日本側の事実上の「敗北」に終わった12月の日露首脳会談後、北方領土交渉を今後どう立て直し、推進するかは日本外交にとって難しい課題となる。安倍晋三首相は今年も2度訪露し、プーチン大統領と首脳交渉を続ける見通しだが、ロシアは2018年3月の大統領選まで領土で譲歩するとは思えない。こう着を打開するには新たな「変化球外交」が必要だろう。
2島マイナスアルファ
プーチン大統領訪日で明らかになったロシアの新たな領土交渉戦略は、
①1956年日ソ共同宣言の枠内で交渉し、国後、択捉の返還はあり得ない
②平和条約締結までに経済協力や4島での共同経済活動を実施して信頼醸成を築く
③56年宣言に沿って歯舞、色丹2島を引き渡す場合でも、先に平和条約を締結する
④2島引き渡しには日米安保条約が障害になる
――というものだった。終着点の2島引き渡しで厳しい条件闘争を挑む構えで、長く複雑なプロセスをたどることが示唆された。
日本では昨年9月ごろ、2島を引き渡し、国後、択捉は継続協議という「2島プラスアルファ」論がメディアでとりざたされたが、「ロシアの解決策は、最大限譲っても歯舞、色丹しか返還しない『2島マイナスアルファ』の決着だ」(「毎日新聞」12月27日)といえる。
毎日新聞が書くように、プーチン大統領は今回、日露の経済協力や信頼醸成が進まないなら、「ゼロ島返還」のままで構わないという強気の姿勢を見せた。「2島」にしても、返還のタイミングはロシアが決めることになる。日本側はそれまで延々と経済協力を強いられかねない。
大統領は共同記者会見で、「南クリールはロシアの航海士が先に発見した」「ロシアは大戦の結果、南クリールを取り戻した」「平和条約がすぐ解決できると想定する考えは放棄せねばならない」と述べるなど、言いたい放題だった。
安倍首相はこうした発言に反論せず、微笑みながら対応していた。領土問題の細部に強引に踏み込む大統領に対し、首相は「互いに正義を何度主張しても、このままでは問題を解決することはできない」などと抽象論を長々と語った。日本側が守勢に回っている印象を内外に与えたが、ロシアの外交体質から見て、日本が自国の主張を開陳するなら、ロシアは猛反発し、交渉を中断するだろう。
平和主義に徹し、ロシアの善意にゆだねる日本と、剥き出しの国益外交を進めるロシアでは、そもそも外交がかみ合わなかった。
「プーチン外交の大勝利」
日本での会談の評価は、「あまりに大きな隔たり」(「朝日新聞」社説)、「北方領土で際立つ消極的姿勢」(「読売新聞」社説)などと否定的論調が多かったが、ロシアのメディアや専門家の間では、大統領が領土で譲らなかったことや、経済協力が進展したことを積極的に評価する見方が多い。
モスクワ高等経済学院大学のフェシュン准教授はイズベスチヤ紙電子版(12月16日)で、「プーチン大統領は領土割譲について一切約束をせずに、南クリールの共同経済活動を議論した。外交で大勝利を収めたことは疑いない」と書いた。クジミンコフ極東研究所日本研究センター上級研究員も、「プーチン大統領にとって、4島の主権を守りつつ、経済協力を得た点で訪日は成功だった」とコメントした。
「エクスペルト」誌(1月4日)は、「交渉の最も重要な成果は、今後は相互に大きな経済的利益に向けて協力しながら、領土問題を含む他の問題の解決を図るべきだとする共通の理解が得られたことだ」と書いた。「コメルサント」紙(12月30日)は「80以上に登る経済プロジェクトの文書調印により、日本企業は欧米の制裁を受けているロシア企業との取引に乗り出した。ロシアの政治家や専門家は『制裁の封鎖を突破した』と歓迎している」と伝えた。
ただし、日露間で結ばれた82の経済協力文書は、エネルギー分野の一部を除いて意思表明の覚書が大半で、拘束力は弱い。民間企業が主導するだけに、経済協力の成否はロシアの投資環境改善にかかってくる。
領土問題で進展がなかったことについて、「ノバヤ・ガゼータ」紙(12月19日)は「大統領専用機が離陸すると、日本の国民は首脳会談の結果に予期していなかった深い失望感に襲われた。訪日に向けてロシア側は厳しい声明を出し続けたが、それらは無視された。
