「私、レイトマジョリティなんです」コイニー代表・佐俣奈緒子さんが起業に至るまで

「私ってレイトマジョリティなんですよね。いまだにガジェットには疎いかも」--2012年3月にコイニーを創業した佐俣奈緒子さんは、さらっとそんな発言をする。

佐俣奈緒子さん。1983年生。広島県出身。2009年より、米PayPalの日本法人立ち上げに参画。加盟店向けのマーケティングを担当し、オンラインサービス/ECショップへPayPalの導入を促進。2011年10月にペイパルジャパンを退職後、2012年3月にコイニーを創業

「私ってレイトマジョリティなんですよね。iPhoneを買ったのも実は2011年くらいだし。いまだにガジェットには疎いかも」--2012年3月にコイニーを創業した佐俣奈緒子さんは、さらっとそんな発言をする。

同社が手がけるのは、スマホやタブレットに無料のリーダーをするだけでカード決済ができる「Coiney」。創業当時、米国では同様のサービス「Square」が流行。コイニーはこの新しい決済を、日本のベンチャーとしてはいち早く導入した。それだけに、冒頭の彼女の発言とのイメージの乖離に驚かされる。

スマホやタブレットに無料のリーダーをセットするだけでカード決済ができるCoiney

インターネットに触れられる環境がなかったわけではない。小学校5年生の時には既に家にネットにつながっているパソコンがあったものの、ネットに興味はなく、単に「ソリティア」をやる機械だった。

ネットに興味を持ち始めたのは大学生の頃。と言っても、当時利用していたのは「カカクコム」や「Yahoo!オークション(現ヤフオク!)」がメイン。「TechCrunchやCNETも全然知らなくて、"ITに強い人が見るメディアっぽいし自分とは縁遠い"と思っていた。Macも"選ばれし者"が使うものと思っていた」。

そんな彼女が、なぜCoineyを手がけるに至ったのか。これまでの半生と、事業に込める思いについて聞いた。

漫画に感化されて高校で米国留学

中学2年の頃、アメリカ人の高校生が主人公の漫画を読んで、アメリカに行きたいと思うようになりました。成田美名子の『CIPHER(サイファ)』や『ALEXANDRITE(アレクサンドライト)』です。アメリカは日本と全然違うじゃないですか。「日本以外の国ってどんなだろう」と思ったんですよね。私が英語をやりたがったので、親が、近所のハーフの子がいる家庭に頼んでくれて英語を習い始めました。

中学校は受験をして、家から1時間半くらいかけて通学しました。広島大学の附属の学校で中高一貫校のため、中学から高校へは誰でも進学できます。でも、当時の私はもっと違う世界も見てみたいという思いが強くありました。「留学したい」と思った翌週に偶然交換留学のテストがあったので、受けたら運良く通りました。

実は、何かに興味を持つことってあんまり多くないんですよ。でも、これだと思ったら飛びつく感じ。私の親はモノじゃなくて体験にお金をかけるタイプ。子どもが望む体験にはお金を出したいと考えてくれて、私が「留学したい」と言い出した時もまったく反対しませんでした。実際に留学したのは高校2年の時です。

ハプニングだらけの留学生活

交換留学は普通、どこに行くか決まっているものです。ところが私の場合、出発日は決まってるのに、行き先が決まっていなかったんです。ざっくり「アメリカ」っていうだけで、東海岸か西海岸かも分からない。行く場所が決まったのは出発の前々日です。結局、ワシントンD.C.に近いバージニアに決まりました。

ただ、いざ空港に着いてみると、迎えに来ているはずのホストファミリーが見当たらない。電話をしたいけど、掛け方もわからない。近くにいた中国系と思える人に絵と漢字で「ここに電話をかけたい」という意志を伝えて、どうにかホストファミリーに電話をかけてもらいました。そこにたどり着くまでに1時間半くらい。ホストファミリーは「翌日」という連絡をもらっていたそうで、もう本当にグダグダですよね(笑)。

そんな状態だったので、ホストファミリーの家から通う高校も決まっていませんでした。徒歩10分くらいにある高校にもお願いしたのですが、「留学生は受け入れてない」と断られてしまって。

結局は車で20分先の学校の校長先生に直談判したら受け入れてもらえたんですが、私立校なので授業料が発生することになりました。そこで留学団体に「学校を決めてなかったのはそっちの責任だから授業料は払ってほしい」と交渉して、無事出してもらうことになり、ようやく学校に通えるようになりました。

