先日、財団を通じてジャパンハートの活動を支援していただいている、ミュージシャンの浜田省吾さんの大阪でのコンサートに呼ばれて行って来た。内容はもちろん凄かった。
コンサート後も、励ましの言葉を頂き、いつもながらありがたく優しい人柄を実感できた。
コンサートの中で、この時期だからか、自分自身の運命からなのか...、それは私の知る由もないが、戦争や紛争などのシーンが幾度となく映像で流されていた。
戦争については、ミャンマーは第二次世界大戦で20万人近い日本人が亡くなった土地で、そして今も尚、その亡骸が多く眠る国でもあり、私もずっと戦争を「いのち」という視点で感じ続けてきたことがある。
ある視点から見れば、こういう質問をしばしば受けるのだけれども、
私が途上国で長い間やっている無償の手術や診療などの活動は、果たして、どれほど正しい活動であるのだろうか?
ある人は、「そんな活動をちまちまやっていても、救える人数はたかが知れているだろう」といい、
ある人は、「外国人が現地で医療をすることは、現地の医療界や社会の秩序のバランスを崩す行為だ」といい、
またある人は、「患者が死ぬというリスクばかりを強調し思い描き、予期せぬことが起こったときの責任はどうするのだ」という。
結論から言うと、私はいつも一生懸命に現実と格闘するだけで、それらの視点からの意見は私にも患者にもどうでもいいことであるのだ。
また、私は人のいのちを救っているのだと自覚している。
ミャンマー人やカンボジア人や日本人のいのちを救っているのだとは考えていない。
私の悩みは、このように抽象度の低い課題ではなく、もっと大きな視点からの悩みなのだ。
それは私たちが、ミャンマーやカンボジアで人をどんどん効率よく治療していき、多くの人々が助かっていくときに、社会全体の中でのバランスをどう考えるのか、という課題であった。
多くの人々が助かるということは、多くの人々の食料や職業が必要になるということでもあり、私たちがターゲットとしている貧困層の子どもたちが多く助かるということは、貧困層の兄弟姉妹は犯罪の予備軍になりやすいために、将来、犯罪発生率をどうコントロールしていけばいいのかというような悩みなのだ。
たくさんの人を助けるということは、さらにそういう課題を社会に生み出すことになる。
「戦争はいけないことだ。人を殺すのは正しくない行為だ。」は、限りなく正解に近いが、
「人を救うのは正しい行為だ」は、それほどには正解には近くはない。
なぜならば、人を救う行為は、さっきの例のごとく、また別の問題を生み出してしまうからだ。
日本では新生児医療が進み、世界で最も低い死亡率を誇っているというが、別の角度から見ると、生涯、人工呼吸器から離脱できない子どもや重度の脳性麻痺の子どもたちもたくさん生み出している、ということだ。
それで途上国で医療規模を拡大し、成果をたくさん出し始めていくなかで、その「人を救うのは正しい行為だ」という思考をどう位置づけるのか、というのが私自身の悩みでもあった。
そして、先日の浜田省吾さんのコンサートで、その歌声を聴きながら戦争や紛争の映像を追い続けていたとき、私の意識は別の次元に飛んでいく。
浜田さんの声は既に遠くでこだましたようになり、ある思考が私の頭を占拠し別の映像が次々に映し出される。
昭和のはじめ日本の平均寿命は45歳程度であった。
多産多死。まさに1歳を待たずに死んでいった多くの子どもたち。
そして現在、カンボジア、ミャンマー、ラオスの平均寿命は、明らかに日本よりも短い。
ポルポトの時代、虐殺にあっていのちを失った数百万人のカンボジア人たち。
先日、白血病で亡くなったラオスの7歳の男の子。
今のアジアの途上国でも、戦前の日本でも、人の死は、現在の日本なんかよりも明らかに身近にある。それは特別で非日常的なことではないのだ。
死が近い。
私の思考も直感も、浜田さんの歌を背景にしながら同じ結論に達したのだ。
死が身近な国や時代は、生(=いのち)は軽くなる、ということだった。どんどん戦争が起こるから人がたくさん死に、生が軽いのではない。人の生が軽く扱われるから、戦争が起こるのだ。
だから私はこのときに確信したのだ。
死をあまりに身近にしないこと。
人間たちを死から遠ざける作業、すなわち生(=いのち)を救うという行為、生(=いのち)を重んじる行為というのは、最も正解に近いといえる「戦争や人を殺すということを、遠ざけ遮断する行い」なのだということを。
死を忘れた生はその密度を失い、死を寄せすぎた生はその存在を失う。
いのちを救うという行為は様々な重荷を背負っては生み出す行いではある。
しかしながら、私たちが胸を張って言える「戦争はいけない、人を殺してはいけない」という正解と確実につながっている。
これが、私が浜田省吾さんからもらったメッセージだった。