6月11日に実施されたフランス国民議会選挙第1回投票は、5月に選出されたエマニュエル・マクロン大統領率いる中道派「共和国前進(LREM)」が予想以上の大勝の見込みとなった。
第2回投票は1週間後の18日に実施されるが、世論調査機関の出口調査による予測では、LREMは32%以上の支持率を得て、全577議席中415~455議席を得るという数字が出ている。
既成政党は軒並み支持率を減らし、大物政治家の落選も目立つ。文字通りの政界再編が進み、フランスはマクロン大統領による新しい政治の実験段階に入る。
「津波の大勝利」
フランス国民議会(下院)選挙は577議席をめぐる小選挙区2回投票制だ。
第1回投票で過半数を取った候補者がいない場合には、2回目の投票が行われる。
決選投票に進めるのは、1回目の投票で12.5%以上の得票率を得た候補者だけなので、1回目と2回目の投票の間に、各政治勢力間で合従連衡の交渉が行われる。
従来は多くの場合、保守派と社会党という左右両勢力の候補者を核に、どの候補者を取り下げるのかをめぐって交渉が進められた。
ところが90年代から極右「国民戦線(FN)」の候補者が第2回投票に進出できるだけの票数を集め始め、極右を加えた「三つ巴」の選挙区が出始めた。
今回もこのような選挙区がかなり出ると見込まれている。
多党分立が伝統のフランスでは、第1回投票で20%以上取ると各選挙区での有力候補の1人になる。
それぞれの選挙区事情にもよるが、慣例では30%以上獲得した候補の当選確率は、かなり高くなる。
したがって今回のLREMの全体の支持率は、フランス語でよく言われる「津波の大勝利」ということができる。
5月の大統領選挙直後の世論調査では、有権者の6割が、マクロン派が議会で過半数となるのを望まない、という結果が出ていたぐらいだから、急速な勢力伸長である。
マクロン大統領の当選自体、一番手だった保守派フランソワ・フィヨン候補のスキャンダルといった、いわば敵失に助けられた、わずか3カ月足らずでの大逆転だったわけだが、国民議会選挙も短期間でのうなぎ上りの人気上昇だった。
投票日5日前の調査では、LREM 支持率は29.5%だった。
党首も大物も敗退した社会党
これに対して保守派共和党/民主独立連合は、21.5%の得票率で獲得議席数は85~125議席程度にとどまると予想されている。現有勢力が229議席だから、半分以下になる可能性もある。
しかし最も大きな打撃を受けたのは、社会党だった。党史上最悪の結果だった。
大統領候補のブノワ・アモン、ジャン=クリストフ・カンバデリス社会党第1書記ほか有力議員の何人もが、すでに第1回投票で敗退。
エコロジストの看板であったセシル・デュフロ党首も同様の憂き目にあった。社会党・急進左派・そのほかと併せた得票率は10.2%で、現有議席292議席から20~35議席にまで転落する。
ただ社会党の場合、マクロン自身が社会党所属の経験があり、大統領選挙でも陰に陽にフランソワ・オランド前大統領のサポートがあった。
大統領再選の意欲が強かった同氏が党内で孤立したため、お気に入りのマクロンの陰の立役者になったという「オランド陰謀説」が、大統領選挙キャンペーン中に流れたこともあった。
マクロン周辺には、かつて社会党の重鎮で、大統領候補ナンバーワンといわれながら婦女暴行スキャンダルで失墜したドミニク・シュトラスカーン前IMF専務理事のブレーンやスタッフが、かなりいるといわれている。
そもそもLREM自体が、社会党右派の政党といえなくもない。あえていえば、筆者は中道寄りの「新社会党」だと考える。
今回の国民議会選挙でのマクロン派の支持基盤は、前回選挙での社会党の支持基盤が大多数で、そこに保守派の穏健派が加わったというのが実情だからだ。
意外に早かった極右の後退
意外な結果となったのが、マリーヌ・ルペンの極右FNと、極左ジャン=リュック・メランション率いる「不服従のフランス(FI)」の伸び悩みである。
いずれも大統領選挙では台風の目となり、国民議会選挙での躍進が見込まれたが、得票率はFNが約13%台、FIは11%に留まった。
大統領選挙第1回投票ではそれぞれ約22%、19%を得ていたが、その勢いを持続することはできなかった。予想獲得議席数はFN1~5議席、FIは10議席台と見込まれている。
5月の大統領選挙直後、FNの選挙対策委員長を務めるニコラ・ベイ副党首は、「5月7日、マリーヌ・ルペンは45選挙区で50%を超えた。これらの選挙区では勝利すると思う。そのほかの70選挙区でも45~50%を獲得した。......この成果は6月に大量の愛国的な(FNの)国民議会議員を選出させることになるだろう」と豪語していた。
どうしてFNの勢いは止まったのであろうか。第1に、大統領選挙で第2回投票に残ったとはいえ、その結果が惨敗であったことが支持者を大いに落胆させた。
