「ガバナンス」崩壊の「国立大学」に必要な「公正」と「自立」--上昌広

2015年6月、東京工科大学の教員が研究室内で首つり自殺した。
Medical concepts, thinking doctor
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takasuu via Getty Images

2015年6月、東京工科大学の教員が研究室内で首つり自殺した。このことを『FACTA』9月号が報じた。

私は、この事件は、我が国の大学が抱える構造的な問題を象徴していると考えている。本稿では、これまでメディアがあまり取り上げてこなかった、この問題について論じたい。

再雇用の撤回

自殺した教員はメディア学部の特任講師だ。2012年10月、就職指導を担当する教員として採用された。任期は3年間だ。

多くの大学では、このような有期雇用の職員の場合、任期最終年度に業績が評価され、雇用を延長するか否かが決まる。

この職員の場合、2014年10月に大学の人事委員会が評価し、「高得点の評価」(関係者)で、さらに3年間の任期延長が承認された。

しかし、ここから事態が急展開する。3カ月後の2015年1月、当時のメディア学部長が「3年延長の契約はなくなった」と教員に伝えてきたのだ。この職員が不祥事を起こしたわけではない。教員が学部長に抗議し、「労基署にいく」と伝えたところ、4月には再び任期が延長されることとなった。

ところが、6月になって、再び再雇用が撤回された。学部長は、その理由として、次の3年間の間に65歳の定年を迎えることを挙げた。そんなことは以前から分かっているはずだ。口実に過ぎない。教員と学部長は激しい口論となり、その夜、教員は遺書を残して自殺した。

学部長とすれば、任期終了の3カ月前にあたる6月の段階で再雇用をしないことを通達した訳で、それなりの責務は果たしたつもりだろう。法的には問題はないのかもしれない。

ただ、東京工科大学のやり方は常軌を逸している。1人の職員を死に至らしめたことを猛省し、再発防止に努めなければならない。

国立大学の「無責任体制」

今回のケースで、私が問題と考えるのは、2014年10月の人事委員会の決定を、誰が、どのようなプロセスを経て、ひっくり返したかが不明瞭なことだ。

おそらく、学長や学部長などの相当の地位の人物が決定したのだろう。そこには、我々が知らないことも関係しただろう。苦渋の決断だったかもしれない。ただ、どのような経緯があるにせよ、リーダーは自らが下した決断について説明義務を負うし、その結果に関して責任を負わなければならない。

だが、現在の大学は、そのようになっていない。むしろ、学長や学部長が説明責任を負わず、重大な決断を下し、さらにその結果に関して免責されるような構造になっている。ガバナンス上、重大な瑕疵があると言わざるを得ない。

東京工科大学は私立大学だ。私大の場合、「無責任」な経営を続ければ、やがて評判が下がり、経営が悪化する。ある意味で、自己規律が働く仕組みになっている。

学長や学部長も安穏としていられない。オーナー家が君臨していたり、理事会が力を持っていることが多いので、実績を上げなければ更迭される。

実は、「無責任体制」は、国立大学の方が深刻だ。国立大学が「倒産」すると思っている内部の人間は少なく、だからいまだに「親方日の丸意識」が抜けきれない。

さらに、2004年に国立大学が独立行政法人化(独法化)されたことが、大学幹部にモラルハザードをもたらした。

では、独法化とは何だったのだろうか。文科省は、ホームページで、その目的について「優れた教育や特色ある研究に各大学が工夫を凝らせるようにして、より個性豊かな魅力のある大学になっていけるようにするために、国の組織から独立した『国立大学法人』にすることとした」と述べている。

そして、従来の国立大学の問題を、「工学部に機械工学科や電気工学科を置くといったことも省令に書いていましたから、学科名を変えるのにも省令の改正が必要でした。また、不要になったポストを新たに必要となるポストに替えるだけでも、そのつど文部科学省に要求して、総務省や財務省と調整する必要がありました」と記している。

