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2015年08月14日 17時53分 JST | 更新 2016年08月13日 18時12分 JST

歴史を浄化しながら、日本の大国化を目指す安倍首相【戦後70年】

YOSHIKAZU TSUNO via Getty Images

2001年4月、小泉純一郎氏が総理大臣に就任した。彼が就任後、まもなく取った行動により、敗戦から教訓を得て成立した憲法をめぐる議論が再燃することとなった。小泉元首相は就任当初から、日本はその経済力に見合った、国際舞台での軍事的役割を担うべきという強い姿勢を持っていた。しかし、とりわけ憲法第9条にかかわる部分では、レッドライン(越えてはいけない一線)を越えることはなく、自分の熱意が過激にならないよう注意を払ってもいた。憲法第9条には「日本国民は、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と記されている

5カ月後の2001年9月11日、アメリカ軍のサウジアラビア駐留など中東でのアメリカの活動に対する報復として、テロリスト集団のアルカイダがアメリカ本土を攻撃した。アメリカ国民の怒りに火がつくと、当時のジョージ W. ブッシュ大統領政権は国際法を無視し、宣戦布告もなく、国際的な対テロリスト戦争に乗り出した。この時、日中間の緊張が高まる中で、アメリカからの支援を引き続き確保するため、小泉元首相はワシントンに頼って指示を仰ぎつつ、日本のアメリカへの無条件支援を誓った。同時に、ブッシュ前大統領がアフガニスタンやイラクで始めた戦争への全面的な軍事介入は避けた。しかし、ブッシュ前大統領が2003年5月にイラクでの大規模戦闘の終結を宣言すると、ワシントンからの要請に応じ、イラクの戦争地帯に期限付きの支援任務を条件として小規模の自衛隊部隊を派遣した。自衛隊は2004年1月、イラク南部の反アメリカ軍勢力であるスンニ派の中心部に入った。自衛隊はほとんど実績を残さぬまま、2年後にその地を撤退した。

小泉元首相の靖国参拝

小泉元首相は、重度から軽度までの戦争犯罪人も含む日本人戦死者の英霊がまつられた靖国神社の参拝を公約としたことで有名だ。彼は任期中、何度も靖国神社を参拝した。韓国政府や中国政府は、日本は朝鮮半島の植民地化や戦時中の中国占領に対する反省が足りないとして、小泉元首相の行動を強く非難した。小泉元首相は、国内外から浴びせられる批判を理解できないと主張した。彼は、「日本の繁栄は」戦死者の「犠牲の上に成り立っている」と述べ、靖国神社の参拝は、日本人として「自然」な行為である、と反論した。宗教的なつながりを持たない国立の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で戦死者を慰霊することも十分に可能だったはずだが、小泉元首相はそうしなかった。

今日では、世界勢力図の変化や中国の台頭、日本経済の相対的な衰退に対する不安などから生じたより重大な問題に取って代わられたため、閣僚や総理大臣の靖国神社参拝が日本の政界に大きな波風を立てることはなくなった。しかし、靖国神社は、軍国主義や天皇崇拝、天皇中心の歴史観と関係しているため、今後も物議を引き起こすであろう。実際、ここでは戦争責任者とその被害者の区別がなく、天皇のために犠牲になった人々との観点から、すべての戦死者が同等に扱われている。

靖国神社を公式参拝する小泉元首相の姿勢は、中国人や韓国人の不信感を募らせたが、小泉元首相が国家主義を一層積極的に推進する土台を築いたことも見落とすべきではない。

「アメリカ外交政策のいいなり」

小泉元首相はブッシュ前大統領の戦争を承認し、憲法前文が自衛隊の海外展開に対し、何らの障害にもならないと主張した。その後の小泉元首相の行動から、日本の保守派支配層は、アメリカ外交政策のいいなり状態に完全に満足していることが分かった。

小泉元首相は2001年10月、アメリカの圧力に屈し、日本がパキスタンとインドに課していた経済制裁を解除した。小泉元首相は、これらの国の核政策が大量破壊兵器の軍備競争をあおっていたため、両国に経済制裁を課していた。小泉元首相がそれを解除したことで、核拡散や核兵器搭載可能ミサイルのテストに反対を公言してきた日本の立場は見かけ倒しのものとなった。

小泉元首相は2006年9月、日本が不況から抜け出せないまま、総理大臣を辞任した。その頃までに、日本経済は一層、格差を拡大し、経済的な正義を犠牲とした新自由主義的な方向に進んでいた。小泉元首相の後継者である自由民主党の安倍晋三氏は、極右派との密接な関係を維持した。小泉元首相と同様、アメリカの指図に従属する意思があったが、日本を世界政治で発言力を持つ偉大なアジア勢力にするという、さらに大きな目的を視野に入れていた。

