40才になったなら、あなたは上手くできている仕事から引き離されて、ほかの坩堝(るつぼ)に投げ込まれるだろう。
40才になったなら、あなたは再び、新入社員のような不安と無力感にとらわれるだろう。
40才になったなら、あなたは若手から突き上げられて満身創痍になるだろう。
40才になったなら、あなたを手繰る黒い手が誰のものか、はっきりと見えるようにだろう。
40才になったなら、あなたは疲れ果てて、いつか倒れるまで働かなければならないのかと怯えることになるだろう。
40才になったなら、自分が超えられない壁がまたひとつ存在していることに気づくだろう。
40才になったなら、誰かを踏みつけるように命じられるだろう。そして、誰かを裏切るだろう。
40才になったなら、部下と昼食を食べにいったとき、月の小遣いの残額を計算し、奢るべきかどうか悩みながら不味い飯を食べることになるだろう。
40才になったなら、あなたの娘はあなたに背中を向けるだろう。
40才になったなら、終電で帰ってきたあなたを妻は迎えに来ず、タクシーも出払っており、長い距離を夜中に歩いて帰ることになるだろう。
40才になったなら、映画も本も音楽も、昔ほど楽しめない自分に気がつくだろう。
40才になったなら、あれほど嫌った自分のオヤジとそっくりになっていく自分に気がつくだろう。
40才になったなら、どっちを向いても身動きのとれない自分に気がつくだろう。
40才になったなら、あなたは自分のいる道は、本来自分がいるべき道ではないかもしれないと疑い始めるだろう。
そして、40才になったなら、何ものにもなれないことを受け入れ、人と比べるのをやめるだろう。
そして、40才になったなら、大きな夢や野望ではなく、自分がほんとうに欲しいものを探す旅に出るだろう。
そして、40才になったなら、あなたは大きな決断をするだろう。その場所から飛び出すにせよ、その場所に留まるにせよ。
やがて、50才になったなら、病気や怪我で苦しむ親を見ることになるだろう。
やがて、50才になったなら、夕焼けの中を犬と散歩をできることが、どれほど幸せか胸に沁みるようになるだろう。
やがて、50才になったなら、娘が笑顔を向けてくれるだろう。そして、結婚相手を紹介してくれるだろう。
やがて、50才になったなら、妻が「先に死なれたらどうしよう」と、言ってくれるようになるだろう。
やがて、50才になったなら、自分の人生に悔いは感じなくなるだろう。自分はこの道を歩くように決められていたと思うようになるだろう。
やがて、50才になったなら、あれほど嫌っていた中学や高校の同窓会に、喜んで行けるようになるだろう。そして、そこでは、昔ながらの友だちが、それぞれの苦闘の道を歩いて、今そこにいることを、お互い誇らしく思うだろう。
こうして、40才を乗り越えたあなたは、年齢とともに、幸せになっていくだろう。
Photo by Tom Eversley
(2014年10月21日「ICHIROYAのブログ」より転載)