photo by sharaff
「インスピレーション」に痛い目にあってきた。
自分のことをアイディアマンだと思っている僕は、時々、素晴らしい思いつきをする。いや、思いついたと思う。
インスピレーションっていうやつだ。
ところが、そいつは往々にして、馬鹿な思いつきに過ぎなかったと思う。そして、いつの間にか、「インスピレーション」には、すこし懐疑的な付き合い方をするようになってきた。
そういえば、会社を辞める時、「百貨店のイベント・催のBtoBサイト」をやろうと思った。思いついた時は、僕のキャリアも活かせる、インターネット時代の最高のアイディアだと思った。
その高揚感はしばらく続いたけど、やがて不安の方が大きくなり、実際の顧客になるはずの人たち、かつて僕の部下だった人や同期の人たちに、そういうサイトができたら使ってくれるか訊ねに行った。
彼らの答えは、「便利とは思うけど・・・やっぱり、使いませんね。そういうサイトで出品者を探すより、和田さんがコンセプトを立てて、出品者を集めて、条件も詰めて提案してくださったら、のると思いますけど」であった。
頭でっかちに、机上だけで考えていたプランは、実際の見込み客からダメ出しをされて、水泡に帰したのである。
かつての僕自身を顧客と想定していたので、凄く便利!と思っていたのだけど、僕自身のやり方が「ノーマルな」担当者からは少し外れていたことに、その時、ようやく気づいた。
さて、このインスピレーションの場合は、実際の顧客が求めることを、見誤っていて、それはわざわざ訪ねて行って、頭を下げて、ホンネを聞き出すまでわからなかったという話である。
僕はいつもビジネスのネタを探しているので、「やった!いいこと思いついた!」と思うことは頻繁にある。しかし、舞い降りてきたインスピレーションは、実際に検証してみたら、すでにやっている人がいたとか、見落としていた問題があったりして、無駄な思いつきだったということが多い。
だけど、中には、いい思いつきで、とくに難点も見当たらないのに、なんとなく、面白くないような気がして、結局消えていくアイディアやインスピレーションもある。
無駄な思いつきが多いので、ああ、このアイディアも、何か難点があるのだろうなあと思って放置したり、あるいは、思いついたときに感じたわくわく感が単に薄れてなくなってしまっていたりするのだ。
ぼんやりと、インスピレーションについて、そんな風に感じていたら、たまたま、ネットでこんな文章を見かけた。(原文は英語)
インスピレーションはフレッシュ・フルーツかミルクのようなものだ。それは賞味期限がある。もし、あなたが何かをしたいなら、すぐにそれを始めなければならない。それを棚上げして、2か月待つようなことをしてはならない。後ではできないのだ。後になると、もうその高揚感は戻ってこない。金曜日にインスピレーションを得たなら、週末のお楽しみは蹴飛ばして、すぐにプロジェクトを始めなければならない。インスピレーションでハイになっているなら、2週間分の仕事を24時間でやってしまえる。インスピレーションはタイムマシンのようなものだ。インスピレーションは「今」のものだ。もしインスピレーションがあなたをつかんだら、即座につかみかえして、仕事にとりかかるべきなのだ。
この文章は、「Rework」という2010年出版のベストセラーにある一文で、ソフトウェア開発会社「37シグナルズ」の経営者たちが書いたものだ。
日本語の翻訳も出ている。
たしかに、僕の経験でも、うまくいく時というのは、インスピレーションの高揚が続いているうちに、走り出したものが多い。
空振りが多いからといって、必要以上に慎重になると、何もできなくなってしまう。どうやら無意識に守りにはいりがちになった僕は、わざわざ、インスピレーションで得たものを店晒しにして高揚感を消し、それをやらない理由にしているような面がなきにしもあらずである。
今年は、インスピレーションのタイムマシンに飛び乗っていきたい。
(2015年1月3日「ICHIROYAのブログ」より転載)