1月にSTAP細胞について理化学研究所が公表した際に、おばあちゃんが着ていた「かっぽう着」を実験でも着ていることやピンクなどでカラフルに固められた実験室、さらに髪型やアクセサリー、理系女子(リケジョ)という点にばかり、一般のマスコミの関心が集中したことについて、彼女自身は本音ではどう感じているのだろうかと気になっていた。
71日ぶりに姿を報道陣の前に姿を現した小保方晴子さんは、こう語った。
「そうですね。あまりにも予想外な報道だったので......、恐ろしかったです。正直...」
かっぽう着姿での実験やピンクの部屋を撮影させたのは、理研の広報だから、彼女の責任ではない。
だが、そこにテレビや新聞が「面白い!」と飛びついたことは事実だ。
今、「論文不正」問題の渦中にあるが、他方で、マスコミの取材や報道の仕方そのものについて彼女の言葉が気になった。
論文に疑義が出たところで、彼女の自宅は報道陣に取り囲まれて、外出が困難になって、理研による聞き取りも「ビデオ調査」だったことが会見で明らかにされた。
また、自宅のまわりに張り付いていた記者たちについてはこう発言していた。
「報道の人たちもお仕事だから仕方ないのでしょうけど、ずっといらっしゃるので外に出られなくなってしまって...」
取材や報道が過熱して、常識的な一線を超え、当人の生活がままならなくなったり、プライバシーの侵害や人権侵害などになるようなケースを「メディアスクラム」と呼ぶ。
私も大学の授業で学生たちに教えるテーマのひとつだ。もちろん、そうした無理な取材をしないようにしている会社もある一方、「いけいけどんどん」で本人の姿やコメントを少しでもとらえて「スクープ」として伝えるのに命がけの会社もあるのが実態だ。犯罪の被疑者でもない個人の自宅まわりを24時間張り込むなどというのは明らかなメディアスクラムとして損害賠償を請求できる。
こうした一例もあるように、今回の小保方晴子さんをめぐる取材や報道は、さまざまな問題をマスコミ自身にもつきつけている。
報道が考えるべき問題の一つは、「かっぽう着」「ピンクの部屋」報道だろう。
理研の広報に乗せられて、特にテレビは小保方さんの「服装」「部屋」などの外見に注目して報道した。あるいは、「リケジョ」のブーム到来かと、いう報道もあった。
STAP細胞そのものについての内容の検証よりも、それに付随するような外見的なことに報道的な関心を集中させた。
そのことが今になって思えば、結果的に今回の問題につながった背景と言えなくはない。
テレビや新聞の記者たちと話をすれば、「理研に乗せられた」「もっと研究の中身そのものを確認すべきだった」などと反省の弁は述べるものの、では次からちゃんとやれるのかとなると明確な答えは出てこない。
そんななかで私が注目したのは冒頭の小保方さんの発言をマスコミ自身がどう扱うかだった。
「予想外の報道」で「恐ろしかった」というコメントには、「見た目」「現象」「流行」にばかり左右されがちな報道の現状への痛烈な批判だ。STAP細胞という医学の未来を切り開く発見を実証しようと(その方法が不正かどうかという点は別にして)努力してきた人間からすれば、「かっぽう着」への注目はまさに「予想外」で「恐ろし」いものだったことだろう。
2時間半という異例なほど長時間の記者会見で、彼女のこうしたコメントを切り取って、マスコミ各社は多少の「反省」も見せるのでは、と期待していたら、テレビでは若干の言及があった。
まず、会見当日(4月9日)のTBSの夕方ニュース『Nスタ』。
小保方さんの会見で「注目した質問ポイント」として、かっぽう着姿やカラフルな実験室について注目されたことにについて聞かれた際の回答を放送していた。
「みなさん面白いところに興味を持つなとは思いました」
そう答えた後で、記者から、不満とか不安などがなかったかと問われて、以下の答えにつながってくる。
「そうですね。あまりにも予想外な報道だったので......、恐ろしかったです。正直...」
ただし、理化学研究所がPRのために用意したのでは、というヤラセを疑う質問には、「かっぽう着は3年くらい前から着て実験をしていました。ピンクの実験の部屋は私がユニットリーダーに着任して研究室を用意している段階でできたものです」とオリジナルであると発言している。
『Nスタ』ではこの問題についてスタジオでのコメントはなかったものの、あえてこの問題に触れたことで「報道する立場」での「反省」を見せたのではないか。
『Nスタ』では全体的に真摯に語り続けた小保方さんへの好意的な姿勢が目立った。
堀尾正明キャスターは、記者会見で小保方さんが、理研に裏切られたとは思わないか、という質問に答えて、「そのような気持ちは持つべきではないと思っている」と発言した部分に注目していた。
