青柳尚志氏の「目が離せない『プーチン曲芸外交』の『奸知』と『綻び』」が言うように、最近のロシアを予測するには、専門家の分析より、往年の東映ヤクザ映画、特に菅原文太の主演映画が役に立つかもしれない。プーチン大統領はトルコ機によるロシア爆撃機撃墜で、「背中を刺された」「何度も後悔させてやる」とドスの利いた発言をした。喧嘩に明け暮れた少年時代を回顧し、「闘いが避けられない時、先制攻撃が鉄則だ」とも述べた。パターンの決まった様式美の高倉健主演映画ではなく、意外性に富み、展開が読めない『仁義なき戦い』の世界である。ロシアでは11月から、トラック運転手らが道路封鎖をするなど政府への抗議行動をしており、『トラック野郎』も見逃せない。
利権は2世へ
「トラック野郎」たちの反乱は、ロシア政府が11月中旬、国道を長距離通行する大型トラックに課金する新制度を導入したことに反発して始まった。モスクワ郊外など全国25カ所で道路を封鎖したり、トラックの車列が数十キロ続くこともあった。課金により、事業所や個人運転手の収入が減少することに加え、入金システムなどに不具合が頻発したことに怒り、2週間にわたって続いた。ブルーカラー労働者は保守派と並んで、プーチン大統領の支持基盤だけに、抗議行動は異例だ。
コメルサント紙などによれば、運転手らは「プーチン大統領を支持する」というスローガンを掲げており、批判の矛先は課金システムを運営する大富豪、ローテンベルク氏一族に向けられた。システムを運用する会社の共同オーナーは、プーチン大統領の柔道仲間で大富豪のアルカジー・ローテンベルク氏の子息、イーゴリ・ローテンベルク氏。「ローテンベルクは『イスラム国』(IS)より悪い」といった横断幕が掲げられたという。
ロシアでは2011年末の下院選挙の不正で、モスクワなどで10万人規模の反プーチン・デモが起きたが、12年の大統領選で復帰したプーチン大統領が保守愛国主義を高揚させた後、この種の大規模デモはなかった。原油価格下落で実質所得が低下する中、庶民の怒りは、経済を牛耳り、私腹を肥やす大統領側近らの「縁故資本主義」に向かう可能性がある。「プーチンは特別の存在だが、庶民は大統領側近や周辺資本家らの特権を批判するようになった」とロシア人記者は指摘した。
ローテンベルク氏の子息だけでなく、政権内では、巨大利権を子弟に継承させる動きもみられる。ロイター通信は11月、プーチン大統領の次女、カテリーナさんが大統領に近い大富豪の息子、キリル・シャマロフ氏と結婚し、ガス企業の株式など2人で20億ドルの総資産を持つと報じた。カテリーナさんは「チーホノワ」姓を名乗り、新ダンス競技「アクロバット・ロックンロール」の普及活動やモスクワ大学理事を務め、ダボス会議に出席するなど社会活動家としても動きつつある。
セルゲイ・イワノフ大統領府長官、セチン・ロスネフチ社長の子息らも有力国営企業幹部に登用された。反政府活動家のナバリヌィ氏は「石油やガス、銀行産業を牛耳る大統領取り巻きの巨大利権が、子弟ら第2世代に引き継がれつつある。ロシアは新封建主義だ」と批判した。同氏は最近、チャイカ検事局長官の子息が共同保有するギリシャ保養地の高級ホテルの開所パーティーの模様をネットで配信。ロシアの著名歌手が参加し、花火が打ち上げられるシーンを見せ、「国有財産横領の可能性がある」と批判。チャイカ長官側が名誉棄損で訴える騒ぎになっている。
1人当たりGDPが半減
連日のシリア空爆作戦の戦果発表とは裏腹に、ロシア経済は不況感を強めている。ドバイ原油価格が7年ぶりの安値となる1バレル=35ドル台を付けた12月11日、ロシアの通貨ルーブルは1ドル=69ルーブル台と最安値水準に近づいた。ロシアの株価RTS指数も下落し、リーマンショック後の2009年の水準に迫った。
通貨暴落により、ロシアのドル換算の1人当たりGDP(国内総生産)は今年8400ドルで、2年前の約1万5000ドルから激減した。ロシアの中流階層はドル建てで給与を意識するだけに、給与半減は打撃だ。国際通貨基金(IMF)は、今年のロシアは推定3.8%のマイナス成長で、G20諸国の中で最悪の経済パフォーマンスと指摘した。
