モノづくりの巨人シーメンスのブース。インダストリー4.0の未来感を派手に演出した(筆者撮影)
[ドイツ・ハノーバー発]モノづくりの巨人、シーメンス(本社・ミュンヘン)が雄叫びを上げていた。「誰が世界ナンバー・ワンのチームだ」「チーム・シーメンスだ」。社員のアドレナリンは朝から全開だった。4月中旬、ドイツで開かれた産業見本市「ハノーバー・メッセ2015」。日本のモノづくりを支える大企業、中小・零細のエンジニアも大挙してやってきた。ドイツの産官学が総力を注ぐ国家プロジェクト「インダストリー4.0(第4次産業革命)」がようやくその全容を見せ始めたからだ。開発・生産工程、サプライチェーンをすべてインターネットでつなぎ、人間の手を介さず自律的に進化するドイツ型スマート工場を世界中に展開しようという壮大な構想だ。シーメンスと欧州最大のソフトウェア会社SAPが原動力になっている。半導体、携帯電話、液晶テレビで敗退した日本のモノづくりにとって、食うか食われるかの、新たな戦いが始まった。
日独はどう協力する?
インドのモディ首相と産業用ロボットを見学するドイツのメルケル首相(ハノーバー・メッセのHPより)
13日のオープニング・セレモニー。今年のパートナー国、インドのモディ首相とともに産業用ロボットを見学したドイツのメルケル首相の表情は不満げに見えた。メルケル首相は旧東ドイツ出身の物理学者。今や欧州政治をリードする大政治家になった彼女は、日本風に言えば「理系女子(リケジョ)」である。リケジョのメルケル首相にとって、ドイツのロボットは頑丈でパワフル、効率的だが、日本のロボットに比べると洗練されていない。そんな印象を持ったに違いない。
旧日本軍慰安婦など歴史問題ばかりに注目が集まった今年3月の来日だったが、メルケル首相はサッカーボールを蹴り、バランスを取ってケンケンをする本田技研工業の二足歩行ロボット「ASIMO」のデモンストレーションを見学、日本のロボット技術の高さを目と肌で確かめている。安倍晋三首相とメルケル首相はIoT(インターネット・オブ・シングス、モノのインターネット)で協力することで一致。IoTとはパソコンや情報端末だけでなく、すべてのモノをインターネットでつなぐ技術のことだ。共同記者会見で、安倍首相は「インダストリー4.0を通じて、日本とドイツで第4次産業革命を起こしていく決意だ」と協働を呼びかけた。これに対し、メルケル首相は「日本は、ロボティクスにおいて世界をリードする技術を誇る。我々は、デジタル化をより一層推進する取り組みを進めており、インダストリー4.0にもつながっている」と微妙な言い回しだった。
デジタル化で「つなげる」
開発・生産工程、サプライチェーンの情報をリアルタイムで収集・分析して、工場にフィードバックし、消費者ニーズに応えるきめ細かい製品開発から販売までの時間を短縮する統合システムは決して新しい概念ではない。三菱電機の「e-F@ctory(イー・ファクトリー)」しかり、「TIA(トータリー・インテグレーテッド・オートメーション)」と呼ばれるシーメンスのデジタル工場しかり。会場を訪れた日本のエンジニアからは「日本の技術はドイツに負けていない」「インダストリー4.0と言っても、日本の企業は個々に取り組んでいる。ドイツの取り組みもまだ各企業レベルだ」と複雑な反応が聞かれた。
インダストリー4.0の核心はデジタル化によって「つなげる」ことだ。「エンジニアリングはドイツの生命」と言われるが、ドイツの製造業は2つの敵にはさみ撃ちされている。まず、低コストを武器にする中国やインドなどアジアの新興国に激しく追い上げられている。次に、グーグルやアップルなど米ネット企業はインターネットやクラウド技術で世界中のデーターを幾何級数的に集め、最先端の3Dプリンター技術で製造業の「下請け化」を目論む。欧州連合(EU)が何かにつけグーグルと衝突するのは、プライバシー保護やネットビジネスの独占排除という大義名分もあるが、欧州経済のエンジンであるドイツの製造業を守ろうという強烈な生存本能が働いているからだ。
ドイツ政府は2011年にインダストリー4.0構想を打ち出した。第1次産業革命は18世紀後半の「蒸気機関による自動化」、第2次産業革命は20世紀初頭の「電力の活用」、第3次産業革命は1980年代以降の「コンピューターによる自動化」、そして第4次産業革命が「IoTによる自動化」という位置づけだ。メルケル首相の強力なリーダーシップでドイツ機械工業連盟、ドイツ情報技術・通信・ニューメディア産業連合会、ドイツ電気電子工業連盟の3団体を含め、シーメンス、ボッシュ、フォルクスワーゲン、ドイツテレコムなどドイツの主要企業が参加している。
三菱電機のドイツ人関係者が打ち明ける。「日本企業は日本市場にフォーカスしすぎた。シーメンスはグローバルに展開している。三菱電機のe-F@ctoryとシーメンスのTIAはコンセプトは似ていてもスケールと歴史の厚みが違う。日本企業は経営判断が遅く、市場が取れない。技術の高さを活かして、コンポーネント(構成要素)として生き残りを図るしかない」