1年という前回の任期中、安倍首相は特に何も成し遂げられなかった。スキャンダルや政治的な失策により、辞任へと追いやられた。その後、自民党は民主党に政権を奪われた。新国家主義や新自由主義的な緊縮派が新たに台頭した。東日本大震災、津波、原子炉のメルトダウンが発生した。その後の5年間、日本の総理大臣は相次いで5人誕生した。それぞれの任期は1年未満だった。

2012年末、日本を不況から抜け出せなかった民主党に失望する世論が高まり、安倍氏と自民党は選挙で政権を奪い返した。野党の分裂、長い在任期間、さらには、前例のない低い投票率(日本の基準で)のおかげで、自民党は勝利を収めることができた。

現在、安倍首相の外交や内政政策に対する抗議活動は最高潮に達している。小泉元首相が築いた土台の上に、さらに右寄りの課題を掲げている安倍内閣は、一層、憲法を軽視する傾向にある。また、日中戦争や第二次世界大戦中、日本軍が慰安婦宿の運営や性売買に従事し、大勢のアジア人女性や若い少女を遠方まで連れて行き、戦後はその地に放置したことを認めたがらない。

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安保関連法案に反対するデモ David Mareuil/Anadolu Agency/Getty Images.


「平和憲法を弱体化」

自民党の政治家が全員同じ考えをしているわけではないが、一般的に、彼らは平和憲法を弱体化させることで、国家の健康を回復できると考えている。彼らの考えでは、未来の戦争に備えることが健全で論理的な国家の状態なのである。歴史相対主義は、自民党の政治家が「慰安婦」についての受け入れがたい歴史的事実を軽蔑するよう導いている。彼らの目的をサポートしない証拠書類は、彼らにとっては受け入れ難いものなのだ。彼らの目的に役立つ手段は、言葉遣いを変えること、アメリカの政治家の言葉遣いに合わせること、そして、メディアを使って一般人の過去に対する考えを変化させることなのだ。

安倍政権の過去に対する姿勢は、日本メディアへの規制強化や、日本人の敗戦史観を変えようとする態度に表れている。安倍首相は、自身の政権政策を反映させて教科書を改訂した。その1つは、日本人に新たな20世紀史観を提供するためのものだ。また、内閣が自らの政治目的に合わせて歴史を都合よく引用したり、21世紀の日本に歴史をうまく適用させたりする方法を「教訓」として市民に吹き込む改訂である。

終戦50年となった1995年、当時の村山首相は多大な影響力を誇る談話を発表した。日本は戦争で「国策を誤り」、「独善的なナショナリズム」や「植民地支配」と「侵略」を非難した。

安倍首相はこれまでのところ、村山談話を支持していない。それどころか、実際は「戦争責任」の意味を変えようとしている。最初の内閣を組閣した4カ月後に1947年の施行以来、初めて改正した。その目的の1つは、愛国心を指導要領に盛り込んだことだった。これは10年以上にわたって進行していた1つの動きだった。安倍首相の2013年の靖国参拝は、A級戦犯やBC級戦犯の英霊はたてまつらなければならないとの彼の考えを示唆した。なぜならば、そうした戦犯たちは実際は何らの罪も犯しておらず、戦争責任もないとの考えに依っているからだ。

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靖国神社を参拝する安倍首相 KAZUHIRO NOGI/AFP/Getty Images.


過去に安倍政権ほど憲法の改正を追い求め、戦争やアメリカとの軍事同盟に対する国民の態度を作り替えようとした政権はない。

CIAが日本の左翼勢力の弱体化と保守派の強化を始めた年にあたる1955年 の自民党発足以来、憲法改正は同党の主な目的だった。しかし、アメリカによる経済制裁とアメリカの国際戦争戦略を支持するという面で、安倍政権ほど揺るぎのない政権はない。

2015年7月、安倍総理は海外軍事活動の自由度を上げるため、反対派からの抗議にもかかわらず、衆議院で一連の安保法案を成立させた。その前日には、6万人近い人々がこれらの法案に対する抗議を行った。国家という概念をめぐり、市民と支配層がそれぞれ持っていた戦後の歴史的な溝が広がった。

中国に対するアメリカとの協調

日本の指導者たちは1990年代から、既にワシントン寄りであった。中国が世界の海洋や大陸でその存在感を示すに伴い、日本のリーダーたちはアメリカと協力し、中国に対抗し得る平和維持部隊と自らの立場を見なしている。2013年11月に北京が尖閣諸島と東シナ海近辺上空の「防空識別圏」を宣言後、内閣は対中国政策を強化した。中国が「紛争の存在しない領有権」を主張する南シナ海地域では、安倍首相と自民党幹部が、紛争中の南沙諸島や西沙諸島での中国の開拓プロジェクトと滑走路や港湾施設建設を批判するアメリカに同調した。アメリカと日本は、これらの論争に自ら介入し、自らの主張を支持している。中国外交官は「自らが征服する以外に、アメリカは何の権利があってアジア太平洋問題に介入しなければならないのか」と疑問を呈した。