ルーブル暴落の影響は、旅行・サービス業界を直撃している。航空業界2位のトランスアエロが債務超過で倒産したのをはじめ、2050あった旅行会社は、海外旅行の激減で約70%が倒産したという。安価なエジプトとトルコへの団体ツアーが人気だったが、シナイ半島上空でのロシア機爆破事件とトルコ機によるロシア機撃墜で、政権は両国への渡航を禁止した。クリミアに行こうにも、ウクライナからの送電線故障で大規模停電が続いている。
欧米諸国は11月のG20首脳会議の場で、12月で期限切れとなる対露経済制裁を半年間延長することを決めた。通貨安や欧米の経済制裁で、今年の輸入は前年比で30%以上減少する見通し。新たに第5の貿易相手国トルコからの食料品禁輸を導入したことで、野菜や果物が不足し、生活水準低下が顕著だ。通貨安に伴い、インフレ率は推定15%前後で、実質所得はプーチン体制下で初めて減少した。24歳以下の失業率は20%に上るが、今後企業倒産が増え、失業者増が予想される。
テレビと冷蔵庫の闘い
下院が12月初めに採択した来年度予算は、GDP比3%の赤字予算となった。歳入の約半分は石油・ガス収入で、石油価格を1バレル=50ドルで設定しているが、安値が続けば、赤字幅が増大する。赤字分は石油・ガス収入を積み立てた安定化基金から賄われるが、ネステレンコ第1財務次官はタス通信に対し、「現在の調子で使っていくと、17-18年には基金は底を突く」と警告した。
元首相顧問のオレグ・ブクレミシェフ・モスクワ大教授は「リーマンショックの後は原油価格高騰でV字型回復ができたが、今回はL字型だろう。景気後退ではなく、スタグネーション(経済沈滞)だ。輸入代替産業は育たず、ロシア企業も投資しようとしない。大型国営企業が経済を支配し、民間の動く余地がない。国営企業の行う投資は不効率で、機能していない」と酷評した。
プーチン大統領の12月3日の議会教書演説は、経済・内政に焦点を当て、米国を非難する言葉は少なく、抑制調だった。「多くの国民が困難を実感しているのを知っている。経済問題が収入や生活の質を悪化させている。国民がいつになったら苦難を克服できるか考えていることも理解している」と市民の生活苦を認め、「われわれは資源価格の下落と対外的な経済規制が長期化することに備えねばならない。何もしなければ、基金は枯渇し、成長率もゼロが続く」と苦境が長期化するとの認識を示した。14年末の記者会見では「経済は2年で好転する」と述べたが、楽観的見通しは示さなかった。
その上で、資源依存経済を構造的に改革し、製造業と農業を発展させることが不可欠だと強調。航空宇宙や造船、機械設備、IT分野を発展させるため、政府支援プログラムを作成すると述べた。また、「汚職が国の発展を阻害している」として、投資環境の改善や財政規律の維持を課題として挙げた。しかし、具体策は示されず、産業多角化、製造業発展は引き続き困難だろう。
英紙フィナンシャル・タイムズ(12月7日付)は教書に関する社説で、「投資促進や生産性向上のための構造改革はかつてないほど遅れている」「ロシアがBRICS諸国とともに、世界経済への影響力を増すとみられていた時代はとっくに終わった」「最も重大なのは、世帯の実質所得がプーチン氏が実権を握って以来初めて減少したことだ」とし、今後国民の不満が高まることを予測した。
ロシアの識者は今後のロシア情勢について、「テレビと冷蔵庫の闘い」と指摘する。政権の支配下にある国営テレビはシリア空爆の戦果を誇示し、愛国主義を唱えるが、冷蔵庫は次第に隙間が増え、愛国主義も萎えるという。16年秋は下院選があり、内政の季節に入るだけに、経済苦境が国民意識にどう影響するかが焦点だ。
名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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(2015年12月15日フォーサイトより転載)