代表選が終了してから解党前まで、党人として活動らしい活動をしていなかったうえ、今は現職でもないので、維新の党と民主党の合流に関して、静かに流してしまおうとも思ったが、公認で選挙戦を戦った以上、それに対する責任があるほか、多少の思いもあるので、1週間経過して冷静に考えることができるこの時期を選んで記すことにした。
合流について、よく「どうするの?」と聞かれる。それに対して「しない」ではなく「できない」と答えてきた。実情で言えば、現職ではない私は「相手にされない」が本当のところだが、現職であったとしても答えは変わらなかったろう。
その理由は、これまでの活動が否定されてしまう──このひと言に尽きる。合流しなかった多くの議員、元議員の発言と重なるものの、組合、なかんずく官公労系の組合と対立して公務員改革を訴えかけてきたのに、その支援を仰ぐ政党と合流することは、政治信条を考える上での自殺行為に他ならない。さらに、個人的な思いとしては、自由経済を信条に経済対策を進めてきた身として、真逆の立場である共産党との連携を厭わない姿勢を、絶対に許容できないのである。
公認されて選挙を戦ってから、ちょうど1年経過するが、この間、維新の党は変質した。最も大きなポイントは、大阪系の分離であるのは言うまでもない。それでも、みんなの党時代、ともに政策実現に取り組んだ旧結いの党の方が残ったため、自分の居場所があると感じていた。とどめを刺したのは、その後行われた代表選だと考えている。
代表選は、党員1人1人の票の積み重ねで、松野代表(当時)が再選された。見た目、最も民主的な手法とされたものの、実は、これが完全に党を変質させたと思えてならない。
大勢を決したのは、生活の党出身者が集めた党員の票だ。党人として党勢拡大を目指すために、党員を集めるのは当然のこと。私も旧みんなの党の時代から経験がある。そして、党員集めで抜きん出ていたのが生活の党出身の方々であり、それが代表選では強力な組織票となったことは想像に難くない。
政治の世界で"数は力"。対抗馬だった小野次郎候補は、ひとたまりもなかった。その後、民主党との合流に向けて急速に進んだことは言うまでもない。
生活の党出身者を支持する党員の票がバックにあるため、それらが民主党との合流を望むとなれば、その実現に向けて動くのは当然のこと。たとえ、政策その他が一変しても同じだ。元々は民主党にいた人にとって、むしろ変質は望むところなのかもしれないのだ。それが嫌なら離れるしか道はない。
そう考えると、今回の合流、民主党と維新の党ではなく、実質的に民主党と"生活の党"との合流と思えてならないのである。
「自民でもない、民主でもない。彼らにできない改革を実践しよう」──気持ちを高揚させながら街頭で訴えたことは、果たして何だったのだろう。