筆者も、国立大学の独法化に、このような側面があったことは認める。ただ、これはあくまで口実だろう。学部や学科の構成や、定員の再配置を容易にするだけなら、国立組織のままでもやりようがある。

「独法化の本当の目的」

改めて言うまでもないが、本当の理由は金だ。時は小泉(純一郎)政権時代(2001~06年)。国立大学も「聖域なき構造改革」の対象となった。

この結果、国立大学は国から受け取る運営費交付金を毎年、対前年度比約1%ずつ削減されることとなった。国立大学が受け取る運営費交付金の総額は、2004年の1兆2415億円から、2014年には1兆1123億円と、10年間で10%も減った。

運営費交付金は、国立大学にとって最大の財源だ。東京大学の場合、2015年度の経常収益は2357億円で、このうち782億円(33%)が運営費交付金だった。つまり、東大は毎年9億円程度、収入が減ることになる。運営費交付金の削減が死活問題であることがご理解いただけるだろう。

収入が減るのだから、コストを下げなければならない。国立大学の最大のコストは人件費だ。東大の場合、2015年度の経常費用は2291億円だが、このうち958億円(42%)は人件費である。

どうすれば、人件費を下げることができるだろうか。この点で独法は都合がいい。国立大学を独法化する際、職員の身分は非公務員型となり、国家公務員法や人事院規則などが適用されなくなったためだ。

知人のキャリア官僚は、「これで人員整理が可能になりました。これこそ独法化の本当の目的です」という。

勿論、長年、国立大学に勤務している人を解雇や早期退職させることは難しい。この結果、現実には新規に雇用する職員を有期雇用することで落ち着いた。

独法化後、国立大学では有期職員が急増している。2016年11月22日付の朝日新聞の記事によれば、旧7帝国大学と筑波大学、東京工業大学の計9大学について文科省が調べたところ、2007年度には40歳未満の若手教員約7400人中、有期職員は約2800人(38%)だった。それが2016年度には、約7200人の若手のうち、65%に当たる約4700人が有期職員となった。この間に新規に雇用された職員の大部分が有期雇用といって差し支えないだろう。

有期職員は大学にとって「派遣社員」のような存在だ。なぜなら、大学側の都合で雇用調整できるからだ。

大学でも、契約延長に際しては「業績」を評価することになっている。ところが、専門性が高く、情報開示が進んでいない大学では、人事評価は恣意的になりうる。その典型が冒頭のケースだ。状況は、私大も国立も変わらない。

現実には、学部の幹部が人事委員会のメンバーを務めたり、あるいは委員の人選をする。私大のように全権を握るオーナー理事長はいない。この結果、一部の幹部が職員の「解雇権」を握ることになる。「サラリーマン」に過ぎない定年前の大学教授たちが、絶対的な権限を有し、若手職員を支配するようになる。こうなると腐敗しない方が不思議だ。

「厚顔無恥」の東大医学部長

その典型例が、筆者が卒業した東大医学部だろう。2012年10月に発覚したiPS細胞移植論文捏造事件に始まり、わずか5年間の間に循環器内科、血液・腫瘍内科、糖尿病代謝内科、神経病理学講座などで研究不正が指摘され、眼科では入試便宜のお願いで現金を受け取り、教授が解雇された。

ところが、講座の責任者である教授は、眼科を除き、いまもその地位にある。ノバルティスファーマの臨床研究不正で、京都府立医科大学の教授が退職したこととは対照的だ。

さらに問題なのは、このような教授を任命し、監督する責任がある医学部長や病院長などの幹部たちが、誰も責任をとっていないことだ。医学部長に至っては、2014年の総長選挙に立候補した。厚顔無恥である。

問題はこれだけではない。東大医学部と分子細胞生物学研究所は、昨2016年8、9月、匿名の人物から相次いで研究不正を指摘された。

8月1日、東大は研究不正疑惑について、調査結果を発表した。前者については不正を認め、後者はシロと発表した。

この対応も噴飯物だった。専門誌である『日経サイエンス』は、同年10月号で「東大の研究不正 対応に温度差~分生研と医学研究科で、調査姿勢に差が目立つ」という記事を掲載した。

