3月上旬、ドイツ首相メルケルが来日した。2008年北海道・洞爺湖サミット以来7年ぶりに日本を訪れたわけだが、それほどの空白期間がありながら、メルケルの日程は1泊2日、日本滞在は30時間足らずという強行軍だった。「欧州の女帝」は席を温める間もなくあわただしく過ぎ去って行った印象だ。
今回のメルケルの訪日の目的は何だったのか。ドイツは先進7カ国(G7)の議長国であり、6月のバイエルン州エルマウ・サミットに向けた事前調整のためというのが公式の説明だった。それはその通りなのだが、メルケルとしては、ドイツが日本を軽視しているとの見方がこれ以上拡散するのを防ぐ思惑があったのは間違いない。近年我が国では、ドイツのアジア政策は極端な中国偏重であり、中国との緊密な関係、頻繁な首脳の往来に比べ、対日関係は等閑視されているとの指摘が高まっていた。こうした日本側の白けた視線に対し、ドイツ当局もそろそろ本格的に手を打つ必要があると判断していた。
訪日そのものに意義
13年末に発足した第3次メルケル内閣が、対日重視のシグナルを発したのはその表れであり、14年春にベルリンを訪問した中国国家主席、習近平がホロコースト犠牲者追悼碑を訪れたいと希望したのを断ったのも、結果的にはドイツ政府による一定の対日配慮となった。
こうした流れから、メルケルは対日重視のメッセージを携えて日本の土を踏むことそれ自体が所期の目的となっていた。いわば訪日することに意義があり、日本科学未来館で人型ロボット「アシモ」と触れ合う映像などが日本のお茶の間に流れ、「友邦国ドイツの女性宰相」としての親しみやすさを演出できれば、今回の訪日はまず成功したと言えるのだった。というわけで、ギリシャ、ウクライナ問題などの難題が山積する中、メルケルは長居は無用とばかりに、あっという間に日本を出立した。
今回のメルケル訪日を、中国に偏り過ぎたドイツのアジア政策の「リバランス」に通じる過程と位置付ける向きもあるが、中国市場はドイツの生命線であり、1990年代から積み上げてきた中国最重視路線が修正される可能性はまずありえない。ドイツは日本の対独不信感を和らげる必要を覚え、微調整に乗り出した局面にあると考えるべきだ。
朝日新聞援護でも慎重な言葉遣い
歴史認識問題について、メルケルが日本に対して「過去と向き合え」と踏み込んだ発言をしたとする報道もなされているが、いささか過剰な解釈だろう。ドイツは中韓の歴史情報戦に利用されるのを極度に警戒しており、しかしながらこの点について質問を受ければまったく言及しないわけにもいかず、そこにぎりぎりのバランスを図る苦心がむしろ見て取れたからだ。
メルケルが3月9日の講演の場所に朝日新聞のホールを選んだことはやはり意図的だったようだ。ハンデルスブラット紙はメルケル訪日の前触れ記事で、「メルケルは、歴史問題での論調から日本保守層に激しい攻撃を受けているリベラル左派の朝日新聞をあえて講演の場所とする予定だ。メルケルは安倍首相を直接批判することはないだろうが、朝日新聞での登壇は、メディアへ圧力をかける安倍首相への不信感を示す明確なシグナルになる」と論評した。
だが、歴史問題に関するメルケルの実際の言葉遣いは慎重に練られていた。
9日の講演では、第2次大戦が終結した45年5月8日を「ナチスの暴虐からの解放の日だった」とするいわゆる「ワイツゼッカー・テーゼ」を表明した上で、「苦しみを欧州へ、世界へと広げたのが我が国であったにもかかわらず、和解の手が差しのべられたことを決して忘れない。まだ若いドイツ連邦共和国に多くの信頼が寄せられたことは幸運だった。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができた」とだけ述べ、フランスをはじめとする周辺国の善意をことさら強調してみせた。
従来、ドイツの政治階層は、戦後のドイツは近隣国との和解の努力を積み重ねてきたと自画自賛するのが常なのだが、メルケル演説ではそうしたくだりは鳴りを潜め、周辺国から和解の手が差しのべられたという謙虚な歴史観が披露され、日本を刺激しない配慮が施されていた。
「助言する立場にない」
安倍首相との共同記者会見でも、歴史認識問題に対する質問を受けて開口一番、「アドバイスするために日本に来たのではない」と釘を刺し、「私にできるのはドイツについて説明すること」とあくまで控えめな物言いに終始し、「過去の総括は和解の前提の一部だが、和解には2つの側面があり、ドイツの場合はフランスが歩み寄る用意があった」と、再びフランスへの感謝を口にした。
確かにこの発言を聞けば、メルケルは日本に過去の総括を促し、中韓には歩み寄りを呼びかけたと解釈したい誘惑に駆られるかもしれない。しかし、メルケルは、「ドイツは助言する立場にない」と宣言することで、これ以上、東アジアの歴史認識問題に絡め取られたくないという思いを鮮明にしたのであり、その政治的心情を軽視することはできまい。メルケルは「いずれの国も自分の歩むべき道は自分で見出さねばならない」と表明し、東アジア歴史問題への「不干渉政策」をも明らかにした。
民主党の岡田代表や議員らは、メルケルとの会談後、「メルケル氏が『慰安婦の問題などはきちんと解決した方がよい』と述べた」などと説明したが、その後、ドイツ側は「それは事実ではない」と申し入れてきたことも明らかになった。岡田代表はこれに反論しており、会談で慰安婦問題が話されたのかどうか、真相は不明だが、ドイツは訪問国の野党指導者による会談内容の説明を否定するという異例の行動によって、歴史問題への関わり合いを避けようとする神経質なまでの態度を示した。
ギリシャとの「歴史問題」も影響か
ドイツが歴史問題に巻き込まれるのを嫌気するもう一つの理由は、足元のギリシャ問題である。
メルケルによって緊縮政策を迫られ続けるギリシャのチプラス首相は最近、第2次大戦中のナチス・ドイツ軍による虐殺行為に対する損害賠償を求める意向を示唆した。ギリシャでは十数年前、ドイツに損害賠償を命じる判決が出され、ドイツ関連施設の接収を可能としたが、ギリシャ司法省が差し押さえの実行を阻止している事情がある。だが今、チプラスはその封印を解く構えを示し、ドイツの揺さぶりに出ている。
ドイツ政府は「賠償問題は解決済み」との立場を繰り返しているが、欧州連合(EU)のメンバー国から過去を蒸し返される気まずい環境の中で、ナチス犯罪に再び注目を集めたくないという思いが働いている。
戦後70年の節目を前に、ギリシャは歴史問題を外交上の武器とする点でいわば「韓国化」しており、ドイツもまた、繰り返し過去と向き合わねばならなくなっている皮肉な現実がある。
ドイツ側のギリシャ批判の言辞も激しさを増している。ドイツとギリシャをめぐる歴史問題は欧州の新たな脅威になりつつある。
佐藤伸行
ジャーナリスト。1960年山形県生れ。85年早稲田大学卒業後、時事通信社入社。90年代はハンブルク支局、ベルリン支局でドイツ統一プロセスとその後のドイツ情勢をカバー。98年から2003年までウィーン支局で旧ユーゴスラビア民族紛争など東欧問題を取材した。07年から09年までワシントン支局勤務を経て15年まで編集委員を務め、退職。現在フリーに。
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(2015年3月16日フォーサイトより転載)