筆者はかねてより、FNの今後の命運は、大統領選挙に勝てないまでも第2回投票に残るか、残っても面子の立つ負け方をすることだ、と繰り返し述べてきた(拙稿『フォーサイト』=「『脱悪魔化』した仏極右『国民戦線』の台頭とジレンマ」2015年4月6日、『エコノミスト』=「誰が極右ルペン氏に対抗できるか――左右対立の政党制度維持が焦点」2016年12月20日)。
ルペンは、FNがずっと市議会を握っているヘニーヌ・ボーモン市の選挙区から立候補することになったが、その発表は遅れた。大統領選挙が終わって10日ほども彼女は沈黙を守っていたからだ。「マリーヌは疲れている」とまで『フィガロ』紙は書いた。
「内紛」と「資金枯渇」
加えて、こうした政党にありがちな内紛が持ち上がってしまった。
この政党は、父親ジャン=マリ・ルペンが創立して以来の排外主義的主張に加えて、マリーヌが党首となってから社会福祉、民主化、共和主義を標榜することによって党勢を拡大してきた(前掲『フォーサイト』拙稿)。ところが、大統領選挙直後に旧来の支持者からの現体制に対する批判が湧き起こる。
それは現在の路線を主導する、フロリアン・フィリッポ副党首に対する批判だった。
中でも大きな衝撃は、ジャン=マリ・ルペンの側にいつもいた孫娘のマレシャル・ルペン下院議員(マリーヌ・ルペンの姪)が、自分は6月の選挙には出ないと声明したことだった。
彼女はフィリッポ副党首の「普通の政党」路線反対派の急先鋒だった。
さらに火に油を注ぐ格好となったのが、フィリッポが自分の政治グループ「愛国者たち」を組織し、党内での勢力固めに入ったことだった。
内紛の中で、マリーヌ・ルペンは選挙に向けた集中力を欠いた。
外から見ていると、ポピュリスト一流の感情的な内紛劇にしか見えなかった。
筆者はもともと、6月の選挙の後に勢力が衰退する可能性は大いにあるとみていたが、大統領選挙終了直後の段階でこの体たらくで、選挙運動をまとめきれなかったというのが実情だ。
加えてこの政党は資金力に乏しく、大統領選挙で資金が枯渇してしまったという悲哀もある。3月にマリーヌ・ルペンはモスクワでプーチン大統領と1時間半会談したが、大統領選の忙しい最中に訪露した目的は、実は選挙資金の無心だったともいわれているほどだ。
相対的にすぎない「マクロン人気」
他方、極左FIにとっては棄権率が高かったことが災いした。今回の選挙の棄権率は51%に上り、これまでの最高である。
FIはFNと並んで、庶民を代表する党として注目されていた。だが今回の選挙では、多くの支持者の動員に成功せず、大衆政党特有の組織力の弱さが露呈した形となってしまった。
この棄権率の高さは、大統領選挙でも見られたような、国民の既成政党への不信と政治離れを再確認したことになる。有権者は「相対的」にマクロンを支持したに過ぎず、フランス政治そのものに対する期待が小さくなっていることがうかがわれる。
少し意地悪な数字であるが、棄権・無効票に投票事前未登録などを加えると、実際の投票率はもっと下がる。
マクロン派が30%以上の支持率を得ているとしても、実際にマクロンに投票した人は有権者の10人に1人程度、という見方である。
これは単なる数字のマジックであるが、表向きの大勝利の裏で、国民の政治離れは歴然としている。
マクロン政権が心機一転、世代交代と政界再編成を目指すのは確かだ。それは候補者の平均年齢が49歳ということにも表れている。
選挙制度が変わって兼職が禁止されたために、市長や地域県議会議長にとどまり、国会議員の再立候補をあきらめた現職議員が200名にも上るといわれる一方、マクロン派の候補者の半数は政治経験のない人たちだといわれる。
マクロン大統領もそうだったように、今回が初めての立候補だという候補者も多い。
マクロンに求められている新たな改革は、まずは人心の転換、本当の意味での政治の風を起こすことである。(渡邊 啓貴)
渡邊啓貴
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1954年生れ。パリ第一大学大学院博士課程修了、パリ高等研究大学院・リヨン高等師範大学校客員教授、シグール研究センター(ジョージ・ワシントン大学)客員研究員、在仏日本大使館広報文化担当公使(2008-10)を経て現在に至る。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房)、『フランス現代史』(中公新書)、『ポスト帝国』(駿河台出版社)、『米欧同盟の協調と対立』『ヨーロッパ国際関係史』(ともに有斐閣)『シャルル・ドゴ-ル』(慶應義塾大学出版会)『フランス文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店)『現代フランス 「栄光の時代」の終焉 欧州への活路』(岩波書店)など。
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(2017年6月13日フォーサイトより転載)