中国を巻き込むドイツ
工場の自動化はある程度まで進むと今度はコスト高として作用し始める。景気には波がある。工場をすべて自動化した場合、需要のピークに合わせて生産ラインをつくらなければならない。景気が良いときは良いが、いったん悪くなると、設備が余り、過剰投資になってしまう。すべてを自動化せず、レイオフ(一時解雇)できる低賃金労働者を工場に入れて生産調整を図る方がコスト削減できる。ドイツでも日本と同じように少子高齢化が進むが、インダストリー4.0で工場を無人化するとコスト競争に勝てなくなる恐れがある。
だから、ドイツの真の狙いは別のところにある。企業横断的に開発・生産工程、サプライチェーンをインターネットで結び、まずドイツ国内で標準化させる。次にEUレベルで標準化させ、中国やインドもその中に取り込み、ドイツの製造技術をそのまま輸出しようという戦略だ。米国でも標準化団体「インダストリアル・インターネット・コンソーシアム」が設立され、日米独の100を超える企業・団体が参加している。標準化とは、例えばパソコンのインターフェイス(接続部分)で標準が異なればUSBなど外付けケーブルが接続できない。標準と違う製品は使える範囲が限定されるので、市場から淘汰される悲哀を味わう。インダストリー4.0が世界で標準化されると、日本がロボットなどでいくら優れた開発・生産システムを持っていたとしても主流から外れ、コストを削減できず、「日本の工場自動化(FA)関連機器が海外市場に参入できなくなる恐れがある」(経産省製造産業局)。折角、ASIMOのような高い技術を持っていても活かす場を失ってしまうのだ。
標準化においては欧州に一日の長がある。EUの加盟国だけで28カ国。多勢に無勢の日本や米国に比べ、欧州は標準化を進める上で圧倒的に有利である。国際標準化機構(ISO)の本部はスイス・ジュネーブにある。さらに日本には難問が降りかかる。見本市でも中国企業や中国人がやたら目立った。「ドイツと中国は約20年前から規格を合わせてやっている」(ドイツ・中国関係に詳しい日本企業関係者)、「中国とドイツはがっちり手を握り合っている」(経産省関係者)。歴史問題を絡め日本企業を中国市場から排除する動きもあるという憶測まで流れてくる。ドイツの自動車メーカー、BMWは全車種を1本の生産ラインで製造できる組み立て工場を中国に納入している。こうした動きが今後、加速するのは間違いない。
ビジョンは描けるか
内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の佐々木直哉プログラムディレクターは「インダストリー4.0でつながった結果、出口の製品がどう良くなるのかが見えない。標準化は良い意味もあるが、価値の高い製品ができるメカニズムかどうか良くわからない」と疑問を呈する。日本の戦略は「コンポーネントとして取り込まれるのでも、スケールで対抗するのでもなく、日本は日本の得意とするコンセプトを出すことによってお互いに補完関係を作っていく」(JETROベルリン事務所の木本裕司所長)ことだという。
三菱電機やオムロンなど多くの日本企業と提携している国際的なソフトウェア・システム会社EPLANの日本担当者は「ドイツは派手にスローガンをぶち上げているのに日本はディテールの話ばかり。それでは世界の注目を集めることはできない。日本の製造業は国際競争力を持っているが、国際的にシステムを構築していける日本のソフトウェア会社は限られている」とため息をつく。
ドイツの大企業、中堅企業群、中小・零細はインダストリー4.0の旗印の下、一斉に動き出した。シーメンスがSAPと二人三脚でTIAをオープン化して標準を取りに行くのか。ドイツ国内でも激しい合従連衡が始まるのはこれからだ。米国の製造業、ネット企業も一歩も引かない構えだ。大きなビジョンが描けない日本企業は不安に浮き足立っているように見えた。
木村正人
1961年大阪府生れ。84年京都大学法学部卒業後、産経新聞社に入社。大阪府警・司法キャップなど、大阪社会部で16年間事件記者を務める。2002-03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、07年からロンドン支局長。12年7月独立し、ロンドンを拠点に活動するフリージャーナリストに。日本国憲法の改正問題(元慶応大学大学院非常勤講師=憲法)や日英両国の政治問題、国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。公式サイト「木村正人のロンドンでつぶやいたろう」
http://kimumasa2012london.blog.fc2.com/
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(2015年4月23日フォーサイトより転載)