日本では多くの人が、ロシアの厳しいシグナルは真剣な交渉を前にしてロシアの立場を強めるための駆け引きだと希望的にみていた」と書き、日本側の自業自得と指摘した。外交がゼロサム・ゲームとするなら、「プーチン外交の大勝利」は「安倍外交の大敗北」となってしまう。
大統領選まで譲歩は困難
プーチン大統領の開き直った強硬姿勢にもかかわらず、安倍首相は今年も訪露し、首脳外交を続ける構えだ。首相は12月20日、時事通信での講演で、「この関係改善への機運を一層加速していきたい」とし、17年の早い時期に訪露する意向を示した。首相は3月中旬にドイツ訪問を予定しており、その前後にロシアを訪れる可能性がある。
安倍首相は昨年9月、ウラジオストクでの東方経済フォーラムに出席した際、8項目協力の進捗状況を点検するため、毎年1回ウラジオストクで首脳会談を開くよう提案しており、9月にも訪露しそうだ。
領土問題の当面の焦点は、日本側が「平和条約締結に向けた重要な1歩」と位置付ける4島での共同経済活動に関する協議開始だ。日本側は秋葉剛男外務審議官、ロシア側はモルグロフ外務次官が担当する見通しで、漁業、海面養殖、観光、環境、医療分野が想定される。
しかし、ウシャコフ大統領補佐官は「ロシアの法律に沿って行われる」とけん制しており、「双方の法的立場を害さない特別な制度」の構築は難航しよう。仮に共同経済活動が始まっても、それがどう帰属問題の解決に結びつくのか不透明だ。
領土問題でのロシアの姿勢軟化は、18年3月の大統領選までありそうにない。今年のロシア外交の最優先課題は、トランプ米政権発足を受けた米露関係改善に移る。
欧州でも重要選挙が目白押しで、孤立脱却を図るロシアは東方外交から再び欧米最優先に転換しそうだ。シリアでは、アレッポ陥落を受けて出口戦略に着手したが、ウクライナ、シリアの「2つの戦争」の収拾も焦点で、相対的に日本への関心が低下しそうだ。
大統領選に向けてロシア内政も神経質な動きを見せ始めた。
大統領は昨年、盟友のイワノフ大統領府長官を更迭し、外交官出身のワイノ副長官を後任に起用したように、これまで政権を支えてきた幹部が中枢を離れ、政権の若返りがみられる。16年9月の下院選は与党圧勝だったが、投票率はソ連崩壊後最低の48%で、国民の政治へのアパシー(無関心)が広がりつつある。
2年間マイナス成長に沈んだロシア経済は、原油価格持ち直しでやや好転しているものの、不況や生活苦が続く。大統領は昨年12月の教書演説で、「困難な経済情勢にもかかわらず、国民は愛国的な価値で団結している」と述べた。次回大統領選で再選を目指すプーチン大統領は保守・愛国主義を継続せざるを得ず、選挙までは「2島」の割譲も難しいだろう。
「日中友好」カードを
とはいえ、日本側としては常に能動的に動いて交渉を加速させる必要がある。領土問題を放置すれば、ロシアの実効支配がさらに進み、解決はますます困難になる。プーチン後に期待をつなごうとしても、政権交代がいつになるか分からず、後継者は現在よりさらに国粋主義的性格を強めるかもしれない。
日本はロシアにボールを投げ続ける必要があるが、従来の「島を返せ」式の直球では通用しないことは明らかで、変化球が必要になる。共同経済活動は一種の変化球だが、「経済協力」「安保対話」「極東開発支援」「クリミア問題」など多彩な変化球を組み合わせるべきだろう。
変化球外交では、日中関係改善が有効かもしれない。
現在の日中露の三角関係では、日中から求愛を受けるロシアが有利な立場に立ち、これもロシアの対日強硬姿勢の背景にある。その中で日本が中国への接近に舵を切れば、ロシアは驚き、東アジアの国際関係が変化しよう。国内に巨大な問題を抱え、域内で孤立する中国も、日本との関係改善を内心では望んでいるかにみえる。
安倍外交は中国との対決を基軸に外交戦略を組み立てているところがあるが、中国との対決外交は消耗するだけだ。一定の「日中友好」が進めば、ロシアには衝撃であり、領土交渉に効果を持つだろう。
日中接近に最も衝撃を受けるのはロシアと米国だけに、「日中友好」はトランプ政権に対しても外交カードとなり得る。
名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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(2017年1月11日フォーサイトより転載)