本書を読みながら、頭の中をリフレインしていた言葉がある。
それは岡倉天心の「Asia is One(アジアはひとつ)」だ。ボストン美術館の東洋美術キュレーターであり、『茶の本』を著した日本文化の専門家でもあった岡倉天心が、欧米に日本やアジアの文化を伝える人生のなかでアジア文化の一体性を痛感した経験をもとに語った名言である。
しかし、実際の国際政治においては、「ひとつのアジア」どころか、複雑に絡みあい、入りくんだ「多数のアジア」が存在している。本書はこの現実を「重層的地域」という言葉で表現し、そのアジアの重層性が、いかなる力学と事象のなかで形成されていったのかを明らかにする。
そのアカデミックな作業は極めて丁寧で忍耐強く、それゆえに必ずしも取っ付きにくい内容ではなく、読み手もそれなりの忍耐は求められるが、読み進めるうちに、なぜ「アジアはひとつ」になれないのかを否が応でも考えさせられる。アジアはひとつになるべきか、そもそもひとつには永遠になれないのか、我々が今後10年、20年かけて議論すべき課題に対する思考の土台を提供してくれる点が、本書の魅力の1つではないかと思う。
アジアとは何か
本書の構造を私なりの理解で言えば、近年、アジアで展開されるASEAN+3やAPEC、東アジア共同体などの地域制度づくりという同時代的な動きに、時間の経過という縦の串を打ち込み、時代を経て変貌していくアジアの地域制度のあり方を描くことで、アジアはどこに向かおうとしているのか、あるいは、アジアとは何かということを読み手に問いかける書なのである。
私も取材で多少関わってきた分野なのだが、「ASEAN」「APEC」「ASEAN+3」「ARF」「TPP」「EAS」「RCEP」など、アジアに存在する多種多様な地域制度について、日本語訳や英語の原名、構成国を正確に挙げられる人がいったい日本に何人いるだろうか。しかも、どんどん新しい名前が加わるのである。我々記者も、記事を書くたびにグーグルなどで調べ直してあやふやな知識を補って対応しているのが実態だ。
しかし、なぜ、これほど多様な地域の定義が生まれるのだろうかと考えてみると、アジアという存在に、各国々を引きつけて枠組みを作らせようとするパワーがあるからなのである。実際、豪州・ニュージーランドのように、既存のアジアの概念には入らない国々も枠組みに加わろうとする。非同盟主義をとるインドも無視はできなくなっている。誰もがとりあえず自分のスペースを確保してみたくなる磁力がアジアにあるのは間違いない。
同時に、思惑や哲学の違いから、それぞれが思い描く「アジア」の姿は食い違う。それもあってアジアの地域制度は1つまた1つと増え、重層的にならざるを得ない。
パワー・ポリティックスや2国間外交の価値観に立てば、アジアで展開されている地域制度づくりの作業は、あまりに遅々として進まず、ゆらゆらとあてどなくさまよっているようにすら見える。アジア地域制度の中核にいるASEAN自体、内部のルールがあいまいで、求心力に乏しく、バラバラであることにイライラさせられることもある。
しかし、著者が語るように、「ヨーロッパのレベルに至らないが、内部に鋭い対立を抱えながらも、共通の懸念に対しての意見交換や協議がなされ、共通のルールや規範についての合意形成に向けた努力もなされてきた」ことには、やはり刮目すべき何かが隠されているのである。ASEANという固まりを抜きにアジア地域制度の構築が事実上困難であることは本書を読むとよく理解できる。
問われる「日本の立ち位置」
著者はそんな問題意識を根底にすえながら、1つ1つの地域制度づくりの背後のゲームを精緻に追っていく。舞台の中心となるのはASEANである。そして、そこに中国の台頭、米国のリバランス、日本の揺れなどが加わり、事態は複雑化する。
日本は「裏庭」としての東南アジアを確保しようと中国と対抗するが、米国の意向次第でふらつく弱さを時に露呈し、信頼を十分には勝ち取れない。
中国は台頭する大国としてアジアに胸襟を開く一方、東アジアでなるべく米国の影響力を排除し、日本を押さえ込んで中国主導の枠組みを作ろうとする。その野心は、しばしばASEANや日米を強く警戒させている。
こうしたゲームについて、新聞記事のなかでは「米中が力比べ」「日中が綱引き」「目立たぬ日本」「影響力増す中国」といった紋切り型の記事が何度も再生産されている。局面的には間違っていないのかも知れないが、本書のように過去からの経緯を通してみておかなければ、アジアにおける地域主義の潮流の向く先まで語ることは難しいのだと、反省させられた。
そして、最後に問われるのは、日本の立ち位置であり、本書では、こう書かれている。
「アジアが近代国際システムに包摂されて以降、長らく日本はアジアにおいて唯一の『大国』であった」が、「中国の台頭は『アジアにおける唯一の大国』という日本の近代以降続いた終焉を意味した」
「日本人にアジアに属しているという意識は微妙だった。その意味で日本の対アジア政策は、まさに『対』アジア政策と呼ぶにふさわしかった」
日本は、明治維新以来の「脱亞入欧」や、歪んだアジア主義である「大東亜共栄圏」、そして日米同盟のある種の束縛によってこの100年、半ば無自覚的に自らをアジアの「外」や「上」に置いてきた。そのなかでは、一連のアジアの地域枠組みづくりにおいて主体性が欠けていたことは否めない。
しかし、今後、超大国のアメリカの力が相対的に落ちてアジアへの関与を減らしていくトレンドのなかで、アジアはすでに我々が知っているアジアではなく、国力も物価も文化水準もすべてキャッチアップし、より同質化したアジアが出現する時代になった。それでも、ヨーロッパ諸国が経てきた道の入口に立とうとしているに過ぎず、アジアの地域主義的枠組みづくりの本番はこれからだ。
遠い将来のおぼろげにみえる「ひとつのアジア」に向け、新しい時代の到来に適応するアジアでの振る舞いが日本にも今後求められるという筆者の到達点は、極めて示唆的で、かつ説得力を持っている。
『重層的地域としてのアジア』大庭三枝著/有斐閣
野嶋剛
1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)。
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(2014年3月10日フォーサイトより転載)