若者よ「上を見るな。下を見ろ!」

ぬるい社会で若者に向かって「がんばれ!上を目指せ!」と言ってもなんとなく暖簾に腕押しになってしまう。そんな若者に私からアドバイスをしてみたい。

世の中に、すごい人間は五万といる。

私も若い世代には特に「チャレンジしなけりゃ、将来やばいよ」的な話もよくする。

最近私は、マジで日本社会ほどぬるい社会はあまり見ないような気がする。

良くぞここまでの社会を作り上げることができたな、とむしろ感心する。

私がいるミャンマーでは、雨季になると数年に一度は川が氾濫し、家も土地も全てが川の底に消えてしまう。

そうすると、農民たちは何かが川から這い出してきたように水かさの上昇に合わせて、上に上にと高いところに家畜と共に簡易の住処を移動させながら、高い土手の斜面に小屋を構え、飯を炊き、挙句には商売を始め、それはもうたくましく生きている。

政府からの助けなど端から期待していない。だから、そういう環境であっても笑いが絶えず、嘆いている人はほとんどいない。

一方、ある時、ある日本の地方が洪水になり、第二次世界大戦を経験した大変な時期を過ごしたはずの日本のお年寄りが、インタビューに答えて曰く「もう丸1日もテレビも映らないので、不安で仕方ないです。」

日本はこの70年、何て安全ないい国を作ってきたんだろうと感心してしまう。

そして今や、こんなにもぬるい世の中を実現してしまった。

まあ、日本以外のアジアの国々との比較だけれども。

もちろんアメリカももっと厳しいでしょ。

そんなぬるい社会で若者に向かって「がんばれ!上を目指せ!」と言ってもなんとなく暖簾に腕押しになってしまう。

ホントは頑張らないと、日本の失速と共に自分の相対的な位置も落ち始めて、果てはどんどん色んな意味で貧しくなっていくのだが。

日本人の中には、他の国の人間を見下す発言をする人がいるが、将来その他の国の人たちのほうが、収入も地位も上になってしまう。その時、どちらが社会から重宝されるのか考えてみると、何となく情けなくならないのかな?

そんな若者に私からアドバイスをしてみたい。

そんな若者にあえてこう言おう!

「上を見るな!下を見ろ!!」

そう、すごいやつなんて目標にしたらいつまでたっても動けない。だろ?

すごいやつはいつの日か射程に捕らえるとして、今は敢えて、「下のやつを見ろ!」と言いたい。

人間誰でも「こいつにできるんだったら、自分にもできるんじゃないか」と思う他人がいるはずだ。

「こんなしょぼい人間にこんなことができて自分にできないはずはない」と思える人間を、探してみてはどう?

本当はそいつは、かつてのそいつではなくて今やすごい人間かもしれないが、あなたが見るべきはかつてのしょぼかったそいつのイメージだ。

こいつにできて自分にできないわけがないと、自分に言い聞かせ、とにかくその人間と同じレベルくらいのことにチャレンジしてしまう。

現実は厳しく、そんなに人生甘くはないが、そのチャレンジのうち1つ、上手くいくだけで人生が動き始める。

とにかくきっかけだ。人生はきっかけが全てなのだ。

とにかく人生にフックを掛けろ!

私はよく「子どもの頃を思い出せばいい」という。

例えば、今、医者でも世間でも、もてはやされている人間たちの子どもの頃を、一度みんなでのぞきに行きたいものだ。

今は威張っているが、きっと子どもの頃は、運動ができなかったり、気が弱かったり、影が薄かった人間が結構いると思う。

その人間たちが、なぜ今や、こんなに自信に満ち、威張っているのかを考えてみたらどうだろう。

彼らにもきっと、しょぼかった自分から今の自分へ変わった「ターニングポイント」があるはずだ。

そのポイントはほとんどの場合、ちょっとしたきっかけなのだ。

少し褒められたとか、たまたま上手くいったとか、その程度のものだ。

生まれてからずっとすごい人間なんて一体、何パーセントいると思う。

大抵の人間は、何かのきっかけでのし上がってきているだけでしょ。

だとすると、今の自分を変えるのは、きっかけをどうゲットできるかにかかっている。

高い山を登るには方法は二つある。

1つは、低い山を乗り越えて体力を徐々に付けて高い山に挑んでいくやり方。

2つ目は、いきなり高い山に登り、挫折して、己を知って、そしてそこを目標に日々努力して行くやり方。

私は2つ目のやり方を好むが、それをできない人は、1つ目のやり方で行くしかない。

まずは低い山を選べ。

とにかく低い山を失敗しても、次から次へと登っていくやり方がいい。

やがて人生にフックがかかる瞬間が訪れる。

その瞬間に、2つ目のやり方に切り替えてみるのもいい。

ところで、もうひとつアドバイスがある。

それは人生は目標を目指してそれを手に入れるよりも、失敗しようが成功しようが、その過程で手に入れるものの方がもしかしたら価値がある、ということだ。

これを私は、副作用の法則と呼んでいる。

プロ野球の選手を目指して努力する(目標=主作用)。結果、プロ野球の選手になれなかったとする。即ち失敗だ。

しかし、その過程で得たもの(=副作用)はなんだろう?

努力する価値。人並み以上の体力と忍耐力。挫折を味わった人生観。すばらしい仲間たち。

野球のすばらしさの理解。得たものは、その他数え切れないほどあるに違いない。

実はこちらのほうが長い人生にとって価値があるかもしれないのだ。

そう、チャレンジするということは副作用の宝庫へのアクセスなのだ。

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