「一つ一つの質問が出た時に一回飲み込んで、本当にこういう言葉を使っていいのかなと斟酌してから言葉を発するような慎重さも目立ちましたし、理研に裏切られたという思いがありますか、という記者の質問に対して、そういう気持ちは持つべきではない、というふうに、小保方さんならではの言葉だったのかもしれません。あくまでも自分の責任で理研の共同研究者を誰一人悪口を言うわけでもなく、不満を申し述べるわけでもない」
そう言って、小保方さんの言葉の選択が上手だったことを肯定的に解釈した。
さて一夜明けて今朝の新聞各紙の記事は、小保方さん本人に手厳しい論調が目立つ。科学者としての倫理を問う立場からだ。
もちろん論文に不正があったのか、STAP細胞はあるのかを「科学的な観点」から検証する報道機関の立場としては当然の行為だ。
他方で、特にテレビは会見する本人の表情や言葉のニュアンスまで映像でそのまま映し出すという機能があるため、純粋に「科学的」な観点というばかりでなく、話しっぷりの印象で小保方晴子さんの人柄や人間についての議論も出てきてしまう。前述した『Nスタ』などがよい例だ。
テレビ各社は新聞の厳しい論調一辺倒と比べると彼女に同情的なトーンのコメントも出てきている。
代表的なのが、今朝(4月10日)のフジテレビ『とくダネ!』。
前日の記者会見の後で、街頭インタビューで街の人々の印象を聞き、200人に街頭アンケートの結果は「小保方氏の会見を見て信用できる」という人が109人で「信用できない」の91人を上回っていたと伝えた。
司会の小倉智昭キャスターの言葉に思わずうなづいた。
「僕はが2時間以上の会見を見て考えたのは、何でここまで大きくなって彼女が一人、こういうふうにさらされて泣いたりしながら、詫びなきゃいけないのか。理化学研究所がそもそも彼女の研究にとびついたわけですよね、一番最初。それいけどんどんでああいう大々的な発表をしたわけでしょう? それを一方的にトカゲの尻尾切りのように切り捨て入るわけですよね。本当はそこに一番の問題があるじゃないかと思うんですけど」
「専門家や科学者の見方と街の人の見方は全然違うと思う。街の人は小保方さんが『ウソつき』なのかどうか、その一点なんですよ」
小保方氏の会見について、この番組でも、表情、ファッションや危機管理などの面から、その分野の専門家が分析するなど、いかにもワイドショーらしい作りもあったが、スタジオで小倉がときおり挟むバランスのよいコメントがさえていた。
「何で出てきて本当のことをしゃべらないのか、出てくるべきだ、とずっと言っていて、出て来てしゃべったら、何の意味もなかった、と言われて彼女はねえ、どう受けとめるだろうか?」
それは自分たちマスコミのことではないか。
小倉キャスターは小保方氏にやや同情的な印象だ。
また、小倉を中心にスタジオトークは、理化学研究所が1月に行なった「かっぽう着」姿の実験風景を撮影させた「女子力プロデュース」的な記者発表そのものが「科学の内容」よりも「イメージ戦略」を重視していたことを批判した。
一方で今回の小保方さんによる会見も一種の「イメージ記者会見」になっている構図を批判。
あくまで科学の問題は科学で決着をつけるべきだという姿勢をコメンテーターの一人にはっきり言わせてた。
その意味では、小倉が「小保方さんの会見で情にほだされたおじさん」という立場を演じ、それではいけないと科学の立場で言う専門家と対立させることで、今回の問題に報道も関与してしまった構図を「反省」しようとした高等戦術だったかもしれない。
また、番組が行なった街頭でのアンケート調査のように「信用できる」「専用できない」の二分法で意見を聞いて放送することそのものをスタジオのコメンテーターが批判するという一幕もあった。
「科学ってそんなふうに多数決で決めるものじゃない」
こうして明確に結論づいたものではないけれども、科学的な発見をめぐる報道がどうあるべきかという点で、テレビ番組の制作においても若干の「変化」が見てとれる。
そこには、小倉キャスターがいみじくも言葉にしたように、小保方さんをこんな形でさらしものにしてしまったのには、理化学研究所もそうだが、マスコミの責任もある。
もう一度、小倉の言葉を読み直してみよう。
理化学研究所をマスコミと置き換えてみると、なかなか奥深い。
そこには「反省」がこもっている。
「僕が2時間以上の会見を見て考えたのは、何でここまで大きくなって彼女が一人、こういうふうにさらされて泣いたりしながら、詫びなきゃいけないのか。理化学研究所がそもそも彼女の研究にとびついたわけですよね、一番最初。それいけどんどんでああいう大々的な発表をしたわけでしょう? それを一方的にトカゲの尻尾切りのように切り捨て入るわけですよね。本当はそこに一番の問題があるじゃないかと思うんですけど」
(2014年4月10日「Yahoo!個人」より転載)