英和辞典をひたすら読み込む

一学年40人のこぢんまりとしたカトリックの学校でした。当然、全員がカトリックです。それまで、宗教など考えたことがなかったので、カルチャーショックがありました。たとえば、授業でも進化論は飛ばしたり、世界史に紀元前がなかったりするわけです。最初は「ここで本当によかったのかな」と思うこともありましたが、一年暮らした結果、いろいろなことが学べてよかったです。

8月半ばから行って、英語の環境に慣れるまでに約4カ月かかりました。最初は聞き取れないので、言いたいことを言うだけです。次にヒアリングができるようになって。それから春までかかってやっとディスカッションができるようになりました。当時、英語の勉強のために、英和辞書を読み込んでいました。「全部覚えればいいじゃないか」と思って。

翌年に帰国したのですが、受験勉強が間に合わないので留年することにしました。当時は心理学の道に進むつもりだったんですが、世界恐慌の授業がきっかけで、経済に興味を持つようになりました。世界恐慌って経済が一気に変わるじゃないですか。今まで1円には1円の価値があったのがそうじゃなくなる。でも、なぜそうなるのかが分からなかったので、一回経済についてしっかり勉強してみようと。そこで、受験直前になって志望校を変えることにしました。

大学在籍時に "せどりビジネス"で月間数百万円の売上

大学に進学して最初の頃は何もしなかったですね。塾の講師とか和食屋でバイトをしたんですが、「時間給で働くのは嫌だな、効率を上げたいな」と思うようになりました。要はあまり働きたくなかったんですよね(笑)。

たまたま「カカクコム」で電子辞書の値段を調べたら、人気があるのに「なかなか買えない」というレビューを見つけました。大学生協限定の電子辞書です。もう時効なので言っていいかと思うのですが、そこで、ネットで販売ページを用意して、注文があったら生協で購入して販売するということを始めました。最初は月2台程度だったのが、次第に増えて最終的には月に50台にもなり、月間数百万円の売上を上げるようになりました。

せどりは他にもやっていました。アメリカから靴を3000円で買い、国内で3万円で売ったり。その頃から裁定取引が好きでしたね。大学の友だちは誰もやってませんでしたが、後に知り合った経営者友だちの多くは、学生時代にそういった経験をしていたそうです。

ベンチャーキャピタルを経て"ネット"との出会い

就活時は、ゼミなどの周りの人たちの影響でVCに興味を持つようになりました。「世の中に出ていないものを探す」ところに惹かれたのです。中学時代から音楽でもインディーズが好きでした。これから出る、みんなが求めるもよりちょっと前のものが好きなんです。

ただ、その後、VCを受けて内定をもらったのですが、「VCって新卒で行くところかな」と疑問を感じるようになったんですね。もっと色々な会社が見たいと、休学して東京に出ることにしました。

東京では1年間、GMOベンチャーパートナーズでインターンをして、やっとインターネットの世界に巡り会いました。アメリカのVCの投資先を調べていると中で、初めてシリコンバレーを知りました。

そこで、早速、夏休みにシリコンバレーに行くことにしました。とはいえ、知り合いがいなかったので、mixiで「シリコンバレー」で検索して、出てきた人に片っ端から連絡をして会っていきました。

正直、今思えばご迷惑もたくさんおかけしたと思いますが、AppleやGoogle、Yahoo!、eBayなどの会社へ訪問させてもらいました。そこで出会った人は面白い人たちばかりでしたね。「インターネットに携わっている人は面白くてキラキラしていて楽しそう。自分もネット産業に身を置きたい」と感じるようになったんです。

カオスだったPayPal立ち上げ時代

その後、知り合いに誘われたのがきっかけで、PayPalの日本法人に入ることにしました。PayPalは「金融」と「ネット」という私の好きなものが合わさった場所で、ぴったりでした。PayPalでは、加盟店向けのマーケティングを担当しました。

ただ、立ち上げ時は本当にカオスで、たとえば、当時の日本法人はいろんな仕組みが全くなくて、経費精算もできなかったんですよね。シェアオフィスに入居していたんですが、隣の社の人が捨てた良さそうな粗大ゴミを拾って使ったりもしていました。「観葉植物が捨ててあるよ!」と言ってもらってきたり。