記者会見に参加した同記事筆者の詫摩雅子氏は、「今回の記者会見は、端的に言っていろいろと腑に落ちないものがあった。『シロにする』という結論ありきであったという疑念を払拭することができないのだ」と記している。詳細は彼女の記事をご覧いただきたいが、東大医学部の「言い訳」を読むと、卒業生として情けなくなる。

停滞する日本の科学

ところが、これだけ外部から批判されているのに、東大医学部内からは外部に向かって反論する人もいなければ、医学部の幹部たちを内部から突き上げる人もいない。大学が自治を守るためには言論の自由が欠かせないが、もはやそのような状態ではない。

その理由の1 つは、若手の多くが有期雇用で、人事権を握る幹部に逆らえないためだ。

これは東大に限った話ではないだろう。2014年9月には、岡山大学医学部の研究不正疑惑で、製薬企業との癒着を告発した教授が停職処分を受けた。独法化した国立大学では、程度の差こそあれ、どこでも同じような問題が起こっている。

このような状態が続けば、日本の科学は停滞する。既に、その徴候はでている。科学技術・学術政策研究所によると、日本の注目度が高い論文数のシェアは、2003~2005年に世界の8.0%から、2013~2015年には4.7%に減少した。順位は米国につぐ2位から、中国、ドイツに追い抜かれて4位となった。

大学関係者からは「もっと研究費を増やせ。もっと運営費交付金を増やせ」という要望が相次ぐが、そんなことをしても無駄だ。経済成長著しい中国並みに日本の研究費を増やすことは出来ないし、ガバナンスが欠如した組織に資源を投下しても、活用出来るはずがない。

せこいことを言うな

いま考えるべきは、現状に即し、自己規律が働くシステムを構築することだ。

まずやるべきは、ガバナンスの確立だ。情報開示を進め、責任と権限を明確化しなければならない。人事権や経営判断に関与する人物には説明責任を負わせなければならない。

大学をマネージメントする「専門家」の育成も必要だ。大学経営と教育・研究は別ものだ。それぞれに求められる能力は異なる。大学教授が片手間で人事や経営を担っていけるわけがない。プロ野球の球団のフロントと監督、コーチのような分業体制が必要になるだろう。

さらに、優秀な人材の確保も重要だ。それには国際化を加速すべきだろう。日本人と同じだけの給料を出せば、東南アジアやインドからは優秀な人材を招き入れることができる。海外出身者が日本で活躍すれば、そのニュースが地元に伝わり、ますます日本に優秀な人材が流入する。

この結果、日本の若手研究者は海外勢との競争に曝されることになるが、公平に競争し、成果がきっちりと評価されれば、国内からも優秀な人材が参入してくるだろう。

いまの日本の国立大学に欠けているのは「公正」だ。若手の職員だけを有期雇用とし、定期的に雇用の延長を評価するなど、せこいことを言わないほうがいい。

一部の大学は、教授の任期を定め、再任の場合には審査が必要としているが、大抵の場合、教授の任期は10年で、助教は5年と差がある。一般企業で、取締役の任期が平社員より長いなどありえないだろう。

どうせやるなら、学長以下すべてが平等な条件で有期雇用とし、学外の関係者も入れて、任期延長を公正に評価すればいい。幹部は安全なところにいて、若手研究者を弄ぶようなやり方では、誰からも信頼されない。「公正」こそが信頼を生む。

実は、このような改革の必要性は、国立大学だけに限らない。グローバル化、情報化、財政難が進む先進国で教育、研究、スポーツなどの「サービス業」が生き残りたければ、海外に門戸を拡げ、公正な競争の場を作らねばならない。

いま、国立大学に求められているのは、政府におもねり税金を貰うことではない。自立した大人の議論である。

上昌広 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端?

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