【ブックハンティング】世界史のなかの日本現代史

細谷雄一の新著『歴史認識とは何か』は、世界史と日本史とが切り離され、ひたすら自国の視点のみの「昭和史」「戦後史」が語られてしまう現状に対して、正面から批判を挑んでいる。

1941年に大日本帝国がはじめた対米英戦争をどう呼ぶか。当時の日本政府が公式名称とした「大東亜戦争」は、戦後に占領軍が使用を禁じた経緯があるため、それを文章で使うと右翼のように思われる場合がある。そうかといって「太平洋戦争」も明らかにアメリカから見て名づけたものなので、具合がわるい。そんなことを考えて、前に自分の著書ではカッコをつけながら「大東亜戦争」としたのだが、それを英語に訳していただいたさいに、ささいな問題が生じた。

アメリカ人の訳者の意見によれば、the Greater East Asia Warはもちろん、the Pacific Warも、日本研究者を除いた英語圏の一般読者には、なじみのない表現である。第2次世界大戦(World War Ⅱ)とするしかない。それを聞いたとき、第2次世界大戦と言えばヨーロッパ戦線の印象が強かったので違和感があったのだが、英語で読む人にとってのわかりやすさを優先して、助言に従うことにした。

しかしよく考えてみれば、1939年に始まった「欧州大戦」が、本格的にアジア・太平洋地域にまで広がり、アメリカにも参戦させたのは、日本の対米英宣戦をきっかけにしている。世界史の視野から見れば、日本の行動こそが第2次「世界」大戦を成立させたのだから、海外の読者に説明するときには、そう呼ぶのがむしろ適切なのである。日本でしか通用しない「大東亜戦争」「太平洋戦争」、あるいは「アジア・太平洋戦争」といった名称を使うのは、国際社会の動きと日本とを別世界のように切り離してとらえる感覚にも、結びついてしまうだろう。

細谷雄一の新著『歴史認識とは何か』は、世界史と日本史とが切り離され、ひたすら自国の視点のみの「昭和史」「戦後史」が語られてしまう現状に対して、正面から批判を挑んでいる。しかも、世界史と日本史が別々になっている学校教育だけでなく、ジャーナリズムにおける論評や、学問研究までも、そうした分断体制に支配されているようなので、問題は根ぶかい。

1899年のハーグ陸戦規則をはじめて適用し、捕虜に対する人道的な扱いを徹底させたのは日露戦争のさいの日本だった。しかしその同じ国が三十数年後には、国際法を無視し、連合国軍の捕虜に対する虐待を平然と行なうという激変ぶり。また、第1次世界大戦後に築かれた、国際連盟を中心とする国際協調体制に対して、日本の満洲事変がそれを打ち破ってしまったことの衝撃。日本の行動が国際社会に対してもっていた、そうした重大な意味を、細谷は巧みに指摘している。

歴史を語るさいに「世界史のなかの日本」という視点が必要だと言われることは多いが、本当にその名に値する歴史叙述ができあがった例は、あまりない。本書はその課題をこなしながら、20世紀前半の日本の政治・外交史を通観した、貴重な1冊である。

近年さまざまな専門分野について研究が進んだ、日本政治史・外交史の研究業績の最新の達成を、丹念に吸収したうえで書かれているので、読者にとってはそうした研究動向を知るのにも便利である。だがそれ以上に、外交史家としての細谷の視点が、随所に光っていることが、この本の美点だろう。たとえば1928年の不戦条約のもっていた世界史的な意味と、それが生まれた外交の力学の両者を理解せずに、満洲での軍事行動へ突き進んでいった昭和初期の日本。そうした判断の狂いが、その後の運命を大きく決定づけた転換点を、いくつも指摘している。そして現在の日本もまた、同じような過ちを繰り返してはいないかという問いを、読者につきつけてくるのである。

2015-08-13-1439432367-1551311-img_231619d4da44d26a3a96b848008273fc18206.jpg

苅部直

1965年、東京都生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。現在、東京大学法学部教授。専門は日本政治思想史。著書に、『光の領国 和辻哲郎』、『丸山眞男―リベラリストの肖像』(サントリー学芸賞)、『移りゆく「教養」』、『鏡のなかの薄明』(毎日書評賞)、『歴史という皮膚』、『安部公房の都市』、『秩序の夢―政治思想論集』、『物語岩波書店百年史 3』など。

【関連記事】

(2015年8月6日フォーサイトより転載)

注目記事