphoto

1923年の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京や横浜では、復興事業が収束した後、拡大する都市の整備に土地区画整理事業が用いられ、鉄道と一体となって整備が進められた。

しかし、1945年の終戦で日本の都市開発は再びゼロからのスタートに。戦後のまちづくりを主導したのが、1955年に発足したUR都市機構の前身「日本住宅公団」だ。

「戦後、人の快適な住まいと暮らしから街の発展を目指す都市計画が広まりました。この手法が、今、日本のまちづくりが海外で参考にされている理由のひとつ。街の設計をする段階から、そこに暮らす人のライフスタイルやコミュニティの将来像まで描く “エリアマネジメント”をおこなってきたのも、日本の都市計画の特徴です」

元々は、海外を参考にスタートした日本の都市計画。そこに、戦後の課題解決から生まれた「住まい」「人」を中心にした手法が加わり、日本独自の便利で優しいまちづくりが生まれたのだ。 

「つくるだけでなく、育てるまちづくり」

130年を経て、今では日本の都市計画、まちづくりのノウハウを海外に輸出する立場になっている。 

「正直、技術だけを教えられる国はいくつもあります。でも、日本の都市計画はハードとソフト、両方向から考えられている。言うなれば、“つくるだけでなく、育てるまちづくり”かなと。工事が終わったらプロジェクト完了ではなくて、住民にとってはそこがスタート。その先まで見据えたまちづくりは、世界から注目されています」と大沢教授。「さらに、欧米に先んじて進んだTOD(公共交通指向型開発)も評価されています」。

TODとは、公共交通機関を街の基盤とし、自動車に依存しない社会を目指した都市開発。SDGsなどの観点から持続可能な都市開発が求められる今、日本のTOD事例が世界のモデルケースになっているという。

MarsYu via Getty Images

駅を中心に道路や街が広がる東京駅や、3月に開業した高輪ゲートウェイ駅もその一例だ。人や環境に優しく、街の利便性や発展を両立させた日本ならではのTODには、海外からの視察も相次いでいる。

そのサポートをしているのが、UR都市機構だ。戦後から今日に至るまで、時代や地域ごとの課題に合わせたまちづくりを進めてきたノウハウと、公的機関としての公平・中立な立場を生かし、海外からの研修・視察の受け入れや、海外政府・企業との連携、専門家の派遣などを通して海外都市開発をサポートしている。

同社は、東南アジアを中心に31か国に302名の職員を専門家としてJICA(国際協力機構)などを通じて派遣(1979〜2020年現在)、アメリカやロシアから、アフリカまで127か国から約13,800名の研修・視察の受け入れ実績をもつ。また、URがアドバイザー、コンサルタントとなったり、国内事業者、専門家を紹介して技術提供をしたり。現場でも机上でも、開発途上地域から先進国の大都市まで、各地の都市開発に貢献してきたと言える。 

その中でも、とりわけ注目を集めているのがオーストラリア・シドニーでの開発だ。現在進行形の大規模プロジェクトについて、同社海外展開支援部 豪州課の鐘江正剛さんに話を聞いた。

世界中の都市を視察した中で、日本が選ばれたワケ 

JULIE FUKUHARA
UR都市機構海外展開支援部 豪州課 課長の鐘江正剛さん。現在は新型コロナウイルスの影響でストップしているが、3月まで毎月渡豪し、現地政府と都市計画に関する協議を重ねてきた。現在はビデオ会議で実施しているそう。

鉄道、空港、住宅などのインフラ事業において、国内民間企業の海外進出推進を目的に2018年8月に施行された「海外インフラ展開法」。その第一号としてスタートしたのが、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州政府への技術協力だ。同社にとっても、外国政府機関との初の契約締結となる。

オーストラリアの「経済首都」とも言われる同州最大都市のシドニーは、積極的な移民受け入れにより著しく人口が増加し続けており、今後の成長と、それに伴う交通渋滞・既存インフラの整備が重要課題とされている。同州は、西シドニー地域の8地方自治体と連携して2026年開業予定の新空港とその周辺地域を対象に開発を進めており、そのサポートをおこなっているのがURだ。

UR都市機構
https://www.ur-net.go.jp/news/lrmhph000000jkwq-att/ur2018_press_1130_nsw.pdf
Western Sydney Airport
https://westernsydney.com.au/your-airport/sydneys-new-airport

「現地では、30〜40年前から新空港の構想がありました。世界最先端、国際競争力のある都市を目指して世界各地を視察する中で、日本の手法を参考にしようと決めたそうです」と鐘江さん。  

24時間体制のハブ空港となるシドニー新空港から、30分で都市圏へ移動できるようにする鉄道網の整備や、空港・駅を資源としたまちづくり。さらに、20万人の新たな雇用創出を目指すなど、「交通」による利便性と「人」を最優先にした西シドニー地区都市計画は、まさに日本の手法が存分に生かされた内容だ。

「人の暮らしを最優先に計画し、地域の資源を最大限生かしながら、その補完としてデジタルを活用する。古くは、鉄道の延伸と共に街が広がっていった多摩ニュータウン、最近ではつくばエクスプレス沿線開発、大阪・うめきたでの事例が参考になったと聞きます」

また、これまで“民間依存型”の都市計画がおこなわれてきたオーストラリアでは、官民連携で進める都市計画も新しい手法として参考にされているそうだ。また同社は、現地政府自治体だけでなくJICAなどと連携しながら、海外各地での都市開発を支援している。

「空港の開業まではあと6年ですが、このプロジェクト自体は2050年頃まで続きます。これだけ大規模なまちづくりに、日本の手法が採用されたことは本当に誇れること。街が完成するまでのプロセスも含め、世界のモデルケースになればと思っています」と鐘江さんは話す。

Western Sydney Aerotropolis Plan 2019 Draft for public comment
https://westernsydney.com.au/your-airport/sydneys-new-airport

かつては、海外の都市を参考に発展してきた日本のまちづくり。その技術や手法を取り入れるだけでなく、その時代、地域ごとの課題解決につながる街のあり方を模索してきたからこそ、日本ならではの都市計画が生まれたと言えるだろう。    

少子高齢化、地方からの人口流出、自然災害──。これまで培ってきた知見は、世界各地で生かされていくに違いない。