少年野球チームの四番バッターA君はある日の試合で監督からの送りバントのサインを無視して打ちました。結果はヒットでした。試合には勝ちましたが試合後、監督はA君を強くしかりました。
これは私が中学生の時に道徳の授業で読まされた教材の中身です。この教材の内容が意味するところは、「協調することやあらかじめ決められたルールを守ることの大切さ」を学ばせるというところにあります。
日本の社会に起業家が育ちにくい理由は、ここに凝縮されています。
A君があらかじめ決められたルールに従って送りバントをしていれば、試合に勝っても負けてもA君は何の責任も負いません。監督はセオリー通りにサインを出し、選手は全員がサインに従います。その結果が負けであった場合、敗戦の責任を誰ひとり負うことがありません。そしてこのチームは何の反省もなく次の試合に臨みます。会社にしろ役所にしろ、日本の組織が腐っていく時のメカニズムがまさにこれです。東京電力の役員は前任者から引き継いだ仕事を前例に倣ってこなしていきます。東京電力の従業員は役員の指示に従います。原子力発電所で深刻な事故が起こっても、彼等は責任を負おうとしませんし責任を感じてもいません。送りバントを決めた選手が敗戦の責任を感じないのと同じメカニズムで、指示に従うだけの東京電力の社員は原子力発電所での事故に責任を感じません。
こういうろくでもないことを教えているかぎり、日本で起業家はなかなか育ちません。学校で教えられたことにも社会の常識にも多くの間違いが含まれているから常に自分の頭で考えながら生きるべきなのだ、と気づいた人だけが起業家になります。それでは起業家はごく少数しかうまれません。
起業率を高めたいのであれば、送りバントを決めるのが一番よいことだという間違えた認識を改めなくてはいけません。
A君の置かれた状況で、最も素晴らしいのは「監督のサインを無視してヒットを打つ」ことです。次によいのが「監督のサイン通り送りバントを決めること」その次が「送りバントを失敗すること」最も悪いのが「監督のサインを無視したのに打てないこと」だと教えるべきです。
リスクを犯す時には、すべての責任を負わなくてはいけません。結果を出せないならリスクを負ってはいけませんし、リスクを負ったからにはなにがなんでも結果を出さなくてはいけません。そこまでしてリスクを負えない人は無難にリスクを負わない選択肢を選べばよいのですが、リスクを負って戦う人がいるおかげで自分みたいな人間にも居場所があるのだという現実を知らなくてはいけません。もちろんリスクを負いたがるタイプの人ばかりでも組織や社会は成り立ちません。しかしリスクを負いたがる人を異分子として排除してしまうと、その組織は腐敗しますしそういう社会は発展しようがありません。リスクを負わずにこつこつと組織を支える人がいるからリスクを負いたがる我の強い人が生きていられるのは事実ですが、そういうタイプの人がいるからリスクを負わない人が生きていられるのも事実です。彼らは我が強いですから「野球は一人でもできるんや」なんて江夏みたいなことを言うかもしれませんが、そういう人を排除しない社会にしなくては起業家は増えません。
根本的な部分を変えずに、政府が起業率上昇のために予算だけつけても効果はありません。ひとりひとりの意識や社会の常識が変わらないかぎり日本の起業率の低さは変わりません。大成功して調子にのっている起業家を見て、嫉妬とか憎しみとかを感じる人が多い社会では起業家は育ちません。大成功して調子にのっている起業家を見て、いつか自分の子や孫があちらの立場に立つこともありえるのだから暖かい目で見てやろうと思える人が多い社会になれば起業率はおのずとあがることでしょう。
さて、あなたはどう思いますか?
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