第2次世界大戦後70年にあたる2015年、ある活動家が進歩主義的な大学学生運動を結成した。日本を憲法で規定された平和主義的路線に戻すことが目的だ。国会の周辺や首相官邸前で路上デモ活動が盛んに行われていることから、一般の日本国民は実際のところ、安倍政権が掲げた方針に反対であることを映し出している。彼らは軍国主義的な国家姿勢を拒絶し、破壊的な軍国主義的精神を背負うことも、自己中心的な国家主義の精神に傾倒することもない。彼らは、憲法では戦争のために自衛隊を海外派遣してはいけないこと、自衛隊の軍事力は最低限に抑えなければならないことを理解している。世論調査やニュース記事は、日本人が第9条を支持していることを示している。

支配層と一般人のかけ離れた意見の相違を埋めるため、また、安倍首相のアジア太平洋政策と国内の強い民主主義的な自由政策がますます相容(あいい)れなく問題を緩和するため、自民党はプロパガンダ活動を行ってその批判に応えざるを得ない状態だ。

安倍首相が秘密裏に環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を促進している様子は、彼が日本人の大多数を占める意見を軽視している良い例だ。TPPは、アジア太平洋の12カ国の経済を強制的に開かせ、アメリカや日本の国際的な大企業にこれらの諸国を意のままにできる絶大な力を与えるというアメリカの強欲な計画である。これが認められれば、低賃金や失業率の増加、労働や環境基準の低下につながるだろう。これらの可能性を抜きにしても、TPPでの中国除外が明らかな焦点となる。安倍首相の観点からは、TPPは、台頭する中国を封じ込める課題に向けての解決策となっている。戦略的に、TPPは「中国の周りに相互連携した経済の輪を築くことで」中国を閉じ込めるという、包括的なアメリカの政策の1つになろうとしている。

また、日本は原発の安全性について不安が残る地震国家だ。国内では、未だに福島の原発事故大惨事の事故処理に追われているが、安倍首相が停止中の原子炉を再開させたことから反発も生じている。大企業や多くの大物政治家は、核燃料による発電は安くて経済的で、公共の安全に危険を及ぼすリスクがほとんどないという神話を信じている。世論調査は言うまでもなく、科学的な報告書も逆のことを言っているにもかかわらず、だ。

日本のメディアでは見落とされることも多いが、安倍政権が直面している、同じように深刻な問題には、新たな軍事基地の建設を進めるアメリカと日本の共同計画に沖縄県民が断固として反対していることがある。

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1960(昭和35)年に当時の岸信介首相が推し進めた日米安保条約改定の調印とアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日に反対するデモ隊。Keystone/Getty Images.


数週間または数カ月後、沖縄県民の反対によって、安倍首相は自身の祖父である岸信介元首相と同じ、高圧的なやり方で多くの批判に対処しようとする気になるかもしれない。岸元首相はかつて、アメリカとの日米安保条約改定の調印に反対する大規模なデモが発生した際、日本人の意思を圧倒した歴史がある。岸元首相は1960年代、アメリカが欲しいものはほぼ全てを与え、日本にはうわべだけ対等な内容を与えるように見せるやり方で安保条約を改定した。その後、改定された安保条約に対する反戦争勢力や護憲運動は急速に弱まった。保守派勢力はこの新たな状況に適応した。日本の外交政策の目標は、岸元首相の「大日本」から帝国主義前のような「小日本」へと変化した。

レッドラインを越える

その後の20年で、日本は平和主義的な理想を具体化させたようだ。日本国憲法は、核を持たず、作らず、持ち込ませずという非核三原則によって強化された。自民党の佐藤栄作元首相が1967年の国会での決議でこれらの原則を発表した。しかし、日本はこうした模範となるような例を示すのと同時に、ベトナム戦争では物資的にも精神的にもアメリカを支援し、核兵器搭載のアメリカ軍の艦船を秘密裏に国内に持ち込ませることを許していた

戦後70年という重要な年、中国は日本の公式声明に対する警戒を高めている。中国は、安倍首相が今後も、国際舞台で軍事力の積極的な利用を禁じる憲法上の束縛をなくしていくのかどうかを注視していく意向だ。防衛省は、非国連平和維持部隊に参加するための自衛隊の新たな戦闘マニュアルを作成している。防衛省と統合幕僚監部は、自民党は必要とあれば参議院で11本の安保関連法案を強行可決するだろうとの想定の下、既にこの法案を通過させたかのような行動に出ている。解釈改憲によって、レッドライン(越えてはいけない一線)を越えてしまった。冷戦の終結後、小泉元首相が政権を取った時とは異なり、安倍首相は日本を偉大なアジアの国家にするという野望を公然と抱いている。

問題は、中東やアフリカでアメリカが国際的な軍事介入をしたり、対テロ戦争を行ったりする際に、日本は平和のために、アメリカを支援して、どのような貢献ができるのかということだ。また、アジアで中国を包囲することを目的とするアメリカの帝国主義的な政策を、日本はどこまで支援できるのか、ということだ。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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