とはいえ、数カ月も経つとさすがに経費精算の仕組みができてきて、アスクルで文房具が届いたりする。その時はみんなで拍手しましたね(笑)。名刺もパソコンも入社時には届かないのが当たり前。その後、新しいスタッフの入社日にパソコンや名刺が届くようになった時には、「この会社も大きくなったなあ」と感じましたね(笑)。

一番年が近い人で8歳上、同期はゼロという環境でしたし、これといった教育プログラムもありません。必死に学ぶしかなくて、手を挙げて実際にやる人が評価されるということを学びました。

日本における決済市場は非常に保守的です。フラッシュマーケティングが伸びたときに、日本のカード会社は人数が集まらないとキャンセルになる仕組みを嫌がりました。「そこにニーズがある」と考えて取りに行き、決済金額もかなり増えました。初期にリスクを取りに行くと大きな学びが得られます。結局、PayPalには2年半強いました。

PayPalに入るにあたって、悩んだのはリクルートです。内定ももらっていました。PayPalを選んだのは、「悩んだらレアな方を選ぶ」をモットーにしていたからです。キャリア的面白さの意味でも、レアなところがいいと思うんですよ。もし今就活をするなら、アフリカとかまだあまり人が行かないようなところに行きたいです。みんなが行くところは競争が激しいじゃないですか。

自分のレベルって、大学生くらいで段々分かってくる。本当に優秀なら大企業で勝ち上がっていけばいいけれど、自分では競争が激しいところでは難しいから、競争が少なくて上に上がれる方がいいと思ったんです。

「リアルの決済がやりたい」で退職

日本の消費におけるECの割合は数パーセントに過ぎません。ほとんどはリアルで消費されています。リアルを変えた方が、生活にインパクトを起こせる。ちょうどスマホとガラケーの割合が入れ替わる時で、「これはいける」と思いました。米国や欧州で決済サービスが多く出てきていて、「日本も変わる」と感じていました。

CoineyのようなサービスをPayPalでやることもできたと思います。ただ、実現までには時間がかかりそうでした。当時はオフラインの決済をやる意志決定もしていなかったし、会社の戦略も全く別の方向を向いていました。そのため、自分でやった方が早いと感じ、会社は辞めてしまいました。一緒にやる人も決まっていなかったし、どうすれば実現できるかも分からなかったけれど、辞めなければ何も進まないと思ったんです。2011年10月のことでした。

会社を辞めようと思ってから、引き継ぎ期間がありました。それまではガラケーと会社支給のBlackBerryを持っていたのですが、会社を辞めるとBlackBerryがなくなってしまう。そこでやっとiPhoneに変えたんですよ。

社員に助けられた創業期

やりたいことはあるけれど、どうしたらいいかわからなかった。そこで、しばらくアポを週1回入れるくらいで、週4日はゴロゴロしてましたね。3カ月くらい、ただひたすら漫画を読んだり昼ドラを見たりしていて。既に結婚していたのですが、夫に「これじゃまずいね」と言われたのが2月でした。

Coineyのハード(クレジットカードを読み取るリーダー)を作ってくれる人とは、年末に既に会っていました。その後、デザイナーも「入る」と言ってくれました。「4月に」と言われたのですが、入る先の会社も存在しなかったので、慌てて2012年3月に会社を作りました(笑)。

資本金はわずか30万円。当然、4月にデザイナーに給料を払い、シェアオフィスの家賃を払った時点で口座の残金はゼロです。口座にお金を入れたらそのまま出るので、口座には何も残っていません。その頃のことは、その後入った経営管理担当に「黒歴史」と言われています。

その後、もう1人増え、年末くらいまでは4人でやっていました。周囲からは「決済は大変だから」と反対されていました。ちょうどその頃は「PayPal Here」のソフトバンクと「楽天スマートペイ」の楽天が名乗りを上げている時期で、ライバルになるだろうと。

想像以上に大変だというのは、ハードを作り始めてから分かりました。私は、漠然と「雑貨屋さんに行くとモノがいっぱいあるから作れるんじゃないか」くらいに思ってたんです。なので、メンバーも「よく分かってなさそうだし、自分たちが引き受けてやらいと何ともならないぞ」と感じて頑張ってくれたみたいです。

