おばあちゃんのために泣け

高校生とか大学生の頃、泣いた覚えがない。身近に特に不幸なことがあったわけではないので、当然のことかもしれない。ただ、たとえばクラブの最後の試合で、勝っても負けても大泣きをした話を聞いたり、甲子園で涙を流す選手たちをテレビで見ていて思ったものだ。

高校生とか大学生の頃、泣いた覚えがない。

身近に特に不幸なことがあったわけではないので、当然のことかもしれない。

ただ、たとえばクラブの最後の試合で、勝っても負けても大泣きをした話を聞いたり、甲子園で涙を流す選手たちをテレビで見ていて思ったものだ。

僕にはそういう感情が不足しているのではないか。

誰かに対する愛情も、自分のしてきたことに対する感慨も、そういういっさいの情動が希薄で、泣くことには至らないのではないか。 

すべてに対して氷のように薄情な人間なのではないか、と。

大学時代4年間打ち込んだアイスホッケーの最後の試合が終わった時も、泣けなかった。チームメイトのひとりはおいおい泣いていた。

実家にはいっしょに暮らしているおばあちゃんがいた。

僕のことを可愛がってくれたが、父とはさまざまな心情的な摩擦があった。

おばあちゃんは、子供のような遠慮のなさで、僕のことをじっと見つめている時があった。僕は子供の残酷さを発揮して言ったものだ。「そんなに、じっと見つめんといて!」

おばあちゃんは狼狽して、ごめんごめんと言って行ってしまう。

おばあちゃんは、おばあちゃんだ。

おばあちゃんが僕を愛してくれていたことはわかっていたけど、僕はどれほどおばあちゃんのことを思っているだろう。

おばあちゃんのことを本当に「愛している」のだろうか。

そんなおばあちゃんがガンになった。

85歳ぐらいの時だ。

胃か腸の癌でもう手遅れだった。

「もうちょっと早かったら・・・」と主治医が呟いたのをおばあちゃんは聞き逃さなかった。

「どういう意味やろ?」ベッドに寝かされたおばちゃんはしきりに母に訊ねたらしい。

「もう歳やし、仕方ないのに・・・」と僕が何気なしに言ったら、母が怒った。

「本人は癌と知らんのやで」

半年もしないうちに、おばあちゃんは亡くなった。

亡くなったと聞いても、悲しみの感情がこみ上げてくるわけでもなく、涙もでなかった。

僕はやっぱり薄情に生まれついている。欠陥人間に違いない、と思った。

父と母はちゃんとした葬式を出した。

葬儀場に知人や親戚が集まってきた。

僕はすでに就職し結婚もしていて、喪服も、黒いネクタイを結ぶのも手慣れたものだった。

そして、おばあちゃんが棺の中で花に包まれているのを見た時。

突然、経験したことのないようなものが胸の奥からこみ上げてきた。

抑えようとしても抑えられなかった。

僕はおいおいと泣いた。

気が済むまで泣いた。

その日以来、僕はときどきこっそりと泣くようになった。

きっと、今日も、たくさんの人がこっそりと泣いているだろう。

photo by morena

(2015年1月31日「ICHIROYAのブログ」より掲載)

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