特に最近、強く思うことがある。
私がもし医者でなかったら何をしていただろうか?
もし医者でない立場で途上国で何かをするならば、何をしていただろうか?
私は医者であることにこだわり続けてきた。
いい加減な自分ではあるけれど、患者や医療者たちの前では医者であることを自覚し、行動し、誇りを持って生きられるようにと、いつも強く自分と向き合ってきた。
海外でたとえどんな逆境にあってときでも、自分がメスを握り、患者たちを救っていくイメージを常に心に留め置きながら前にすすんできた。
でも、もし、私が医者でなかったならば、あの悲惨だった人々の現状を見過ごして生きていただろうか?
それとも止むに止まれぬ心が動き出し、何かを為すために前にすすみ続けていただろうか?
プレイヤーに拘り、プレイヤーとして患者に向き合うことを当たり前に選び続けてきた。
統制の厳しかったミャンマーで綱渡りのように医療を続けてきた。
もし医者でなかったならばそれも不可能だったのだろうか?
人は武器をもつと武器に拘り、型をもつと型に拘る。
それが可能性を奪っているなどとも気付かずに。
それゆえ、武道の達人は、型に入り、型を捨て、やがて自由の境地に入る。
弱い自分が、もしも武器を持っていなければ、自分より強い相手に立ち向かわない。ゆえに殺されることもない。
もしも柔道などの型を知らなければ、その個人の秩序ない拳や蹴りの動きは相手には読めず当たることもある。
型を知っていれば、その防御の策は必ず準備される。
自分の強みだと思っていたことが、実は弱みだったと気付いた。
ある日ふと気付いたのだ。
もし私が医者でなかったならば、たとえミャンマーのように、どのような困難な状況のときにあっても、今頃病院の一つや二つ建てきって、もっと多くの人々を救えていたに違いないと。
自分ではできないから、他人の力を借りる。
自分の力に必要以上に頼るより、人々の才能を信じて借りてくる。
50歳を過ぎ、そのことの威力を思い知ったのだ。
目が覚めて、世の中にはすごい才能の人間がごまんといることに今更ながら気付いた。
私がすべきだったのは、自分で刀を振り回すことではなく、この人たちの力を借りれる仕組みを作ることだった。
私は医者が得意だ。
手術も得意だ。
しかしそれこそが私の最大の弱点だったのだ。
人は一生涯を得意なことだけして、生きてはいけない。
医者の人生は、私の人生の一部でしかない。
人生はきっと医者をできなくなった後も何年も続くだろう。
だからこそ私の命が最も活きる道を見つけなければならない。
遅すぎるとしても今始めるしか道はない。