起業してから半年くらいは、誰も実現するとは信じてくれませんでした。知り合いから2000万円の資金調達をしたんですが、スタートするのに必要なセキュリティ周りに1000万円投資したりするとすぐになくなるわけです。資金の調達もできなくて困っていたところ、2012年10月に転機が訪れました。サイバーエージェント・ベンチャーズ主催のITベンチャーと投資家のマッチングイベント「RISING EXPO」で優勝したのです。当時はモノもなくて、本当にプレゼンだけだったんですが、何とかうまくいって資金調達できるようになったのです。

とにかく起業してから1年半くらいはずっとお金がありませんでした。資金調達に時間がかかって、日本政策金融公庫から借りたこともあります。毎月毎月結構なスピードでなくなるので、月末はいつもどきどきしていました。

ようやくサービスインできたのは1年後、2013年4月です。実際に今の形になったのは8月で、1年半経ってようやく本格的に開始できたことになります。年明けから人を増やし始め、社員は10人になっていました。

セゾンはいい意味で頭がおかしい

決済事業で大変なのは、新興プレイヤーは信用されないという点です。我々のビジネスではカード会社というパートナーが必要なのですが、なかなかカード会社に信用してもらえないのです。会ってはくれるけれど話はなかなか進みませんでした。

信用してもらうためには資金力、経営陣、会社の実績などが見られるのに、うちにはそのどれもなかったんですね。経営陣は当時28歳の私一人で、経営"陣"じゃないし、実績もない。まずは経営陣強化のため、サイバーエージェントを辞めたばかりだった西條(晋一氏)に取締役として来てもらいました。そして、サービスのテストをしながら実績を作っていきました。

そうして、出会ったのがクレディセゾンです。カード会社の多くは銀行系なのですが、セゾンは流通系なのでカルチャー的には緩め。しかも、最初から役員の方が来てくれて話が早い。林野(宏)社長にもすぐに引きあわせていただき、トントン拍子で話が決まりました。セゾンって頭がおかしいですよね、いい意味で(笑)。

サービスインまでに1年かかりましたが、いつできるかわからない中、作ってくれたメンバーには感謝しています。初めて決済が通った時は嬉しくて、みんなでお祝いしました。開始直後は決済額を見るとゼロのこともあったので、決済が生じるだけで嬉しくて嬉しくて。

仕事も育児も両方やった方が楽しい

年末に取締役の西條から叱られたことがあったんですよ。実は子どもが今8カ月なのですが、産んでからなし崩し的に復帰したのです。意識の半分くらいが子ども、半分くらいが仕事でふらふらしていたんですね。あまり真剣に考えていない瞬間があって、初めて人にちゃんと怒られました。目が覚めてよかったですね。仕事も育児も両方やった方が楽しいので、言い訳にはしたくないと思っています。

社内でダメだしはよくされますね。マネージャー陣とミーティングしている時、私がやりたいことを言ってもしれっと却下されることも多々あります。前職の先輩にも入ってもらっているのですが、優秀な人達ばかりなので、私自身が手を動かす仕事は圧倒的に減っています。物事が勝手に進んでいくので、優秀な人たちと働くのは楽だなと思いますね(笑)。

「現金をなくしたい」が目標

出張で沖縄に行った時、実際にCoineyを使っている店舗を見かけた時は嬉しかったですね。「本当にこんなところでも使ってくれている人がいるんだ」と。今は、全国47都道府県で利用されていて、数人くらいでやっている小規模店舗が多いです。これまでカードを使えなかった店がCoineyを使って売り上げが増えているのは嬉しいですね。

元々、「現金をなくしたい」という目標があります。カードはソリューションの一つに過ぎないし、正直カードを持つのも面倒くさいので他の手段を考えたいんです。ただ、かんたんさというのは外せないので、時代を見ながら進めていきたいですね。

Coineyを作るまでもいろいろ考えたんですよ。超音波で読み取るとか、カメラで読むなどの方法も考えました。今に生体認証での決済も出てくるはずと思っています。面倒くさがりなので、面倒くさいことをなくしたいんです。それが結果的に経済に波及するといい。

リアルには、まだまだ手を入れられるところはいっぱいあります。モノを売ったり買ったりはもっと便利になってもいいと思うんです。とにかく手間をなくして、かんたんを当たり前にしていきたいですね。

(2015年6月2日「HRナビ」より転載)