今回は、私と年齢の近い、マンション住まいの子育てお父さんに話を聞いてみました。
「いっぱいいっぱい」というキーワードを考えるスタート地点とすることで、「今」という時代が少しは見えてきそうな気もします。
最近私は、いろいろな方に「今、感じている空気感を教えてください」と聞いています。
そう聞くことで、最も根底的な「政治の始まり」を見ることができるように思うのです。
今回、友人にこの質問をしたとき、最初に帰ってきた答えは次のようなものでした。
■「いっぱいいっぱいで、他のことが考えられない」
この言葉に、私ははっとさせられました。
境遇は異なるのに、私も近い感覚を感じているからです。
「世の中には関心を持たなきゃいけないことがたくさんあるのはわかっているけど、考えないようにしている。基本的には自分と家族の生活で手一杯だから、心のチャンネルを切り替えてしまう。しかし、ネットによって、いやでも『見えて』しまう」
「その最たるものが東日本大震災だった。あのとき、被災地の悲惨さと自分の普段の生活とのギャップで、少しおかしくなっていた。夜、Twitterを見ながらダダ泣きしていた」
この友人とは、震災後、一緒に被災地支援に取り組むことになるのですが。
そういえば、もうじき3.11。
もう3年になるのですね...。
「枠組みが融解する時代なのだと思う。きっと変化の時代なんだ。今のこの『閉塞感』を変えたい」
「マンションの住民同士なんて、地球の裏側に住んでいるのと同じ。なんの接点もない。しかし最近、自分のマンションで『もちつきをやろう』と言い出した人がいた。そういうことをやるのがいいとわかっていても、誰かが『言い出しっぺ』にならないとそれは実現しない。自分は『言い出しっぺ』でありたい」
■もうちょっと「言い出せる」社会のために、時間を返してあげよう
「閉塞感」を打ち破るために「言い出しっぺ」が必要です。
しかし、言い出そうと思っても、「いっぱいいっぱい」で言い出す余裕がありません。
どうすればいいのか。何がまずいのか。
「いっぱいいっぱい」という言葉。いったい何が「いっぱいいっぱい」なんでしょう?
私は、「時間」がいっぱいいっぱいなんじゃないかと思うのです。
人が何かをするために、絶対に必要なものが「時間」です。
自由を得るためには「お金」が必要だと考える人が多いですが、お金よりももっと重要なのが「時間」です。
時間の総量は固定的です。増やすことはできません。使ってしまったら永久に失われます。
それにもかかわらず、いかなる行動に対しても時間が必要です。
この世で最も貴重な資源、それが時間ですが、これまでの日本社会は、この貴重な資源をあまりに軽視してきてはいないでしょうか。
長引く不況によって、賃金も下がりましたが、それ以上に「時間」が奪われました。
労働規制の緩和によって、「自分を犠牲にして長時間働かなければ、自分の居場所がなくなる」と感じる人が増えたのではないでしょうか。
ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す方も多いでしょう。
友人は「今はもう、モノの時代ではない」と語りました。
モノの時代でないとすればなんでしょうか。
私は「時間の時代」だと思います。
時間を自由に使えること。その時間によって「自分の生き方を選べる」こと。
ワークライフバランスという言葉が語られて久しいですが、私たちはこの言葉の意味を、もっと深く、哲学的なレベルで理解して、社会の変革の原動力にしなければならないのではないでしょうか。
例えば労働組合も、ベースアップも大事ですが、「働く人にもうちょっと時間を返してあげる」政策を提言して、若い人々への訴求力を取り戻してはどうでしょうか。
「時間を取り戻す」ために、どんなことができるでしょうか?
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(2014年2月26日「中妻じょうたブログ」より転載)