「経済成長」と「憲法改正」に密接な関係があるわけ

どんな技術も、技術の概念を語っているだけでは知的生産性を上げることはできません。では、どうするか?

金融緩和政策が限界に来ているのは日本だけではなく、主要各国で同様の悩みを抱えているという日経新聞の記事です。

ただ日本の場合、もはやモラルハザードと言うべきなのではと思うほどの日銀・GPIFの「爆買い」によって、出口戦略がますます困難になっています。

そのため、仮に将来的に潜在成長力が伸びたとしても、このツケが日本の成長を阻む重い枷になることが懸念されます。

とはいえ、ツケを作っちまってるものはどうしようもないので、その枷を少しでも軽くすべく、潜在成長力を向上させるためにはどうすればいいかを考える必要はあります。

潜在成長率は、国内でモノやサービスを生産するために必要な労働力や設備、技術などをフル活用した時に実現が見込まれるGDPの伸び率を意味する。具体的には労働力人口と労働時間を掛け合わせた「労働力」、生産に必要な工場や機械設備などの「資本」、技術革新などに伴う「生産性」の3要素のそれぞれの伸びで表される。

「労働力」「資本」「生産性」の3変数をどう上げるか、という議論になるわけですね。

このうち「資本」を増やす前提となる「資金供給」を激増させたのがアベノミクスです。

しかし「資金需要」のほうが上がらず行き詰まっているのは、既に黒田総裁自らが半ば認めているに等しい状態。

では「労働力」を上げるとするとですが、ここで重くのしかかるのが「少子高齢化」。

生産年齢人口は早晩下降すると見られている中で「一億総活躍」とか「移民政策」が語られるわけですね。

しかし、「労働力」というのは、ただの数字ではありません。

生産年齢人口「1」とは、そこに一人の生きた人間がいるということです。

これを考慮しないいかなる労働政策も、奏功しないだろうと私は思います。

「知的生産性」を上げるためには

ここでは、「生産性」をどうやって上げるか、ということを中心に考えてみましょう。

これからの「生産性」を考える場合、指すのは「知的生産性」であると考えるべきでしょう。

いかにして生きた情報を集め、有効な形に整理し、イノベーションを見出して意思決定につなげるか、という知的生産性は、今後、一次産業でも二次産業でも決定的に重要になります。

(六次産業化なんて言葉も言われています。農業も超ひも理論みたいな世界に入ってきました^^)

20世紀におけるマネジメントの偉業は、肉体労働の生産性を50倍に上げたことである。そして、21世紀に期待される偉業は、知的労働の生産性を同じように大幅に上げることである。(ピーター・ドラッカー)

では、知的生産性はどうやったら上がるのでしょうか。

政府は「AI」「IoT」「ドローン」「ビッグデータ」といったバズワードを矢継ぎ早に繰り出しています。

しかし、どんな技術も、技術の概念を語っているだけでは知的生産性を上げることはできません。

例えば、AIの研究を進めるために、予算をつけることは重要ではあります。

しかし、予算をつけただけでは研究は進みません。

優秀な人材にAIに興味を持ってもらい、その研究を進めることで、単なる金や名誉だけではなく、それを通じた自己実現ができる、ということが決定的に重要です。

「自己実現」

これ抜きで、優秀な人材が100%の力を発揮することはできません。

アホっぽい言い方で恐縮ですが、結局はいかにして「やる気」を出してもらうかということに尽きるのです。

新産業の成否は、知識労働者にどこまでやる気を起こさせるかにかかっている。(ピーター・ドラッカー)

「やる気」が出る社会づくりのため、教育や構造改革が重要になってきますが、ここでいま国会で議論になっている「憲法改正」に注目してみましょう。

自民党憲法草案、「やる気」出る? これで。

自民党憲法改正草案の問題は山ほど語られていますが、「知的生産性を向上させて潜在成長力を上げる」という観点から考えた場合、問題になるのは、13条の改変や97条削除に見られる「個人の権利の制限」の方向性です。

個人の自由な発想、行動。

それを保証する権利。

それは、「公益及び公の秩序」のためとあれば、国がいつでも取り上げますよ、という条文になっているわけですね。

「やる気」出ます?

これで。

安倍政権が経済成長をめざすというなら、個人の権利の尊重のこそがイノベーションの第一の基盤だということを、まずもって理解してほしいものですね。

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